きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.5.20 栃木市 とちぎ蔵の街




2007.6.1(金)


 月並みなことを書いてしまいますが、6月です。今月が終ると今年も半分を過ぎたことになって、月日は百代の過客にして、と芭蕉さんの偉大さを改めて感じてしまいますね。
 で、埋草。今月の写真は「
とちぎ蔵の街」にしました。この写真の左の方に「山本有三ふるさと記念館」があったと思います。5月20日に行ったときは時間がなくて訪れませんでした。写真すら撮りませんでした。いずれ行くつもりでいますから、そのときにしっかり撮ってきます。今回はそれとは関係なく、通りがかりに撮った「三枡屋本店」にしました。電線は地中に埋められ、雰囲気の良い街です。一度行ってみてください。お薦めの街です。



名木田恵子氏詩集『フィフティ』
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2004.11.28 東京都港区 瑞雲舎刊 非売品

<目次>
朝のしあわせ 6
秘密 8       歌声 10
みんな知っている 12 頭上の花束 14
ふたりごと 16    秋の雛 18
イコール 20     バレンタインディ 22
押し花 24      海の言葉 26
風文字 28      雨の籠 30
宝の地図 32     初雪 34
幻の子供 36     吸哀器 38
生命のねじ 42    不在 44
鍵 46        心臓の檻 48
便り 50       花の墓場 52
坂道 54       けし畑 58
ストロウ 60     カラス 62
三日月 64      蜚 66
マジシャン 68    もっといい音 もっといい曲 70
フィフティ 72
あとがき 76



 フィフティ

フィフティ
つぶやくと 飛べそうな気がしてくる

少女のころ
心の中に飼っていた 白い鳥
わたしをおいて
飛んでいってしまった
わたしが 大人になる前に
どこか 遠くに
つれていってくれるはずだったのに

わたし いつのまにか
フィフティ
年齢だけは 大人といわれるようになって
気がついた
あの白い鳥は 羽を一枚
残していってくれたのだ と

そっと 背中にふれてみる
背骨 と呼んでいる わたしの白い羽のしるし

フィフティ
背中の羽が 育っていく

いつか
大きく はばたけるように
いたみを 強さにかえて
羽を 誇らしく 広げられるように

こんどこそ
飛んでいける
わたし自身が 白い鳥になって

 詩集のタイトルポエムを紹介してみました。「フィフティ」は「フィフティ/年齢だけは 大人といわれるようになって」とありますから、50歳という意味で良いと思います。「少女のころ/心の中に飼っていた 白い鳥」が「わたしが 大人になる前に/どこか 遠くに/つれていってくれるはずだったのに」、今は「わたし自身が 白い鳥になっ」たという比喩そのものが50歳という年齢を現していると言って良いでしょう。「いたみを 強さにかえて」しまえるのがこの年齢なのです。私も50歳を7年も過ぎた今になって、当時のことを思い起こすとそう感じます。癖のない素直な作品であり詩集だと思いました。



詩誌Messier29号
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2007.6.1 兵庫県西宮市
香山雅代氏編集  非売品

<目次>
群生/藤倉孚子 2             もう聞えない/藤倉孚子 5
既視感/竹田朔歩 6            踝/竹田朔歩 9
春日/大西宏典 12             晩夏/大西宏典 14
河津桜が満開という/松尾直美 16      印象/内藤恵子 18
木洩日−位相あるいは可視のヴェール−/香山雅代 19
 挨拶/光の橋となって/非在の羽音/河
星間磁場
茅茸になりたかった家/藤倉孚子 24     大埜勇次氏の「幽棲美学」続/松尾直美 24
日本人の詩情/内藤恵子 26         ある日の観能から/香山雅代 27



 群生/藤倉孚子

もやにつつまれて
さだかには見えぬ原生林の奥から
湧きでて流れ行く水
しばらくは上流の魚のにおいを運び
急流を下り においを消し
行く手をさえぎられると
密度を増してたゆたい
ざわめく風景をしずめる
蔓性の植物がはんもする夏
大木にまとわりついて
細長くのびていくものが
まわりを圧して存在感を増す
山はいつ噴火するかもしれないのに
大木にはやどり木も寄生している
いっときの休息か

こわれた水車のある水車小屋に
旅芸人が雨宿りしている
笠を脱ぎ
板の壁にもたれて
水車の残響のなかに
弦をはじく音を聞く
雨脚がはげしくなり
かすかな音はかき消され
林にひろがって行くのは
雨の音か
鳴り止まぬ拍手か

とどまるかにみえて
さらに下っていく水
うすくひろがり
群生する草花に迎えられ
ゆったりと通り抜ける
夜を待つ花
一夜あければ
はなやかにはかなく
水にかおりをうつしてしぼむ花
台風ともなれば
はこばれてきた巨大な蛾もろとも
濁流となった水に
あらあらしく呑みこまれてしまう

 タイトルの「群生」は、最終連の「群生する草花に迎えられ」から採られているようですが、主題はあまでも「水」だろうと思います。「行く手をさえぎられると/密度を増してたゆたい/ざわめく風景をしずめる」水。「とどまるかにみえて/さらに下っていく水」。「濁流となった水」。次第に激しくなっていく水の態様そのものを「群生」と捉えても良いのかもしれません。その水によって「夜を待つ花」、「水にかおりをうつしてしぼむ花」は結局のところ「濁流となった水に/あらあらしく呑みこまれてしま」います。それ以上の深読みをせずに、このまま鑑賞するのが正解なのでしょうが、私はどうしても水の喩、花の喩を考えしまいます。歴史と個人という観点で。堪能させていただきました。



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