きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.4.8 神奈川県真鶴岬




2007.5.25(金)


 13時半から湯河原町「グリーン・ステージ」で開かれた櫻井千恵さんの朗読会に行ってきました。藤沢周平の「驟(はし)り雨」を朗読してくれましたが、今日は珍しいほどの大雨。作品世界と見事にマッチした天候でした。400字詰め原稿用紙40枚ほどの短編で、朗読は50分ほど。聴いているにもちょうど良い長さでした。作品の概要を、配られたリーフレットから採ってみると、

☆盗っ人がひとり神社の軒下で、雨がやむのを待っていた。その嘉吉の前で、雨宿りに足を停めた人々が繰り広げる、さまざまな人間模様。世をすねた盗っ人の胸にも何やら暖かなものが溢れてきて……。

ということになりましょうか。周平らしい人情味あふれる作品です。

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 久しぶりの大雨でしたから、聴衆も少ないだろう、ことによったら私一人だけかな? なんて思っていたのですけど、どうしてどうして、25人ほどの皆さんがお集まりでした。朗読に涙ぐむ人もいたようで、私も堪能させてもらいました。
 櫻井さんの小説の朗読を聴くのは、これで3回目だろうと思います。以前の2回は全編ではなく冒頭の部分だけ。続きを読んでみたい! という効果はありますけど、やはり読み切りというのも良いですね。フラストレーションが残りません。
 次回はどんなものを読んでくれるのか、今から楽しみです。朗読は文学を広めるという意味でも有効な手段だろうと改めて思いました。



季刊文芸同人誌『青娥』123号
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2007.5.25 大分県大分市 河野俊一氏発行 500円

<目次>
詩 またあした/河野俊一 2
  いつかゆっくり/河野俊一 5
  インディゴ・ブルーの宇宙/小野知子(愛読者作品) 8
「青娥」三十年記念短期連載「青娥」思い出の作品4 河野俊一 12
三十周年記念・同人への七つの質問 20
青娥のうごき 24
編集後記 24
表紙(夕暮れの舞鶴橋・大分県大分市) 写真 河野俊一



 またあした/河野俊一

この世には
けやきの並木があって
この世には
別れのあいさつもある
この世には
カマンベール・チーズがあって
この世には
ボサ・ノバもある
新しい朝の光がそそいだら
そのうちのいくらかは
手に入れることもできれば
手放すこともできる
(手放すことさえ!)
いらないものと
いるものは
時に仲睦まじい
わずらわしい時には
そっぽを向けばすむこと
きょうそっぽを向いても
いがみあったとしても
あしたになれば
頬をすりよせることがらがひしめいて
この世は成り立っている
きょうの夕焼けがつらく思えても
たわいないことばに痛みをおぼえても
やってくるあしたが
あしたのきみを待っている
だからこそ
おまんじゅうを半分わけするように
わかちあおう
きみとの
ささやかなあいことば
またあした
また
あした

 正と負、隠と陽、あるいは凹凸。そんな古風な言い回しでなくとも「けやきの並木」と「別れのあいさつ」、「カマンベール・チーズ」と「ボサ・ノバ」などで「この世は成り立っている」んだよと教えてくれます。「いがみあったとしても」「やってくるあしたが/あしたのきみを待っている」。だから「またあした」と言えるのかもしれません。この言葉は再会を意味します。再会することを念頭に措いて成り立つ世の中。向日的な見方と云えましょう。河野詩の真髄を見た思いをしました。



詩誌『詩創』5号
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2007.5.31 鹿児島県指宿市 350円
鹿児島詩人会議・茂山忠茂氏発行

<目次>

クジラ/茂山忠茂 4            農夫/茂山忠茂 6
待ち惚け/安樂律子 8           ブラックホール/安樂律子 9
黄金分割/安樂律子 10           春/安樂律子 11
久闊/安樂律子 12             母ゆずり/松元三千男 13
情報/松元三千男 14            息子よ 恋をしたときは/桐木平十詩子 15
小詩集 子供/徳重敏寛 19
(あの無心の所に    信と子供       あれで良(い)いんだ
 回心         笑ってこそ人間    バイバーイ
 幼女と仔(こ)猫    あなたも       その道を通って
 幼年時代と私たち)
爪噛むさびしさ/宇宿一成 36
「詩人会議」誌より転載
 光のしっぽ(五月号) 宇宿一成 38     破船(六月号) 茂山忠茂 39
 夫へ(六月号) 桐木平十詩子 41      詩集評(五、六月号) 宇宿一成 42
後記 50



