きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.4.8 神奈川県真鶴岬




2007.5.22(火)


 所要で渋谷に出たついでに、原宿の「太田記念美術館」へ行ってみました。もともと浮世絵を主とした美術館のようですが、イギリスのビクトリア・アンド・アルバート美術館から大量の浮世絵が里帰りしていると何かで読んで行く気になったものです。ミーハーで申し訳ありませんけど、やっぱり北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」、「甲州三島越」、広重の東海道五拾三次之内「鞠子名物茶店」、「金谷大井川遠岸」なんて良かったですね。これがあの有名な絵の原画かと思うと、ちょっとシビレました。勝川春章の「二代目坂田半五郎」、勝川春好「楽屋の初代尾上松助」なども、先日、初めて歌舞伎を観たせいもあって、とても身近に感じました。

 ここのところ我ながら歌舞伎や浮世絵・錦絵に興味が傾いているなと思います。たまたまそういうものに接する機会があっただけなのですが、若い頃のように観ようともしない、という状態は脱したようです。日本だろうが西洋だろうが、はたまたアフリカでも中近東でも、機会があればできるだけ接しようと思うようになりました。観てソンをした、ということはありませんからね。佳いものはできるだけたくさん観ておきたいと思います。その結果として作品に幅や深さが出ればメッケモンですけど、それはまあ副次的なこと。それを目的にする気はありません。
 そんなことを考えながら書棚の画集を眺めていると、『特別展 浮世絵−旧松方コレクションを中心にして−』(1984年東京国立博物館)を発見。今から23年前。私が34歳の頃に観に行ったときのもののようです。ふーん、意外と若いときから観ているジャン、と自分でも驚いています。展覧会に行って画集を買い求めるのは、のちの記録・参考のためと思っていますが、ヒョンなところから自分の精神史が判るのかもしれません。画集から眺める一人の男の歩んだ道…。うん、詩になるかな、ならないなぁ(^^;



詩誌『山形詩人』57号
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2007.5.20 山形県西村山郡河北町
高橋英司氏編集・木村迪夫氏発行 500円

<目次>
詩●父/高橋英司 2            詩●ナイヤガラの瀑布の前できみは/高啓 5
詩●萌える夢/木村迪夫 9         詩●俳と詩のコラボレーション/阿部宗一郎 13
詩●オカアチャン/菊地隆三 17
評論●超出論あるいは恋情という志向――吉野弘詩集『感傷旅行』論/万里小路譲 23
詩●垂直/平塚志信 29           詩●ショウザホワイトフラッグ/島村圭一 33
詩●「ただいま−」/大場義宏 36      詩●風・ヨシケイと私/山田よう 38
詩●あめふり花/佐野カオリ 41
論考●詩人としての真壁仁論デッサンの一試み 『日本の湿った風土について』のあたりで/大場義宏 48
後記 55



