きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.5.20 栃木市 とちぎ蔵の街




2007.6.14(木)


 午前中は父親の通院に付き合って、午後からは市内の印刷所に行ってきました。日本詩人クラブの総務担当になり、研究会や例会の案内状は私が出すことになりました。それを印刷してもらうのに都内では不便ですから、私の居住する市内の印刷所にお願いすることにしたものです。値段の交渉をしてみて、やっぱり田舎は安いなと思いました。葉書1枚印刷するのに8円。コピーよりも安い! 都内では10円ぐらいでしょうか。

 今年度から葉書は全国の全会員・会友に送ります。総会、忘年会などは今までも全国に送っていたのですが、毎月の例会や研究会の案内は関東近円だけでした。郵送料が高くなることもあって、来られる機会の高い会員・会友に送ろうという発想です。しかし今年度から会費を値上げさせてもらったこともあり、法人らしく事務所も出来たことですから、来られる来られないは別にしても全会員・会友に送るのが筋ではないか、となったものです。
 そんなわけで、これから2年間は私が手塩に掛けてお送りしますからね、全国の皆さんご期待(というほどでもありませんけど)ください。



個人詩紙『夜凍河』12号
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2007.6 兵庫県西宮市
滝悦子氏発行 非売品

<目次>
ちろりちろり
伝言



 ちろりちろり

春の午後は歩きなさい
などと候補者は言うはずもないが
バスが来ない

パン屋の
B・・の店のガラスが曇っている
神経科の
待合室あたりはブラインドが下りて
幼稚園の
門から続く生垣は伸びすぎている
空き家の
自転車置き場に花びらが吹き溜まり
六叉路の交差点で汗ばんでいても
バスは来ない

選挙カーは
エールを交換しながらすれ違い
私にまで手を振るが
ふりむけば
犬猫病院の前に二、三人
春の午後を歩いても
失業中は煙草ばかり増えるので
くすむ

 おもしろいタイトルです。「ちろりちろり」と覗き見るというような意味なのでしょうか。ま、あまり深く考える必要はなさそうです。
 「バスが来ない」「春の午後」の光景は、「失業中」の作中人物の心境によく合っているように思います。最終連の「くすむ」はよく効いていて、かつ春の意外にくすんだ風景とも合っていると云えましょう。芥川龍之介ではありませんがぼんやりとした不安≠感じさせる佳品だと思いました。



詩誌『沈黙』34号
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2007.6.10 東京都国立市
井本氏方発行所 700円

<目次>

鈴木理子/台詞15 2            宮内憲夫/私製のパスポート 生き案山子 6
村田辰夫/ピエロ 熱太郎素描 10      山田玲子/シクラメン ひとりで買った 16
中岡淳一/はらはらと誘われて 19      天彦五男/絵はがき 23
井本木綿子/歴史のひとかけら 25      吉川 仁/死の河 29
あとがき 宮内憲夫 鈴木理子
〈表紙〉ワシーリイ・イワノヴィチ・スリコフ
    「メンシコフの長女」シベリア流刑者の娘



 絵はがき/天彦五男

鉛色の空を見ていると体が重くなる
心も沈み外出することができない
雲間からわずかな銀光がこぼれると
体が浮いて音信をポストへ飛ばそうと思う

省エネ 省文字対策は絵ハガキ
その絵ハガキにも思いの軽重がある
どうしても手放したくないものや
大事にしていたが今は放鳥したいもの
絵ハガキは相手を選ぶのに時間がかかる
そしてそこに貼る切手に舌を重ねる

軽いようで重いもの
重いようで軽いものをハガキに文字に託す
生きていることの表現
季節の移ろいや心のうつろい
切手は内と外をつなぐ鍵
(キー)かもしれない

春が足踏みをしている
私の中で逡巡しているものは病いだろうか
それとも無くなったはずの欲
惜しむものは皆無なはずなのに……

日進月歩はいつの間にか秒進分歩になり
私の残された時間はほんのわずかなのに
たっぷりと時間があるように 錯覚させる
騙しのテクニック 麻薬の注射をして
口をぬぐうと饐えた臭いがする