 待ち惚け/安樂律子

体の隅から隅まで洗い上げて
丹精を尽くしてきた中学生の息子が
視線で母親の介入を拒む
少年は思春期を生きるのに懸命だ

随分と昔に大人がそうであったように
自我を支えて境界線上で踏ん張り
否も応もなく生み落とされた時代を生きる
体臭を少しずつ変化させながら

体力気力の衰えが過去を振り返らせる
成す事なく終わる人生を嘆息すれば
子どもに会えた奇跡を先達に諭される

休日の昼食を準備して帰宅を待つが
子どもは親に待ち惚けを食らわせる
随分と昔に大人がそうであったように

 「体の隅から隅まで洗い上げて/丹精を尽くしてきた中学生の息子」に介入を拒まれるようになった母親。それは「随分と昔に大人がそうであった」のだ思い至ります。さらに「子どもに会えた奇跡を先達に諭され」ます。しかし、やはり「休日の昼食を準備して帰宅を待つが/子どもは親に待ち惚けを食らわせる」という現実には辛いものがありますね。私もはるか昔、40年前の中学生時代を思い出しました。その当時の親心をようやく判ってきたように思います。子を持つ母の気持が素直に伝わってきた作品です。



詩誌『コウホネ』21号
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2007.5.25 栃木県宇都宮市
コウホネの会・高田太郎氏発行 非売品

<目次>
作品
鳴子が鳴っている/石岡チイ…2       浅い春に/星野由美子…4
人生図/相馬梅子…14            沈黙の村/片股喜陽…14
鬼影の坂/高田太郎…20
エッセイ
銀座区民会館/相馬梅子…6         向う川原は−/石岡チイ…7
母のことなど/小林信子…9         花追い/星野由美子…10
私の詩的体験(1)/高田太郎…12
連載 私の一冊一誌
『栃木県女流詩人選集』(第1集)/高田太郎
話の屑籠 同人住所録 後記
表紙 平松洋子



 鳴子が鳴っている/石岡チイ

どこか遠くへ行ってしまいそうな母が、敷地
から誰の目にも止まらず迷いださないように
鳴子が張ってあった。日没をきらって家の中
へ入るはずの母が その日どこにもいなかっ
た。人を捜す時、どうしてこんなに大きな声
がだせるのか、静かな私の村の夕暮れ、母は
返事をすることはない。認知症を患ってから
母は返事をしなくなった。鬼ごっこは誰もし
たくなかった。鬼になるのは、尚更きらい。

母は倉の裏の籾殻の中に、埋まるようにこご
んでいた。潜む鶏を息をころしておさえ込む
ように抱きすくめると、母は声も立てず土偶
のように砕けてしまった。母の欠片は無数。
一欠け一欠けすべて病葉。奇麗でもあった。

母は卵を産んでいたのかもしれない。その跡
を父が熊手で浚ったりしなければ、私にはち
ち茸のような弟妹がいて、味噌こし笊に大鋸
屑を敷いて温めながら持ち歩く日々だったろ
うか。

今頃、私の胸ではかすかに鳴子が鳴っている。
母親から娘に縫い物を教えられた遠い昔に、
犬歯でかみ切った木綿糸は鳴子の紐の端。
夕陽に類焼しそうな、土偶の母が私を生んだ
藁の家は、今日中に燃えてしまいそうだ。

 新同人の作品です。新同人の詩は歓迎の意味を込めて巻頭に置くことはよくあることなのですが、この作品にはそれもあるでしょうが、本当の実力を感じさせられました。具体的な現象のデッサン力と云い、「私」の抑えた心理描写と云い、一流の作品です。「母の欠片は無数。/一欠け一欠けすべて病葉。奇麗でもあった。」「夕陽に類焼しそうな、土偶の母が私を生んだ/藁の家は、今日中に燃えてしまいそうだ。」などのフレーズに特にそれを感じます。力量のある新同人を迎えて、『コウホネ』誌の益々のご発展を祈念しています。
 なお、3連目の「ちち茸」には傍点が付けられていました。
html形式ではきれいに表現できませんので省略してあります。ご了承ください。



