きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.4.8 神奈川県真鶴岬




2007.5.26(土)


 妹の嫁ぎ先のおばあさんが昨年亡くなって、今日は納骨式でした。お墓がなかったので、新しく静岡県小山町の冨士霊園に求めていました。ごく近しい親族だけが20人ほど集まっての、ささやかな式でした。納骨の前には御殿場市の、これも小さな教会で慰霊祭が行われ、久しぶりに賛美歌を歌いました。私はクリスチャンではありませんけど、妹の家族は親の代からのクリスチャンです。

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 写真は冨士霊園で新しいお墓を囲んで。行ったことがある人はご存知かもしれませんけど、整然とお墓が並んだ様子は美しいものです。妹家族のまわりはまだ入居者≠ェありません。義弟が「まだ空いてますから義兄さんもどうぞ」なんて冗談を言ってましたけど、即座に断りました。冨士霊園には日本文藝家協会が管理している「文学者の墓」があるんです。私は其処に入るつもり。彼らにも時間があったら案内してやろうと思いましたが、文学者の墓の話を始めると、興味がない様子。こりゃあ駄目だと諦めましたね。

 昼食は246号線近くのレストラン。20歳になったばかりの甥に無理矢理ビールを進めて顰蹙を買ってしまいました。「だって旨くないんだモン」は甥の弁。よっしゃ、おぢさまが旨い酒をご馳走してやる! 近いうちに姪たちも含めた4人姉弟を呑みに連れ出すことにしました。
 自分の親族を褒めるのもヘンな話ですが、いずれも20代の姪と甥は今の世では信じられないくらいの素直な若者たちです。そんな家族と同居していたおばあさんは、いろいろ大変なこともあったようですけど、最期は安心して逝ったのではないかと思っています。安らかにお休みください。



全美恵氏訳『しろいは うさぎ』
クォン ユンドク 文・絵
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2007.5.25 東京都文京区 福音館書店刊 1200円+税

 福音館書店の「世界傑作絵本シリーズ・韓国の絵本」です。訳者の全美恵(チョン ミヘ)さんから頂戴しました。カバーには読んであげるなら3才から、じぶんで読むなら小学校初級むき≠ニ書かれています。「くものすは しろい」「しろいは うさぎ」と尻取りのように続く絵本です。ここでは全美恵さんの後書にあたる言葉を紹介しましょう。

 しろいは うさぎに ついて チヨン ミヘ
 この絵本は,済州島
(チェジュド)の人々に唄い継がれてきたわらべ唄をもとにつくられたものです。韓国の最南端に位置する済州島は気候が温暖で,日本にいちばん近い外国です。
 絵本にある“シリドンドン コミドンドン”の“コミ”はクモのことで,“シリドンドン”は,クモが糸にゆらりとぶら下がっている様子を表現した済州島の方言です。
 済州島のいたるところでみられる黒い溶岩の石垣のすき間や,かやぶき屋根をおおう縄の粗い網目は,強い風にも倒れないための工夫です。家の中央には“マル”という板の間があり,その奥の裏庭には甕
(かめ)がみえます。この甕は韓国ではどこの家庭にもあり,水や漬物やみそなどを入れておくものです。
 女の子は蒸
(ふ)かしたジャガイモをお友だちと分け合って食べます。いつも笑顔の母親は,水中メガネと浮きのついたカゴをもって海にもぐり,ウニなどをとるのが仕事です。
 最後の頁は,明かりを灯した家の軒下に履物が二つ。この島ではその昔,男が漁に出て命をおとし,残された女と子どもが多かったといいます。絵本のなかに四角い石垣で囲まれたお墓が描かれています。このお墓からも,また,女の子を見守るように描かれた岩山の表情からも,父親の存在が感じられます。
 母親のやさしい愛情と生きる力強さ,そして,心のなかに生き続ける先人の魂……。この絵本の翻訳を通して,作者が伝えようとした深い意味を知ることができました。

