きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.5.20 栃木市 とちぎ蔵の街




2007.6.10(日)


 日本詩人クラブ長野大会の2日目。今日はバス2台を連ねての
文学散歩。長野市立博物館〜松代城址・真田邸〜真田宝物館・文武学校〜北野美術館〜小布施葛飾北斎館・街並み散策のコースを巡りました。藩校・文武学校、北野美術館が特に良かったです。文武学校の柔道場の板張りには懐かしさがありました。北野美術館は何でもありでしたが、日本人の洋画家作品には見るべきものが多かったように思います。木村荘八は特にそうですね。3点ありました。藤村「破戒」の原本、直筆の「千曲川旅情の歌」も必見と言えるでしょう。

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 写真は真田宝物館裏の庭園で、だったと思います。日本詩人クラブHPにも似た写真を載せましたが、あちらは最大人数、こちらは最少人数のときのものです。
 文学散歩は行く処が多くて、ちょっとハードでした。でもバスの中では普段、話ができない人と話したりして有意義でした。雨もちょっと降られただけ。まずまずのお天気、というところでしょうか。

 解散のあとに仲のよい連中と菱野温泉に向いました。もう1泊して、明日は軽井沢経由で群馬県榛東村の「榛名まほろば現代詩資料館」に行く計画になっています。菱野温泉に行く前にちょっとだけ東山魁夷美術館に寄って、美術館三昧の1日でした。
 菱野では常盤館という温泉旅館に泊まりましたが、とてもユニークな旅館でした。旅館より標高で50mも上に露天風呂があります。そこまで行くのに、なんと専用のケーブル・カーに乗るのです。旅館では登山電車と呼んでいました。正確にはケーブルが無いので、そんな呼び名をしているのかもしれません。まさに登山。箱根では旅館専用のロープウェイで行く温泉がありますけど、あそこは確か谷底に降りるんだったと思います。ここは山頂を目指します。小諸の街を眺めながら入る露天風呂は最高でした。



文芸誌『墾』45号
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2007.6.1 長野県上田市
平野勝重氏発行  250円

<目次>
小田英 昭和一〇年日記考(5)/岩田 信
女たちの上田(一九)−近世地方女性史攷−/尾崎行也
文学に見る上田の情景 昭和戦後篇(一)/平野勝重
掌篇時代小説 袷のころ/片桐京介
上田写真館・士族の老女
カレードスコープ/彫・毛利雪 詩・平野光子



 カレードスコープ/平野光子

闇をのぞくと
華麗なひかりの世界が表われる
カレードスコープ
それはまるでこれからやってくる
大人の世界を
のぞきみる気持だった
魔法をかけるのは自分自身で
つぎつぎと
あたらしいカタチを造型するのも
自分ではないかと
しだいに錯覚していった
まばたくまに
未知の明日がやってくる変化
その驚きと苛立ち
合理的な営みのなかにも
美しい抒情があるから
人は生きてゆけるのだと
わたしは思うのです

 日本詩人クラブ長野大会で平野光子さんより頂戴しました。平野さんの詩作品を紹介しますが、この詩の下には毛利雪さんという方の木版画が貼り付けられています。10cm四方の「カレードスコープ」を模したと思われる美しい絵です。
 作品は「その驚きと苛立ち」というフレーズが重要だと思います。このフレーズを前後して詩は大きく二つに分かれています。前半では「つぎつぎと/あたらしいカタチを造型するのも/自分ではないかと/しだいに錯覚してい」き、後半で「合理的な営みのなかにも/美しい抒情があるから/人は生きてゆけるのだ」と結論付けます。万華鏡が繰り広げる世界を見事に内在化させた作品だと思いました。



隔月刊誌『新・原詩人』12号
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2007.6 東京都多摩市 江原茂雄氏方事務所 200円

<目次>
《この詩]》時間と空間の詩人−大江満雄論(3)/羽生康二 1
読者の声 3
無援/神 信子 4             明日の位置について/まつうらまさお 4
奈良の郷/萩ルイ子 4           サッカー/丸山愛・裕子 4
酒呑み/伊藤真司 5            超大陸パンゲア/佐相憲一 5
治安維持法の予感/山田塊也 5
《多摩川シリーズ2》多摩川大橋と矢口の渡し/江 素瑛 6
事務局より 6



 明日の位置について/まつうら まさお

味噌汁の湯気に
朝を感じながらも
海苔のない結びに
満腹を覚えながらも
肉の量の少ないすき焼き鍋
つつき合っていても
夜半の夢の中にも
込み上げてくるものがある。
脳髄を駆け巡り
瞬時も離れない。

孫たち、その子供たち
明日の位置についてだ。
日本の明日の行方
世界の立場についてだ。

『君が代』  『日の丸』
『お国の為に』
『天皇陛下のおん為に』
かつての体験と
『教育基本法改正』
『憲法改正』
『美しい国 日本』
真正面から流され
飛んでくるものと重なってだ。

と同時に
年金、老年医療の改正で
平均寿命が短くなるに逢いない。

   (「眼」179号より)

 「明日の位置について」考えさせられる作品です。「日本の明日の行方/世界の立場」はいったいどうなってしまうんだろうと考え込んでしまいます。それが「真正面から流され/飛んでくるものと重なって」いるという視点は秀逸だと思います。最終連の「平均寿命が短くなるに逢いない」という洞察は、作品としては鋭いのですが現実には怖い話ですね。



詩誌『堅香子』創刊号
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2007.6.5 岩手県岩手郡滝沢村
吉野重雄氏方「堅香子」の会発行 800円