 父/高橋英司

父が定年を待たずに退職した時、正直、ぼくは驚いた。
生活の心配も勿論あったけれども、老年というには早す
ぎる年齢で、これからの人生を、残された時間をどう過
ごすつもりなのか、全く予測がつかなかったからだ。父
は寡黙な男で、自分の将来設計について家族に話すこと
はなかった。しかし、彼には彼なりに独自の考えがあっ
たのだろうと思う。ぼくを含め三人の子どもたちは既に
自立していたし、贅沢をしなければ暮らしていけるだけ
の蓄財が父にはあったようだ。余生を充実したものにす
るために、父は仕事を辞めたのだった。自分のために生
きるのだ、と彼は言った。具体的に何をするつもりなの
かと問うと、詩を書こうと思う、と父は答えた。詩を書
く? 一瞬、ぼくは詩吟を唸る父の姿を思い浮かべて、
何と風流なことを、と苦笑せざるを得なかった。浮かぬ
顔のぼくを見て、父は、俳句ではない、川柳でもない、
詩だ、と続けた。これまでぼくは父が書き物をしている
姿を見たことはなかったし、文学に関心を持っているこ
とにも気づかなかった。一体どんな詩を書こうというの
か、まるで見当がつかなかった。お前も知っている高村
光太郎のような詩だ、と父は言った。ぼくは言葉につま
った。
  *
退職後の父は、朝は家族の誰よりも早く起床し、一人で
畑に出て行った。わずかばかりの土地を耕し、種を蒔き、
畝を作り、雑草を取り、肥料を施し、丈の高い胡瓜やト
マトなどの作物に支柱を立て、季節ごとの野菜を育てた。
そんな父を見るにつけ、彼に相応しい本来の生活とはこ
のようなものだったのかという感慨に囚われ、長年の会
社勤めはやむなく選んだ生活の糧に過ぎなかったのだと
理解した。父はほぼ日の出と同時に目を覚まし、夜は食
事が済むと床に就いた。雨が降れば、座卓の前に胡坐を
掻き、巻紙を広げ、墨を磨っては毛筆を使って書き物を
していた。絵に描いたような晴耕雨読をぼくは半ば呆れ
ながら見守っていた。父は詩を書いていた。ぼくは父の
詩を一篇も読んだことがない。父はどこにも自らの詩を
発表しなかった。夕方帰宅したとき、屑籠の中に放り込
まれたいくつかの反故をぼくは目にした。確かに父は詩
を書いていた。自分のためだけに書いていた。

 身につまされる作品というものはあるもので、自分に引き寄せて申し訳ありませんが「老年というには早すぎる年齢で」「定年を待たずに退職した」私も、この「父」と似たようなものだったなと思います。「長年の会社勤めはやむなく選んだ生活の糧に過ぎなかった」のですが、しかし、そこで得たものは大きかったことは付け加えておきますが…。
 もちろん、この作品を事実と採る必要はなく、作者自身のことであるのかもしれず、また、まったくのフィクションなのかもしれません。ここで重要なのは最後の「詩を書いていた。自分のためだけに書いていた」という部分だろうと思います。「どこにも自らの詩を発表しなかった」父に仮託した、詩人の本来の姿を提示した作品と受け止めました。



詩誌『ハガキ詩集』225号
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2007.5.20 埼玉県所沢市   非売品
伊藤雄一郎氏方 ポスト・ポエムの会発行

<目次>
人生/安倍慶悦 2             嘘の匂い/根本昌幸 4
頑固者/根本昌幸 6
二行詩 四季の栞/渡辺 洋 7
四行詩
新しい朝/大重徳洋 10           うつつの里/高木秋尾 12
尻尾のように/大瀬孝和 14         午後の紅茶/伊藤雄一郎 16
後書き/伊藤雄一郎 20



 嘘の匂い/根本昌幸

おれは知らなかったのだが
嘘というものは
どうやら匂いがするらしい。
どんな匂いなんだろう。
甘いのか 辛いのか
それともしょっぱいのか苦いのか
おれもだいぶ嘘はついてきた。
男にも 女にも
たくさんの人に。
はては犬にも 猫にも
牛や馬にまでも。
かれらは嘘とは知らずに
おれを信じてきた。
おお おれがついた
たくさんの嘘。

そういえば うそという
小鳥もいたっけ。
美しい鳥で
あいつも嘘をつくんだ。
あいつの嘘は
どんな匂いがするんだろう。
桜の若芽を好んで食うから。
きっと桜の匂いがするだろう。
今年の春は
嘘をついた女を誘って
花見にでも行くとするか。
桜吹雪の中を
腕を組んだりして。
女はまたどんな嘘をつくだろう。
愛しているわ なんて
言うだろうか。
おれに。

 嘘をついたりつかれたり、もちろん私も「だいぶ嘘はついてきた」のは事実です。嘘とまでは言わなくても、喋らない、そのことに触れないというようなことまで嘘の範疇に入れると、「おれがついた/たくさんの嘘」は数限りないでしょう。創作も嘘と考えると、嘘で塗り固めた人生、ということになるでしょうか。
 この作品は最終部分の女の嘘も面白いのですが、「うそという/小鳥」は「きっと桜の匂いがするだろう」というところが美しくて良いですね。
 長くなるので紹介はしませんが、伊藤雄一郎氏の「午後の紅茶」も佳品です。60歳近くになった同級生の女性5人が、過去の恋愛経験を語る話。それぞれの思い出の男性は…。この展開は面白くて、書けません。機会を見てぜひ読んでみてください。アッと驚きます。