日下新介氏詩集『塩せんべいの唄』
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2007.5.25 東京都豊島区 詩人会議出版刊 2200円

<目次>
 *
終着駅 6                 塩せんべいの唄 9
橋 14                   二度芋の唄 17
涙 20                   ウォーキング 22
姉 24                   繭のうた 26
断唱 30                  一人の死 40
重い河の流れ 42              書かれない叙事詩 45
春を 46                  遺言 47
菜園 50                  花 二篇 53
 *
風景 58                  地吹雪の花に 60
秩父困民党蜂起の里 64           魯迅の国 67
戦争を彫刻している 70           残念石 72
寿陵 74                  戦争 77
 *
吹雪の中で 82               ブラックコーヒー 84
夕張鹿鳴館にて 88             石狩湾新港にて 92
柱時計 95                 高齢化 98
地球の未来のために 101
.          狙い撃ち 104
新しいノート 106
.             茜色の雲に抱かれて 110
虚報を超えて 113
.             草の根考 117
問いかけ 120
あとがき 124
装画/喜多順子 デザイン/雑草
(あらぐさ)出版



 塩せんべいの唄
   ――20世紀の終わりに

「帰ったゾー」
月の光りを浴びた庭の茂みの中から
じいちゃんの声がする

孫たちはいっせいに母屋から飛び出して
じいちゃんの住む離れの蔵にむかう

バリバリと塩せんべいが口の中ではじける
三里の道を町から歩いてきたじいちゃんの
孫への土産はいつも塩せんべいだった

ぼくが生まれる前には
東京の大学まで行って小説家を志していた叔父は
新しい時代をつくるたたかいの入り口で死んだという

それから数年がたって
生涯を蚕と借金苦の中で過ごした祖母が死に
養子にいって家を去った
もうひとりの鉄道員で歌詠みの叔父も死んだ

じいちゃんは庭の草取りの仕方をていねいに教えてくれた
ぼくが離れの蔵に行くと
じいちゃんは万年床の前で
出版のあてのない仏教の研究書を書いていた

ある秋の日
寺の境内で遊んでいたぼくに
「すぐに帰ってくるから」
と言い残して入院した母は
翌年、深い雪の中を死んで戸板に乗って帰ってきた

母の生きているうちは
盆踊りの楽しみさえ許さなかったじいちゃんだったが
遺された五人の孫を案じてか
泣きわめきながら家の中を歩き回った

その年の暮れ
じいちゃんは家族に見守られながら
大きな仏壇の前の座敷で
静かに息をひきとった

じいちゃんが守り育ててきた
わずかばかりの山と田畑と大きな家の建物は
小説家志望を断念した父に引き継がれ
それをまたぼくの兄が引き継いだ

じいちゃんが死んでから五十数年の後
父と兄が同時に死んで
家は縁遠い世代に受け継がれて便りも途絶えがちだ

ぼくは異郷の地で
インターネットをあやつる孫たちと隣り合わせに暮らして
じいちゃんの死んだ年齢
(とし)に近づいている

戦争があり
貧困と病気があり
特高の目が光り
特攻をめざしたぼくがあり
母屋が焼け
それでも
新しいいのちと希望をはぐくんできた

じいちゃんの蔵と家とは
はるかな故郷の川の辺で
新しい世紀へと引き継がれていく

じいちゃんの塩せんべいは
小さな彗星のかけらのように
ひとつの痕跡を残して


 1987年の第1詩集以来、8冊目の詩集だそうです。反戦思想と人間愛に貫かれた気骨のある詩集と云えましょう。紹介したのはタイトルポエムです。「じいちゃんの塩せんべい」をモチーフとしながら家族の歴史を描き、それがそのまま日本の現代史を証言する作品になっているのは、著者の視座の正しさに拠るものだと思います。副題に「――20世紀の終わりに」とあります通り、「戦争があり/貧困と病気があ」った20世紀の、いわば総括の作品ですが、視線は「新しい世紀へと引き継がれてい」ます。
 他に「菜園」「秩父困民党蜂起の里」「残念石」「草の根考」などにも感銘を受けました。歴史を知ることは未来を知ること。この詩集にはそんなメッセージも込められていると読み取っています。



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