<目次>

渡邊眞吾/堅香子 一輪 2         大村孝子/夕鶴−日本むかしばなしより− 5
斉藤駿一郎/郷愁のすず 8         斉藤駿一郎/きょうね 10
長尾 登/伊豆の旅 12           長尾 登/小さな寓話 15
森 三紗/ボリショイサーカスのジギド 16  白石昌平/影絵 18
白石昌平/日参 19             永田 豊/流れに沿って 20
永田 豊/水 23              かしわばらくみこ/りぶふらわー 25
黒川 純/やはり快晴がいい 29       佐々木光子/聖五月 32
佐々木光子/追憶の夜廻り 34        佐々木光子/顧みて 36
上斗米隆夫/還る−里山にて− 37      蟹澤小陽子/街の影 40
エッセイ〈詩とその原風景〉
大村孝子/アネモネのうた 42        長尾 登/吾が詩の原風景−北辺の幻の曠野− 44

斎藤彰吾/小郡
(おごおり)の、風に吹かれて 47  千葉祐子/さようなら 51
千葉祐子/菜の花便り 53          朝倉宏哉/西郷隆盛銅像前に集合せよ 55
藤野なほ子/焼く 58            藤森重紀/ナトコ映画 61
藤森重紀/新婚の石 64           糠塚 玲/坂道 66
佐藤康二/久慈海岸 68           佐藤康二/ランカスター鉄道 70
佐藤康二/傘 71              八重樫哲/篝火 72
吉野重雄/第六感 74            吉野重雄/カタゴ 76

寄せ書き 78     伝言板(かたかご・らんど)83
編集後記 84     同人名簿 85
表紙題字・岩手墨滴会会長阿部宏行  装丁・田村晴樹



 ナトコ映画/藤森重紀 Fujimori-Shigeki

 ――ぼくらは毎月の巡回映画を
   こう呼んで楽しみにしていた。

早めの夕食。毛布持参。
県道の水溜り。薄く凍結。
かりかりと踏んで出向く。
小学校の講堂。映写技師は宿直憲一先生。
こんばんは。おばんであんす。
メトロニュース。秋場所鏡里優勝!
トニー谷長男無事・逮捕!
暗転。座り直す観客。咳払い。
岩に砕け散る水しぶき。迫って来る白三角。
息とめてみいる観客に迫って来る東映。
血槍富士。主演片岡千恵蔵。
加東大介。月形竜之介。喜多川千鶴。
客みじろがず。固唾のむのみ。
とある宿場町。どろぼうの眼光。
酒ぐせ悪い主従。不安。
身売りされる田代百合子。みあげる瞳の哀れは本物。不安的中。善人殿様。無
惨の最期。
ここで休憩。点灯。次のフィルムはまだ。

小便に行くべ。吹き抜ける風。ドアちゃんと閉めろちゃ。
だら撒きやるすか? タバコ納め終わったらね。干す柿食うすか? あらぁ、
ご寧さまだこと。走り回る子ども。寝ている子ども。

オートバイ爆音接近。第二部やっと到着。
消灯。ついに千恵蔵の忍耐、大爆発。
倒れた侍。ことごとく蒸発し、いきなり真っ白。なんだ。無人。どうした。あ
の世とこの世。おい。天国と地獄。鋭い口笛。すみません。フィルム切れまし
た。

すばやく点灯。まぶしい。
みわたす。ゆきこさん。あっちに来ている。
毛布の足先。冷える。炒り豆かじる老婆。
子どもの泣き声。飛び火する。なま欠伸。
急かす口笛。なぜか、どっと笑い声。
まもなく暗転。
大写し。千恵蔵。狂気。両眼。血走る。
髪。ふり乱し。迫る。
大槍。遠心力利用。観客に迫る。
亡き殿のためスクリーン独占せよ。
観客全員大拍手。拍手におどろく幼児多数。
仇討ち成就。千恵蔵は肩おとして無口。沈黙。
孤愁の主役。これから何処へ。
終。
会場いっぱい菅原ツヅ子。
月がとっても青いから
今宵の余韻をひかりにかえて
家路をたどる。提灯行列。祭りのごとく。
水溜りのかりかり。割れる音にぎやか。
日めくり。
昭和三十一年二月三日(金)かのえね一白先負。
岩手県東磐井郡追分町立仙具太小学校講堂。
根雪残る立春前夜。ことし最初の巡回映画。
観客数老若男女百二十余。

 「昭和三十一年」の「巡回映画」の様子ですが、私にも覚えがあります。私が観たのはそれから6年ほど後ですから、おそらく最後の世代でしょう。やはり「小学校講堂」と野外で観た記憶があります。
 作品は昭和30年代の風俗を描いているわけですけど、21世紀の現在の時点から見て考えることは多いように思います。映画はもちろん現在も存続し、往時の観客動員数こそありませんがそれなりの力を持っています。それに対して当時は「観客数老若男女百二十余」。しかし、ここで私は数を問題にしようとは思いません。観客の質です。名前も年齢も、場合によっては性別さえ不明な人たちと一緒に観る現在の映画。それに対して「こんばんは。おばんであんす」と挨拶を交わし、「小便に行くべ」「ドアちゃんと閉めろちゃ」「干す柿食うすか?」と普段着で観る映画。この差異を考えてしまいます。どちらが良い悪いではなく、この半世紀ほどの変貌を作品は問い掛けているのではないでしょうか。過去を振り返ることは未来に思いを馳せること。その切っ掛けを与える作品だと思いました。



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