きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.5.20 栃木市 とちぎ蔵の街




2007.6.16(土)


 昨日に引き続いて神楽坂の日本詩人クラブ事務所に行ってきました。船木理事と二人で当面必要なものを買い揃えました。薬缶やゴミ袋といった本当にささやかなものですが、無くて困るものばかりです。もちろんまだまだ必要なものばかりです。追々買い揃えていきます。

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 写真は事務所内部です。本当に机と椅子と書棚だけ。今は多少余裕がありますけど、いずれいっぱいになるんだろうなと想像しています。でも、ここが私たちの拠点。末永く大事に使っていきたいものです。

 事務所を出て、東大駒場の川中子研究室に向いました。事務所では理事会や委員会等の会議しか開けません。100人も集まるようなイベントは東大の会議室やホールをお借りすることになります。そこで問題になるのがイベントの後の懇親会をどこでやるかということです。キャンパス内にもレストランがあり、会議室で飲食をすることもできますが、民間の呑み屋さんも探しておくことにしました。教授室でしばらく休ませてもらったあと、井の頭線の「駒場東大前」「神泉」「渋谷」と歩いて探しました。50人くらいが纏まって入れる店は2軒ほど。あとは雰囲気は良くても人が沢山は入れない処ばかりでした。

 そのうちの1軒、渋谷の「天空の月」という店で夕食がてらの3人だけの懇親会。最大で44人は入るというので、まあまあかな。個人的にはこの店が気に入りました。なにせ「獺祭」が置いてある! それだけで合格です(^^;
 神泉あたりで良いお店があったら教えてください。条件は50人ぐらい入れて、、、安いこと。



武井幸子氏詩集『花時計』
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2007.5.20 群馬県詩人会議刊 非売品

<目次>
 T
澄んだ日の記憶 2             闇とドロップ 5
星の観察 10                曼珠沙華 13
夜空へのエスケープ 16           場面 19
京橋 23                  理想郷  24
十三湖 28
 U
山百合 32                 天壇公園 34
闇 37                   カウントダウン 40
野菜の篭とシベリア 44           その写真に寄せて 47
 V
秋の約束 50                果立ちの日に 52
ひととき 55                青い森の中で 58
戸惑い 60                 スポットライト 62
昼下りの問い 66              記念写真 70
 W
しるし 74                 木蓮 77
散髪 78                  背広が歩く 80
薔薇と詩集 82               池のある公園 84
受容 86                  テラスの食事 88
髪に風をからませて 92
あとがき



 澄んだ日の記憶

私は木陰に
布を敷いて寝かされていた
湖なのか川なのか
近く水の気配が吹く風に匂うのだった

空を透かす枝の眩しい葉のひるがえり
母は時折のぞきに来て
にっこり笑いかけ また去っていった

敷物の下の石が背中にあたってはいたが
一人にされても
何も怖くなかった

顔をあげることもできない
赤児の私の耳に
バレーボールをしてはしゃぐ
数人の女達の声が響く
若やいだ母の声が混じっていた

透明な時間−

それは木の根元で
ベビー服に白い帽子を被った
丸顔の私の写っている一枚の写真と
少女の日にみた夢とが
重なっているのだと人は言うけれど
幾十年たった今も
あの木陰の地面からの視点に
はっきり還ることができる
母は そこを村山貯水池だと言い
憶えているわけがないと言う

けれど私には
私がまだ混沌へ迷い込む前の
澄みきった確かな
記憶なのだ

 10年ぶりの第2詩集です。前詩集が『砂時計』のようで、それに呼応させた詩集名でしょうが「花時計」という作品はありません。あとがきには、
 <父母達は、現在も元気で時計の針のように毎日を過ごしています。自らの老いが二重奏のようにそこに重なっていぐのを感じるようになりました。それを思う時、この十年は責任ある希望に満ちた、人生でもっとも花のある日々であったかと思うのです。>
とありますから、そこから採ったと思います。

