きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.4.8 神奈川県真鶴岬 |
2007.5.18(金)
おもしろい体験をしました。参院選の電話アンケートです。新聞などでよくコンピュータによる無作為抽出でオートダイヤルして…≠ニいうのがありますけど、その類のようです。電話でしゃべっている冒頭部分を聞き逃しましたので何処の新聞社なのか判りませんでしたが、電話による世論調査を受けたのは生れて初めてです。コンピュータの合成音で、投票に行きますか、誰に投票しますか、どの政党を選びますかと10項目ばかり次々に質問されました。YESなら何番を押せ、○○党支持なら何番を押せと指示され、それに応えて次々とプッシュボタンを押していきましたけど、途中でフッと、これって思想調査じゃん!と思いました。相手はこちらの電話番号が判っているわけですから、その気になれば個人の思想リストを作ることができます。もちろんそんなことはしないでしょうし、仮にやったとしても発覚すれば世論調査の信頼性そのものが瓦解します。私の方も今さらどこの政党を支持しているか判ってしまったところで失うものは何もありません。
でも、現職のサラリーマンや公務員なら怖いでしょうね。怖ければ回答しないという手もありますけど、密かにデータが使われるんじゃないかという疑いがすぐに出てしまうようでは、社会はまだまだ成熟していないということになりそうです。もっとも、これは私の個人的な資質の問題、そんな疑心暗鬼になるような奴は、お前以外にはいないよ、ということなのかもしれません(^^;
○詩と批評『岩礁』131号 |
2007.6.1 静岡県三島市 岩礁社・大井康暢氏発行 700円 |
<目次> 表紙 岩井昭児 作品N 扉・目次カット 増田朱躬
評論
二十世紀研究・リルケについて/神品芳夫 六
フランスにおけるシャンソンの現況(四)/カルヴェ・納富教雄訳 四四
形式について/門林岩雄 五〇
一九五四年以前の日本におけるフランス(二)/アンベルクロード 五六
手帖15 二十世紀研究・詩における存在と表現/大井康暢 一〇二
エッセイ カルカッソンヌ便り(二五)/増田朱躬 八六
詩
ぼくの詩/柿添 元 一四 虚脱になりたい時/金 光林 一六
漲るものへ/桑原真夫 一八 希望、唄、冬の道、他/門林岩雄 二〇
不在/大塚欽一 二二 御天道様/井上和子 二六
希望/栗和 実 二八 1/2の幸福U/竹内オリエ 三〇
泳ぎのひけつ、コップのみず/小城江壮智
三二 梅雨/丸山全友 三四
高石貴小詩集/高石 貴 三八 左千夫の浜で/中村日哲 七四
傷が癒えるまで/文屋 順 七六 暖冬日和/北条敦子 七八
三月のくらし/望月道世 八〇 美術展 私の楽しみ方/市川つた 八二
有情喫茶室、無題、感傷曲(一)/西川敏之 八四 原因不問/坂本梧朗 一〇八
ある背広の半生/佐竹重生 一一〇 神馬/緒方喜久子 一一二
自画像/斎田朋雄 一一四 わたしの町あなたの町、黄金劇場/関 中子 二六
逗子の午後/斉藤正志 一一八 闇・諸行無常/佐藤鶴麿 一二〇
いつの間にか/相良俊子 一二四 蕪村の墓、時の窓/大井康暢 一二六
コラム
喫茶室 一三 座標 二五 椅子 二九 詩と人生 三七
声 四三 始点 五五 こだま 六五 点滴 表二
詩人のたわ言 表四
ポエムパーク 六六
名詩鑑賞 キーツ「憂愁についてのうた」/大塚欽一 一二八
詩集評
吉久貴隆弘詩集『メタセコイアが揺れている』/佐竹重生 二二〇
豊岡史朗詩集『拙生園』/文屋 順 一三一
