きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.5.20 栃木市 とちぎ蔵の街




2007.6.13(水)


 愛犬百個(ももこ)を美容院に連れて行きましたけど、そこで驚くべき事実が判って、いまだにショックです。来月の予約を取っているとき、店の奥さんがお休みの日にしようとしたら、駄目だと言うのです。「百個ちゃんは、もうトシですから私以外では駄目なんです」。
 比較的、人なつこい犬ですから、店の亭主でも他のトリマーでも交代にやってくれているんだろうと勝手に思い込んでいました。なぜ駄目か、どんな風に駄目なのか詳しくは聞きませんでしたけど、意外と人見知りしているんだ、ストレスもあるんだろうなとようやく気付いた次第です。ヒトは誰もが自分の経験と知識で物事を判断するものですが、その軽さを知らされた思いでショックでした。書くのも気恥ずかしいことですが、私は比較的冷静に観察して分析する方だと思っています。もちろん相手が犬でも同じです。しかし、私の眼が届かないところで彼女は私にも見せたことのない行動を取っていたのです。観察≠フ底の浅さを思い知らされました。
 一人の人間が、例え相手が犬であっても100%捉えることはできない…、考えてみれば当り前の話ですけど、どこかで勘違いをしていたようです。ショックは大きかったのですが、良い経験でした。



丸本明子氏詩集『花影』
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2007.6.27 大阪市北区
編集工房ノア刊  2000円+税

<目次>
花影 6       流れていく 9
黒蝶 12       ざわざわ 15
ぶら下がる 18    黄水仙 21
きりきり 24     雨垂れ 27
蹲る 30       繕う 32
手袋 35       花弁 38
紙風船 41      追い風 44
 *
夢候 48       庭 51
風 54        炎天 57
潰れる 60      土筆 63
侘助 66       ぼこぼこ 69
歩道橋 72      点々と 75
落葉 78       乱反射 81
遮断機 84      首吊り 87
残月  90
 *
あとがき  92



 花影

モザイク模様に
嵌まり込む
折々の事象

語り合って
魂と魂を鎮めて
痛みと痛みを鎮めて

生と死の命の
花影が舞う

昨日の事のように
語り合う命
遠い日々の事のように
語り合う命

根っこを掘り起こす
根っこを埋める
蘖が芽を出す

近付いてくる 時空
遠ざかっていく 時空
無窮にとどまる 時空

鎮魂譜を奏でる
月と星の
天空を飛翔する

 ベテラン詩人の第11詩集です。巻頭詩、かつタイトルポエムを紹介してみました。生にも死にも命があり、それぞれの「花影が舞う」という象徴的な作品だと思います。「掘り起こ」し「埋め」られた「事象」の「根っこ」からでさえ、不死鳥のように「蘖が芽を出す」というイメージは、著者の向日性を示すものだと思います。「時空」と「天空」を見据えた壮大な作品と云えましょう。



季刊詩誌『天山牧歌』75号
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2007.6.1 福岡県北九州市
天山牧歌社・秋吉久紀夫氏発行 非売品

<目次>
イランの歴史と詩(3)…秋吉久紀夫…2
(内容)現代のイランと詩
(訳詩)
中東イスラム圏の詩(7)…秋吉久紀夫訳…14
イランの詩4篇
一度去ると振り返らない…シャムス・ランゴルティ…14
この故郷、この人民…サイド・アリ・サレシー…14
広々とはっきり見えない群れなす島々で…チァティン・トラビー…16
浮世の岸辺で…アリ・レタ・ヂャッホー…19
(詩篇)
宮古島の人頭税石…秋吉久紀夫…20
光化学スモッグ…稲田美穂…22
世界文学情報…23
受贈書誌…23
編集後記…24



 宮古島の人頭税石/秋吉久紀夫

見渡すかぎりコバルトブルーの海の彼方から、
眩いばかりの白波がギラギラと打ち寄せている。
そのど真ん中に隆起する珊瑚礁の島。
宮古島に来てみて、日頃、見たことのない
真紅のデイゴの花とガジュマルの樹根に驚いた。