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 この中で紹介されている「明かりを灯した家の軒下に履物が二つ」という絵は印象的です。子どもにその意味を伝えることは難しいかもしれませんが、大人には感動的に伝わってくるでしょう。書店でお求めいただければと思います。



個人誌『伏流水通信』23号
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2007.5.25 横浜市磯子区
うめだけんさく氏発行  非売品

<目次>
詩 古るき日の詩(うた)…長島三芳 2
  無言の風…うめだけんさく 4
  *
フリー・スペース(22) のっぺらぼうのヒマワリ…村野美優 1
  *
<エッセイ> 『兵藤和男と横浜の画家たち』を読んで…うめだけんさく 6
 *
後記…8
深謝受贈詩誌・詩集等…8



<追悼詩>
 無言の風 ――詩友Hの死 /うめだ けんさく

矢のような風が吹く
ぼくの脳天を突き抜けていく矢じり
そいつが疼かせるのか
だれにも止められなかった途絶のとき
いつもなら きみは緩やかな風を運んでくるのに
だが今夜は違った
おれは無言の風に打ちのめされていた

頭の中を五十年が走り回っているよ
巨大製鉄所での出会い
煤煙の空の下で語り合った日々を甦らせる
それなのに
きみの姿がこの世から見えなくなる夜
きみはぼくの目の奥から去っていく

きみは時間を重ねた分量の詩篇を残してはくれたが
バカなおれは
きみのきみたる本当の姿が
いったい何であったのか
分からずじまいのままだ

川崎の小さなアパートで
窓を開ければ煤煙を含んだ風を受けて
将棋をさしては
倦怠の日々をやり過ごしたこともあった
そんなときおれは
きみの知略に長けた盤上の指先しか見ていず
心の中へは行けなかった
いまとなってはそれが情けなくてならない

きみが東京のほうへ引っ越したとき
高円寺だったか
木造アパートの部屋は四畳半で
白い粉が被いかぶさり
薬臭い強烈なお出迎えだったことを思い出す
DDTだった
頭の天辺からパンツの中まで
それは戦後日本のいたるところを支配した臭いだ
部屋の真ん中に机が陣取っていて
畳のわずかな隙間に本が積まれ
ノートや紙屑が散乱していた
それはまさに混沌の世界であり
きみだけの神聖な空間であったのかもしれない
同時におれたちの生きる時代そのものであった
汚れたコップに酒を酌み
動けば白い粉塵の舞う春の夜
押入れの寝床にもぐりこんで
安部公房やカフカや島尾敏雄を話したよね
あれできみの精神的拠所が少し分かった気がしたが
きみの心を支配した真実を知らずじまいだった

「窓の朝日」や「風」
「夜の顔をした音」など
きみの紡いだ詩の純性を見つめて
あの神聖な空間に生まれたことばを思い出している
きみもおれも口下手だった
だから人生を上手に生きられず
女にも詩にもてこずっていたよな
胸の奥底に澱んだものは
つたない詩の中で
風に乗せて飛ばそう
そのことばのきれはしとともに
きみの本当の心は
何処かの空を舞っているのかもしれない

 後記によると「詩友H」は日本詩人クラブの会員でもあったひらたきよしさんとのこと。今年の2月に73歳で亡くなっています。私が生前のひらたさんとお話しさせてもらったことは恐らくないと思うのですが、作品は詩誌『獣』で拝読していました。しかしひらたさんの「精神的拠所」に「安部公房やカフカや島尾敏雄」があったことは知らず、この作品で初めて判った次第です。その意味でも人間を描く追悼詩は重要だなと思いました。「きみもおれも口下手だった/だから人生を上手に生きられず/女にも詩にもてこずっていたよな」というフレーズはお二人の共通項として描かれていて、共感の持てる部分です。「あの神聖な空間に生まれたことば」も共通のものでしょう。深い交遊の中から生れる追悼詩というものを改めて考えさせられた作品です。



『漉林ミニ通信』1号
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2007.6.1 川崎市川崎区
漉林書房発行  160円

