きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.5.20 栃木市 とちぎ蔵の街




2007.6.23(土)


 クルマを買い換えて3か月半になります。今日、初めて洗車をしました。汚れが目立たないようにグレーにしたんですけど、やっぱり目立ってきました。所要時間1時間。運動がてらで、少し余裕が出てきた証です。気分は爽快ですが、疲れました。珍しく汗をかいています。
 で、思うのですが、今夜は絶対雨だろうな(^^;



個人詩誌『ポリフォニー』11号
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2007.7.1 東京都豊島区 熊沢加代子氏発行 非売品

<目次>

廃校 2       訃報 4
悔い 6       若い女 8
歩道 10
コンサート・ホール/フランス組曲 12
アド・リビテュウム/義母の死 14
後記



 悔い

鈍色の寒い午前
物音一つしない
風もなく
人通りもない
そんな日がある

不思議と淋しさはなく
暖かい火に手をかざしながら
かえって頬は燃え上がり
愛する人愛した人の
きれぎれのあの仕草あの言葉が
瞬きするたびに思い出される

だがそんな時に
どうしてあの時にあんなこと言ったのだろう
どうしてあの時にあんなことしたのだろう
どうしてあのとき優しい言葉の一つもかけてあげられなかったのだろう
どうしてあのとき優しく手の一つも差し出してあげられなかったのだろう と
悔いの思いにとらわれることもある

この世の幸せというものが 例え
朝の食卓に一皿のオートミールを用意するようなことから始まるとしても
それが自分のためだけではなく
傍らの人にもそそがれるものであれば
ほとんどそれとは気づかぬうちに
私たちはみんな隣人のように連帯しあっていける
感情ではなく理性で幸せになれる
感情はいつもお天気やだが
理性はいつもなんどもたたまれたパイ皮のように
周到だから

 「感情ではなく理性で幸せになれる」というフレーズで、あれ?そうかな、と思いました。極端に愛と憎しみという二つの感情を考えた場合、愛はどこまでも感情的で良いのではないか、憎しみは確かに理性で抑える方が良いけど、と思ったのです。しかし、次の「感情はいつもお天気や」というフレーズで考え直しています。お天気やということは振幅が激しいということでしょう。愛についてもやり過ぎが出てしまう危険性があります。やはり愛にも「周到」な理性が必要なのかもしれません。考えさせられた作品です。

 なお、4連目の「悔いの思いにとらわれることもある」は、原文では「悔いの思いにとらわれるこもある」となっていました。脱字と思って訂正してあります。ご了承ください。



詩誌hotel17号
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2007.5.20 千葉市稲毛区
根本明氏方・hotelの会発行 500円

<目次>
作品
とんぼ玉、買い/海埜今日子 2       わたくしはけさ起き上がり肺胞きりり青空をみていました/野村喜和夫 5
横須賀/柴田千晶 8            剥製師は考えそれは生まれる/広瀬大志 10
片影/かわじまさよ 12           白昼の爪/浜江順子 14
あわひでまよふ/川江一二三 18       永遠に終わらない/福田武人 20
渡海/片野晃司 22             小公園で/根本 明 24
脈うつひかり/澤口信治 26
エッセイ
隔たる郷=\―ざわめく美(2) 海埜今日子 16
詩集評
現実への承認――川江一二三詩集『CUBU』/竹内敏書 28
光の相貌――根本明詩集『未明、観覧車が』/澤口信治 29
Afterの終わりへの凶暴な欲望――野村喜和夫詩集『スペクタクル』/福田武人 30
terrasse 34
表紙/カット かわじまさよ



 小公園で/根本 明

盛りのときは本当にきれいなのよ
トランペット草に顔を寄せていると
中年の女性が声をかけてきた
ある路地に花をつける木にたたずんだとき
洋品店の主人が熱心に説明をはじめたこともある
語らずにはいられない花
猫や鳩さえ寄ってきて
高齢者センターの小公園が一枚の曼茶羅図となる

櫛風沐雨という言葉がある
午後九時、ホームレスが三人
ベンチや植え込みに段ボールを敷きはじめる
きのうは激しい風雨だった
やはり髪をごしごしやりながら叫んだろうか
ひとりがわたしの目前の吸殻を選り分けながら
旧石器人のように歯を鳴らした
聞きたいことがいくつもあったけれど
話しかけはしなかった

建物の二階に老女の顔がある
何を見てますか
三日月が高層ホテルやマンションを古びた鎌状に打つ夜だ
霞が関ビルの重さは十万トンという
東京の建築物の総重量はすでに試算され
湾の砂州をどれほどの速度で沈降しつつあるか
グラフィック化されているんじゃないかな

曼茶羅図のすみにブランコがある
あれに腰をおろして街を揺らしてみたい
煙草を吸いながら望みが少しずつ腫れていく

 「小公園で」の光景ですが、やはり最終連が良いですね。ブランコに乗って自分を揺らすのではなく、「あれに腰をおろして街を揺らしてみたい」という逆の視線がおもしろいと思います。「曼茶羅図」も「煙草」もちゃんと1連、2連に繋がっています。起承転結という無難な構成ですが、中身は決して無難ではありません。現代を凝縮させている作品だと思いました。



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