内田紀久子詩集『魂っぽい』/坂本梧朗 一三二
荒木忠男詩集『夕日は沈んだ』/高石 貴 一三三
松本恭輔詩集『曲り角には子どもも猫も』/小城江壮智 一三四
浦島智子詩集『いそがず あせらず ゆっくりと』/大塚欽一 一三五
なたとしこ詩集『地図帳のない時間へ』/竹内オリエ 一三六
岡野絵里子詩集『発語』/市川つた 一三七
五喜田正巳詩集『都会の蛍』/井上和子 一三八
麻生直子詩集『足形のレリーフ』/栗和 実 一三九
原田勇男詩集『炎の樹連祷』/西川敏之 一四〇
斎田朋雄先達詩人顕彰祝賀のお知らせ 一四一
寄贈詩誌紹介 一四二
同人誌紹介「黒豹」(代表諫川正臣) 一四四
二十世紀研究資料・小説 二十五時/コンスタンチン・ゲオルギウ 一四六
詩のサロン 一五六
住所録 一七〇
編集後記 一七三
時の窓/大井康暢
丸いツブツブが大きくなった
シミか斑点のようなもの
次第に広がって
黒く焼けたコーヒーに幾重にもかさなって
ひとつの平面をつくってゆき
白いミルクの沼になる
淀んだ沼の水を私は飲む
それは立ちすくんでいる夜のようだ
淹れたてのコーヒーにクリームを垂らす
焦げた厚い壁に白い花が咲いて
カップの四方に拡がってゆく
記憶が目覚めてゆっくりと開く花
黒いコーヒーの上に散り
沼のそこから浮かび上がってくる
消えたと思えばまたあらわれ
深い沼の底から生まれ
水面を埋め尽くし
茶褐色の沼は白い花でおおわれ
記憶の淵は目の前の磨いた鏡となって
通りを隔てた向かい側の
ヘアサロンの美容師が指を動かしている
光る刃と白いガウンに私の意識を断ち切り
時ならぬ雷鳴が頭上でとどろく
裂けた天井からコーヒー色の空が見える
白い月が利鎌の刃を振りかぶり
混濁した薄明の意識の淵が波立ち
隅田川の花びらが風に煽られ
しきりに降りつもる
第1、2連、3連の途中までは、要はコーヒーを飲んでいるというだけの詩ですが、その詩的な観察に驚かされます。「白いミルクの沼にな」り、その「淀んだ沼の水を私は飲む」という表現も佳いと思いますし、続く「立ちすくんでいる夜」という詩語が佳いですね。どこかで遣ってみたくなる言葉です。
第3連の後半から視点が移っていくのも見事です。視点の移動に無理がなく、「ヘアサロンの美容師」の「光る刃と白いガウン」という具体がこの作品を一層引き締めていると思います。それは最終連の「隅田川の花びら」という具体へも繋がっていて、読者の視座をさらに広げていると云えるでしょう。「深い沼の底」から「風に煽られ/しきりに降りつもる」花びらへと拡がりを感じさせる作品で、勉強させていただきました。
○『かわさき詩人会議通信』43号 |
2007.6.1 非売品 |
<目次>
現実を風刺して、ときには、ユーモアの「作品」創造しては/河津みのる
子守歌/さがの真紀 たとえ一人が倒れても/斉藤 薫
励まし/枕木一平 咲けないクロッカス/山口洋子
手紙/寺尾知紗 フォークダンス/丸山緑子
その家族たち/小杉知也 苺(いちご)/さがの真紀
兎にも亀にもなるさ/寺尾知紗
現実を風刺して、ときには、ユーモアの「作品」創造しては/河津みのる
一九六〇年代の後半だったと思うが、かわさき詩人会議主催で、『京浜の虹』(一九五二年、理論社刊)をテキストに学習会をひらいたことがある。
たまたま『詩の中にめざめる日本』(岩波新書刊)を読み返していたら、『京浜の虹』から「『大』浴場無情の歌」が<労働者の笑い>として取り上げられていた。
昭和なる工場のほとり
風呂せまく油子くるしむ
みどりなす真水は出でず
あがり湯も汲むによしなし
広かねえフロ場の床を
湯にとけた垢うき流る
汗くさきからだはあれど