が、この黄白色の人頭税石の前に佇んで、
はじめて、古来、この島に住む人々には、
風景など賑にも入らなかったのではと考えた。
聞けば、かつて、島には麦も粟も実りはしたが、
庶民の喰えたのは黍と甘藷と蘇鉄の樹肉のみと。

なぜかといえば、幕府と薩摩と琉球王朝の
支配者たちの三重のからくりで、
「お前らをも人間と見倣してやるからに、
お上に租税を納めねばならぬ」と厳命され、
根こそぎ奪われて持って行かれてしまったため。

租税を課す基準となる秤はと言うと、
一角鯨の牙みたいな四尺七寸の珊瑚石だった。
島に生まれた者は年齢に関係なく、
男も女も成長すると、みなこの前に立たされて、
一人の人間としての資格を測られたのだ。

わたしはまじまじと石と向かい合い気がついた。
この石は今も、むかしと変わることなく、
琉球列島に属する島々に生存する人々の
身の丈だけでなく頭の中の回路さえ、
いとも入念に測りつづけているということを。  (2007・5・30)

 「身辺往来」によると「四月一日〜三日、宮古島、石垣島、西表島調査」とありますから、そのときの作品だと思います。「幕府と薩摩と琉球王朝の/支配者たちの三重のからくり」という洞察に改めて驚きます。幕府と諸藩の支配は判りますが、宮古島などではさらに琉球王朝にも支配されていたのですね。
 最終連の「身の丈だけでなく頭の中の回路さえ、/いとも入念に測りつづけている」というフレーズは名言です。確かに、「琉球列島に属する島々に生存する人々」に限らず、私たちも「人頭税石」に頭の中まで測られているのかもしれません。考えさせられた作品です。



個人詩誌『魚信旗』36号
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2007.6.15 埼玉県入間市
平野敏氏発行  非売品

<目次>
いのちの跫音
 未生の花の段 1   虚実の顔の段 4
 バリアフリーの段 6 手作りの誌
(しるす)の段 7
 自己責任の段 8   鳥影の段 9
後書きエッセー 10



 いのちの跫音
   自己責任の段

電話が鳴る
ああまたあの電話かと
ベルのなっている間に想像が広がる
オレオレ詐欺のような電話ならばと
腹を括って受話器をあげる

カタカナ語の会社の何某と名乗り用件をいう
資産運用のお勧めとか
私には運用する資産などありません 私自身しかありません というと
それで結構です 早速運用しましょう と切り替えされた
でも私にも資産価値があったとは うれしい
非常にうれしい
増えていく菌糸など持っていたとは露知らず
そういえば 納豆と鮭の切り身とバナナの食卓の日常
年寄りの質素な生活が幸いしているのか
どんどん運用してもらって資産を増やそう
ゆめゆめ人生最後の段になってやっと落ち着けそうだ
そう直感的に想像したところへ
自己責任ですよ はんこを頂きに伺います ときた
はんことくれば年寄りは気が動転する
詩にもはんこなど押したためしがない
自己責任をとったことがない
真っ当に裸になって死を待つのが詩人だ
本当の自己責任はいのちの足音を詩にしのばせて生に屹立
(きつりつ)することだ
しあわせは自分で見つける
全身で日向も影も浴びながら
私自身という資産運用をやっているのだ

 「資産運用」の電話は多いですね。それを逆手にとったおもしろい作品だと思います。「真っ当に裸になって死を待つのが詩人だ/本当の自己責任はいのちの足音を詩にしのばせて生に屹立
)することだ」というフレーズは詩人の面目躍如というものです。「私自身という資産運用をやっているのだ」という締めの言葉にも同感しました。
 なお3か所の「はんこ」にはそれぞれ傍点が付けられていましたが、html形式ではうまく表現できないので割愛してあります。ご了承ください。



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