きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.5.20 栃木市 とちぎ蔵の街




2007.6.19(火)


 日本ペンクラブと総務省の懇談会が16時からあって、霞ヶ関の庁舎に出向きました。数年前に施行された「プロバイダ責任制限法」について意見交換しようというものです。日本ペンクラブ側は電子メディア委員会から4名、電子文藝館委員会からは6人の委員、そして事務局から安西さんが出席し、総務省側は「総合通信基盤局・電気通信事業部・消費者行政課」という長い名前の部署の課長補佐ほか1名が対応してくれました。

 ことの発端は、ペンの秦理事のHPがプロバイダによって全面削除され、裁判にまで行ったというものです。その問題を電子文藝館委員会や電子メディア委員会との合同会議で話し合っているうちに、違法・有害サイトではない文筆家のHPについて総務省はどう考えているのか問い質そうではないかということになりました。

 総務省側では「総務省のインターネット上の違法・有害情報対策」という書面を用意してくれていて、まずそのレクチャーを受けました。その後、質疑応答に移りましたけど、思った通りその書面には文筆家の立場はほとんど考慮されていませんでした。総務省では同法の円滑な運用のため、業界団体や総務省から成る協議会を結成してガイドラインを作成しています。そのガイドラインや利用者との契約に基づいてプロバイダは違法・有害サイトの削除を行っているわけです。しかしその協議会に文筆家は入っていません。もちろん同法の適用には表現の自由や通信の秘密の確保が明示されていますけど、あくまでもプロバイダなどの業者寄りです。法自体も別名プロバイダ責任免責法≠ニ言われるぐらい(実際に当初はそういう名前で制定しようとしたそうです)、プロバイダが罪に問われないようにサイトを削除するにはどうするかという発想です。その発想のもとに文筆家のHPも、著作権という言葉に怯えていたずらに利用者の権利を侵害し、違法・有害サイトと同じ処置が取られたことが判りました。要は業者寄りのガイドラインに添った結果、起るべくして起きた事案だったわけです。

 今回の懇談会では、その他総務省自身がプロバイダの実情について認識不足があることも判り、さまざまな課題も浮き彫りになりました。ガイドラインは数年毎に見直しをやっているようです。次回のガイドライン見直し時には協議会メンバーに是非ペンクラブも加えてくれるよう要望し、2時間ほどの懇談会は終りました。この懇談会は電子メディア委員会の山田委員長のご努力で実現しましたが、やって良かったと思います。言論表現の自由に関しては、行政に対してもきちんとモノ申す日本ペンクラブの存在意義が示せたと云えましょう。今後の総務省の対応に注目していきます。



季刊詩誌『現代詩図鑑』第5巻2号
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2007.6.1 東京都大田区 ダニエル社発行 600円

<目次>
巻頭評 高貝弘也『縁の実の歌』/福田武人…1
イチゴムース・アリ/阿賀 猥…8      太陽/広瀬大志…12
あたらしい朝/高澤靜香…16         夢の雨/國井克彦…20
見える/大木重雄…23            眼横鼻直/柏木義高…27
どんがめ岩/桜井さざえ…30         
salon 6 ――タケ類について/竹内敏喜…35
ジェンダーフラワー/若狭麻都佳…39     ころぶ/岡島弘子…45
砂漠の町で/松越文雄…49          蘇芳の窓辺/枝川里恵…53
朝寝/高木 護…56             すごろく/かわじまさよ…59
死海/高橋渉二…62             絵巻/倉田良成…67
公園/眞神 博…70             海馬/山之内まつ子…73
表紙画…来原貴美『啓示』



 すごろく/かわじまさよ

道しるべは
こわれた椅子と
からっぽの犬小屋と
竹馬をしている丸刈りの弟のあおさ

帰れない空にむかって
ハモニカ吹きながら
つばさのないあたしは
ランドセル背おって
帰るべきおうちを探している

へたくそな犬かきみたいに
泳いでいるのか
おぼれているのか
笑いたいのか
泣きたいのか
わかんなくなっちゃうまで
ここ掘れ わんわんわん
どうしても 帰り道がわからない

日が暮れて
いろんなおうちに
あかりがともっていくとき
あたしのなかに一筋の道がのびる
歩くたびに 年をとって
つまずいたら 赤ん坊に戻る道

 人生は「すごろく」に喩えられることがありますけど、この双六はちょっと違います。「つまずいたら 赤ん坊に戻る道」があるのです。歳を取ったら赤ん坊に戻る、という言い方をすればそれも想定範囲内かもしれませんが、文字通り人生を逆行する道ではないかと私には感じられました。「竹馬をしている丸刈りの弟」や「ランドセル背おって/帰るべきおうちを探している」「あたし」が人生の目標のように読み取れます。私たちは「どうしても 帰り道がわから」ず、「歩くたびに 年をとって」しまいます。それは「赤ん坊に戻る道」を知らないからなのではないか、そんな風に受け止めた作品です。



個人誌『パープル』30号
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2007.7.16 川崎市宮前区
パープルの会・高村昌憲氏発行 500円

<目次>
四行詩 南仏へ…高村昌憲(2)
散文詩 人間は言葉によってのみ人間であるか…よしかわつねこ(3)
翻訳詩 アラン『ガブリエル詩集』…高村昌憲訳(5)
評 論 初期プロポ断想(その13)…高村昌憲(13)
編集後記(24) 執筆者住所録(24)
誌名/笠谷陽一 表紙デサイン/宿谷志郎 カット絵/高村喜美子



 南仏へ/高村昌憲

パリを出ると景色以外は 何もない
国家よりも小さな町と町の中の歴史
青い六月の空に平原の地平線が快い
サント・ヴィクトワール山の白い石

セザンヌが描いた 優しい風景が坐る
サロンへの出品は落選が記念碑の絵画
リンゴは腐る寸前に色彩を発酵させる
僅かな時間を焼き付けた永遠の静物画

 評論「初期プロポ断想(その13)」の中にフランスの郊外の道路を車に乗って行くと直ぐに気付くのですが、看板が殆ど見当たりません≠ニいう文章があります。第1連の「パリを出ると景色以外は 何もない」は、そのことを言っているのだと思います。そこから第2連の「セザンヌが描いた 優しい風景が坐る」に繋がって行くのでしょう。同じ連の「リンゴは腐る寸前に色彩を発酵させる」というフレーズが佳いですね。肉も腐る寸前が一番おいしいそうで、共通するものがあるのでしょう。
 「南仏」を舞台にした作品ですが、並の紀行詩とは違います。美術家のセンスと哲学者の深さが伝わってくる作品だと思いました。



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