<目次>
末期癌になる/田川紀久雄
コンニチワ 悪性新生物サン/坂井のぶこ
小石を池に投げる/田川紀久雄



 末期癌になる/田川紀久雄

 四月二五日に日本鋼管病院に入院する。五月一七日にいったん退院。
 医師が言うには、手術ができないということ。そして杭癌剤の治療を続けながら様子を見る。週一回一日入院して抗癌剤の点滴を行なうことになった。
 いまのところ、ろくに食事がとれない。胃の痛みで食事が入っていかないのである。
 医療費の支払で、生活が困窮しそうだ。
 漉林に関わった方々に、DVDの購入をお願いしている。これは四月一二日にストライプハウスギャラリーでソロライブを行った折のもので、肉聲のみの詩語りである。頒価三二〇〇円。
 これから死までの間、詩人として生きていたい。そして、最後の詩集も上梓したい。
 我が儘な、生き方かもしれないが、皆様の暖かい支援をお願いいたします。
 末期癌にかかっても、私は悲しんではいない。そのことによって、本当に詩人として生きていたいという強い心になった。生命の尊さを私の言葉で書いてゆきたい。そして愛する者たちへの詩を残したい。
 三週間近い入院生活で、最後の詩集の第一章「見果てぬ夢」を書き上げた。そして第二章は「生命の旅」の予定である。
 人生は長生きするだけが目的ではない。如何に自分らしく生きるかである。
 詩誌『漉林』も一三七号で終わっているが、身体の調子がよくなったら最終号を出したいと思っている。当分は漉林関係の仕事は中止して第二章の『生命の旅』の仕事をしたいと思っている。
 病院にお見舞いに来ていただいた方々に心よりお礼を申します。それにカンパを頂いた方々にも。

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 これ以上つけ加えることはありません。ご本人が公表している以上、ご本人の意思を尊重して見守りたいと思います。



『漉林ミニ通信』2号
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2007.6.10 川崎市川崎区
漉林書房発行  160円

<目次>
抗癌剤の治療/田川紀久雄



 抗癌剤の治療/田川紀久雄

 第一回の杭癌剤治療が五月一五日(火)に行われた。数日身体の調子も良かったが、金曜日からまた食事が胃に入らなくなった。三日間で体重が四kgも減った。
 二回目が二二日(火)である。十時に入院。血液検査と尿の検査。血液検査の途中で血管が急に細くなり、やり直し。
 午後から、栄養剤・輸血。抗癌剤の点滴を始める。やはり腕の血管が細いため、何度も注射針を打ち直す。点滴が終わったのが夜の十一時十分。
 翌日、気分爽快。食事がまた食べられるようになる。一日入院なので、請求書が出てから帰宅。
 帰宅してからは、自分自身との闘いである。食事療法に気を付けながら未来に生き抜く力をつけてゆきたい。
 二十三日(水)に詩集の版下を作成する。タイトル『見果てぬ夢』これは【未来への旅】という詩集の第一章目である。生きているうちにどんどん纏めていかないと誰も詩集など作ってはくれない。詩集を作るという希望が私の末期癌の治療を支えてくれる力にもなる。
 そして、これから『生命について』というお話もしてゆきたい。お話とミニライブを出来る限り行いたい。呼んで下さる方がいれば、交通費だけで出前をしたい。
 二十四日、またもとに戻ってしまった。食事が思うように食べられない。杭癌剤の点満を行った日は気分が良いが、そのまま気分が持続しない。倉田良成さんからtabというコピー形式の詩誌が送られてくる。このような方法で新しい手作りの詩誌を発行するのも良いかも知れないと思った。
 先ずは準備号を。原稿が集まり次第発行してゆきたい。医療費の支払いのためにも。
 果たして参加者が集まるのか不安ではあるが、生きているあいだは、全力で生きていたい。何処まで出来るのかは定かではないが……。

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 こちらもこれ以上つけ加えるべきではありませんが、一言。「詩集を作るという希望が私の末期癌の治療を支えてくれる力にもなる」という点に感銘しています。



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