湯にみつる香りも知らず
浅くのみフロはよどみて
お湯の色わずかに青し
働く人の群はいつでも
その中でグチをこぼしぬ
混みゆけばスキ間も見えず
フロせまし昭和の川崎
労働者いざよう湯気の
フロせまき隅にのぼせつ
にごりフロにごれる汲みて
汗まみれしばし流さん(後略)
この詩は、島崎藤村の「千曲川旅情のうた」をもじったものだが、風刺や批判をこめて<底抜けに明るく>、労働者的な感覚で<笑いとばし>ている。
創造はよく模倣から始まるといわれる。発想も、表現方法上でも、個性ある詩を創造しなくてはならないことは言うまでもない。が、ときに「ユーモア」も意識的に考慮してもよいのではなかろうか。
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今号では河津みのる氏のエッセイを紹介してみました。もじりは私の中学生や高校生の頃にも流行っていて、仲間同士でよく遊んだものです。今ではすっかり廃れたようで、ほとんど見なくなりましたけど「風刺や批判をこめて」書くのは有用かもしれませんね。詩の復権への足掛かりになるかもしれません。
この「『大』浴場無情の歌」が作られたということは、前提となる「千曲川旅情のうた」が広く知られていたということです。今の若い人たちはおそらく知らないかもしれません。流行歌のもじりも良いけど、やっぱり日本の古典を使いたいものです。その意味でも当時の「労働者」は文学に対する知識が豊富だったのではないかと今更ながらに思います。
○季刊詩誌『GAIA』20号 |
2007.6.1 大阪府豊中市 上杉輝子氏方・ガイア発行所発行 500円 |
<目次>
斜めから見たイタリア風景/猫西一也 (4) 折り鶴/熊畑 学 (6)
月に想う/熊畑 学 (7) きもの/竹添敦子 (8)
酒場/海野清司郎 (10) 桜ふぶき/横田英子 (12)
花筏/横田英子 (13) <四匹の猫>
と椿/水谷なりこ (14)
花いかだと笹舟と/水谷なりこ (15) 水滴が一しずく地上に落ちる/国広博子 (16)
草原/立川喜美子 (18) 猫の手/春名純子 (20)
ハナス湖/小沼さよ子 (22) 祖母谷を経て/中西 衛 (24)
発する/中西 衛 (25) わが身つねって/平野裕子 (26)
私の見た土偶/上杉輝子 (28)
同人住所録 (30)
後記 横田英子
酒場/海野清司郎
縦に細い露地があった
そこの小さな路を通って
明るい大通りに抜け出していた
露地に一軒のbarが店を開いていることに気付いた
それから通るたびごとに
酒場を注意して眺めるようになった
暗い露地の窓に灯がともり
陽気なさんざめきの声が漏れて来ることもあった
雨の降るある夜
思い切ってbarの扉を押した
あいにく、その日は客は誰もいなくて
店は空いていた
手持ち無沙汰のママさんが
独りカウンターで退屈をかこっていた
まだ話にもなれない僕は
黙って二人でカード遊びをして過ごした
「まだ話にもなれない僕は/黙って二人でカード遊びをして過ごした」というのですから、子どもの頃のことなのかもしれません。しかし「雨の降るある夜」ですから、子どもではなく20歳そこそこの青春時代の思い出かもしれません。おそらく後者でしょう。20歳の頃の私にもそんな思い出はあります。酒もろくに呑めず、カウンターの片隅で背を丸めてウヰスキーを舐めている…。ほろ苦いけど、妙に明るさを感じていた時代。そんなものが伝わってきた作品です。
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