 詩集は大雑把に言って、誕生から学生時代、そして現在までをほぼ時系列で配してあり、非常に判りやすい構成になっています。この詩集の魅力のひとつはそこにあると云えましょう。
 紹介した詩は巻頭作品で、まさに「赤児」のときの記憶です。人間の記憶は早くても2歳頃からと従来は言われていましたけど、最近は〇歳時の記憶もあることが証明されたと何かで読んだように思います。作品上ではそれが事実かどうかはあまり問題にならないでしょうが、そういう背景を頭の隅にちょっと置くとこの作品の魅力がさらに増すと思います。「近く水の気配が吹く風に匂」い、「若やいだ母の声」を聞く「透明な時間」の、「澄みきった確かな/記憶」。人間が生れるということの素晴らしさに胸打たれる佳品です。



文芸誌『扣之帳』16号
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2007.6.15 神奈川県小田原市
青木良一氏編集・扣之帳刊行会発行 500円

<目次>
菊花紋綺譚(第一回)−山越昌三 2      岩越昌三の新発見原稿について−岸 達志 14
鍋倉城と女の殿様−今川徳子 16       茂年さんの言葉−岡田花子 23
来大連的信・2−水谷紀之 24        みたびの命拾い−加藤利之 26
カルメン日記−桃山おふく 28        小田原の文学発掘(10) 玩具函の住人−牧野信一のこと−岸 達志 34
サクラの花びら・雑考−橘まどか 49     足柄を散策する(7) 文学遺跡を尋ねて 我が産土の町・小田原(3)−杉山博久 64
俺の東京マラソン−伊藤寿英 62       ご近所紀行(谷津本誓寺)−青木良一 64
随想−木村 博 67             ゆめのまた夢(立木望隆の俳句世界)−佐宗欣二 68
オランダ・ベルギー紀行−本多 博 73    続・水のはなし−富家和男 79
◇表紙  木下泰徳
◇カット 木下泰徳/F・みやもと/秋山真佐子



随想 「もえるゴミ」と「もえないゴミ」
    −日本語の混乱−      木村 博

 つい先達ってもだったが、いいトシをした小母さんが、子供達に向かって、「〈もえるゴミ〉と〈もえないゴミ〉を分けて出さなきゃいけないよ」と云っているのを聞いて、「オヤオヤ、またか」と思った。
 私は五年も十年も前から「この言葉はマズイな!」と思っているのだが、一向に改らず、今では全国的に通用しているようだ。
 なぜ「燃して(も)いいゴミ」とか「燃しては(ちゃ)いけないゴミ」と云わないのであろうか。「もえないゴミ」と呼んでいるのはビニール類だろうが、ビニールだって燃せば簡単に燃えるのである。
 今の私にとって、この言葉は日本語の間違った使い方の代表みたいなものに思えてならない。
 そこで、これはお役所の責任ではないだろうか? まさか学校の先生方がこんなことを教えているとは思えないのだが、それとも、ジャーナリズムや学校教育の責任だろうか? 等々、正直のところ迷っています。
 何れにしても、余りにも無責任すぎよう。今のうちに訂正させるようにしておかないと、間違った日本語が普及してしまうことになる。また、もしもこれを外国語に翻訳するとなると、一体どうなるのであろうか。日本人の責任であろうことだけは事実である。
 それにしても、「もえるゴミ」と「もえないゴミ」なんていう言葉は、一体誰が云い出したのであろうか?

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 「もえるゴミ」と「もえないゴミ」は「日本語の混乱」だというタイトルを見て、あれあれ、何か文法的に間違っているのかなと思いました。私は何の違和感もなく日常的に使っていましたから。「燃して(も)いいゴミ」「燃しては(ちゃ)いけないゴミ」ということだったんですね。アルミも鉄も燃えるわけですから、確かにその区別はおかしくて、燃していいか悪いかの判断の方が合っているように思います。その判断は技術の進歩や処理後の用途によって変化しますから、柔軟性もあると言えるでしょう。「もえる」「もえない」は分別収集の初期段階のキャッチフレーズだったのかもしれません。それにしても本当に「一体誰が云い出したので」しょうかね。言葉に敏感な文筆家らしい、おもしろい点を突いた随筆です。



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