 「省エネ 省文字対策は絵ハガキ」というのは判りますね。私も美術館で求めた96枚綴りの「
Art Cards」なるものを持っていて、時に応じて使っています。ただ「軽いようで重いもの/重いようで軽いものをハガキに文字に託す」までには至っていません。そこについては考えさせられました。文字を扱う端くれとしてはそういう意識が必要なのでしょう。
 最終連の「たっぷりと時間があるように 錯覚させる」のは、やはり「騙しのテクニック」の下に私たちが置かれているからなのでしょう。そこを見事に喝破した作品だと思いました。



詩の雑誌『鮫』110号
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2007.6.10 東京都千代田区
鮫の会発行  500円

<目次>
鮫の座 瓜生幸三郎――表紙裏
[作品]
あはれ 芳賀稔幸――2           都会における孤独な時間の解析 いわたにあきら――6
この際だから 岸本マチ子――9       「内乱の予感」より 松浦成友――12
カンテラの夏 飯島研一――14        身辺些事抄 前田美智子――16
ゆれる家だから 大河原巌――18
[詩書案内]
横井新八・詩集『彼岸』原田麗子――20    水橋晋・詩集『沈黙の森』原田道子――20
五喜田正巳・詩集『都会の蛍』高橋次夫――20
[作品]
ハナはハハ 井崎外枝子――22        影の正体 瓜生幸三郎――26
種子の夏 原田麗子――28          くもりガラスの時 仁科龍――30
哀悼 高橋次夫――33            なずきの、ささらのをの 原田道子――36
夜を抱く 芳賀章内――38
[謝肉祭]
読みたい・む 前田美智子――41       神話性という世界 芳賀章内――42
[詩誌探訪] 原田道子――43
編集後記   表紙・馬面俊之



 くもりガラスの時/仁科 龍

私が産まれた時 この国は
すでに大陸の奥深くに侵攻し
謀略の戦争拡大にわいていた
わずかにその一年後のことだ
真珠湾に先制攻撃をかけたのは

私がものごころついた頃 この国は
原子爆弾で息の根とめられて
新憲法下の民主国家として独立し
本当の意味などわからないまま
自由の中に投げ出されていたのだ

私がものを考えだした頃 この国は
日常の周辺がうるおいをおび
反戦・平和の流れわき立ち
フォークソングを耳に夢想ひろがって
物があふれ談笑する世間になっていた

戦後に流れた歳月六十余年
かえりみるゆとりの中で この国は
戦争の惨禍を証する語り部多く他界し
歩いてきた道筋消えかかり
声も騒音にかきけされ気味で
つとめて耳をすまさないと聞こえないのだ

この国に
産まれて生きておよそ七十年
聞こえてくるといえば不気味な話
この国が侵略などしたことはなく
異国の者を大量に強制連行したこともなく
ましてや大虐殺など事実無根のデマにして
慰安婦のことなど何の言いがかりか と
肩いからせて うそぶいている
君が代歌わぬ者 職をおわれ
ヤスタニ参拝こそ為政者の美徳にして
異国のものどもの声など 聞く耳もたぬ と
ならば
これまで歩いてきたわれらの物語を
産まれた時までさかのぼってまで
根こそぎまるごと
その意味をうばいつくそうとするのか

今 この国は
今 この国に生きて在るということは

 こうやって「私が産まれた時」から「戦後に流れた歳月六十余年/かえりみる」と、その間になにがあったかが体験としてよく判ります。それと対比して「この国が侵略などしたことはなく/異国の者を大量に強制連行したこともなく/ましてや大虐殺など事実無根のデマにして/慰安婦のことなど何の言いがかりか と」「不気味な話」を置いてみると、何が真実かが晒されます。こういう手法は判りやすく、もっと採られてもよいかもしれません。「歩いてきた道筋消えかかり」つつある「今 この国に生きて在るということは」どういうことなんだろうと、私たち一人ひとりが考えなければならない時期だと思います。「くもりガラスの時」である今こそ。



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