詩誌『アル』35号
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2007.4.30 横浜市港南区
西村富枝氏発行  450円

<目次>
●特集 色彩考
ロスコ…江知柿美…1            夕日賛…阿部はるみ…5
ときの色…平田せつ子…7          宝物…荒木三千代…9
ぜいたく…荒木三千代…11          生まれ…西村富枝…13
つるもどき…西村富枝…15
●エッセイ 胡同のひまわり…江知柿美…17
●詩篇
魚の骨…江知柿美…21            まぶた…阿部はるみ…23
闇…平田せつ子…25
編集後記…阿部・西村            表紙絵…江知柿美



 ときのいろ/平田せつ子

殺伐とした記事が
紙面を飾らない日はなくなった
殺人・傷害・子捨て・強盗・恐喝
は日常的で
誰も
驚かなくなっている
と言うより
他人事は他人事と
PCのように処理能力が早く
クリックひとつで
自分の外へ送信してしまう

なのに
この種のひとびとは同方向のイベントに弱い
弥生 三月
夢見月の年中行事 ホワイトデー
「義理チョコ」
のおかえしに男たちは振り回される
「かなわないなァ」
とボヤきながら
このときばかりは
光波のスペクトル組成の差異は
ほとんど
ないのだろう

都市は
人工の色彩で艶かしいほどに眩く
置き去りにされた
地方の山村は
時を染める絵具さえも見失って
ひがないちにちの
静けさのなかに
佇んだまま朽ちていく
「白地の赤」
の美しい国は混沌のなかで
音もなく
崩れていくようだ

 特集「色彩考」中の作品です。第1連の「他人事は他人事と/PCのように処理能力が早く/クリックひとつで/自分の外へ送信してしまう」というフレーズにギクリとしました。意識的に「自分の外へ送信してしまう」ことはありませんけど、パソコンの「処理能力」に慣れてしまうと、「殺伐とした記事」を素早く意識の外へ追い出している可能性は否定できません。
 最終連の「『白地の赤』/の美しい国は混沌のなかで/音もなく/崩れていくようだ」というフレーズも考えさせられます。この作品では第1連の「PC」と第2連の「同方向のイベント」を受けて最終連になっているわけで、その二つを特徴的に使っています。それを色彩として選び出した感性もさることながら、日頃からの問題意識の高さにも敬服します。佳品だと思います。



総合文芸誌『中央文學』472号
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2007.5.25 東京都品川区
日本中央文学会・鳥居章氏発行  400円

<目次>
◆小説◆
浅き夢見し/小田真理/2          スペインへ行ったこと/柳沢京子/8
アニーの抑留日記/本多 爽/26
◆詩作品◆
少年兵/寺田量子/20            花一輪/田島三男/21
夢の中/佐木雅子/22            永訣/佐々木義勝/23
●編集後記● 34
●表紙写真●ドイツ/ポツダム市/サンスーシー宮殿●



 小田真理氏の小説「浅き夢見し」は、35歳独身女性の片思いの話。行き着けのスナックで知り合った7歳年下の男とデートすることを夢想します。映画、ドライブ。男がバイクに乗っていることを知って、バイクの免許まで取ってしまいます。そして二人でツーリング。しかし、男が近々結婚することを知り「浅き夢見し」となる…。淡々と書かれていて、それが魅力となっている作品です。整備工場に勤める男の汚れていない爪やつなぎ服姿というディテールも丁寧に表現していると言えるでしょう。

 本多爽氏の「アニーの抑留日記」は小説なのか実録なのかは判りませんが、第2次大戦中に日本で抑留されたオランダ人家族の1年9カ月を描いた異色の作品です。一般にはあまり知られていない陸軍登戸研究所も登場し、その面でも価値のある作品と云えましょう。戦時中の自身の体験を主に書いてきた作者の、新たな転換になる作品だと思いました。



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