きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.5.20 栃木市 とちぎ蔵の街 |
2007.6.26(火)
日本詩人クラブ7月例会の案内状を発送しました。今回から宛名シールの最下段に会費受領状況を記載しておきましたので、会員・会友の皆様はご確認ください。万一間違いがありましたらご一報ください。すぐに調査いたします。会計担当理事と慎重に調査して載せましたが、約900名に及ぶことと、会計担当が交代した直後でもあり、一抹の不安があります。しかし、いつまでもグズグズしていられないので、思い切って踏み切ってみましたこと、ご理解いただければと思います。なお、郵便振替は皆様が振り込んでから会計担当に用紙が届くまで、約1週間のタイムラグがあります。振り込んだその日に反映されるわけではありませんので、その点もお含みおきくだされば幸甚です。
と、固い話はこのくらいにして、PINK FLOYD。先週、宛名シールを貼るのに2時間掛かって嫌になっちゃった、と書きました。その解消策として音楽を聴きながら作業すればいいんだ!と気付いて、今日はその実践です。2時間たっぷりと聴きました。あまりにも有名な「ATOM HEART MOTHER」と「MEDDLE」という2枚のCDです。オリジナルは前者が1970年、後者1971年ですから何と37年ほど前になります。私がまだ20歳頃にレコーディングされたものです。当初から現代のクラシック≠ニ謂われていた通り、何度聴いても飽きませんね。良かったです。思わぬ鑑賞時間をくれた詩人クラブに感謝!かな、これは。
○季刊誌『佃』2号 |
2007.6.15 埼玉県所沢市 北野丘氏発行 非売品 |
<目次>
詩
話したことのない店長/村田マチネ…2
氷河のなみだ/北野 丘…4
パロウズの夏/山岡 遊…10
対談 麻痺する日本をカヌーの速度で/北野 丘×山岡 遊…16
麻痺に麻痺する/詩人の中で静かに燃えるものは何と闘うか/麻痺・しびれ・痛み/制度への文学的麻痺/カヌーの速度で遡行する/ハイデッガーの時間 文学の時間
氷河のなみだ/北野 丘
こどもよ
なんにでもいそがしいままが
じぶんのままが
いつかしんじつのやさしい まま となって
どあをあけてあらわれるのを
まって
ついにこなかった こどもよ
いっしょう
むかえにはこない
りっぱになれば
きっとと
なんぜんかいかのくうそうに
つつまれとけゆく
しろいくりいむ
いっしょうを
こどもよ
どこで
ひとりがきらい
でもひとりがすき
あそびたりないこどもよ
みんながどうしてかえれるのか
ふしぎにおもうこどもよ
ひとのみちなかでひがくれる
あかりがともるどこまでもつづくいっぽんの みちが
ぼうっと うかび
てくてくあるく
そらなんて
あああ とびたくもない
こうもりのはねで とんでおもう
なんで もぐりなさいといわれるのか
うみのそこで しにたくてもしねないと
ろうばにいわれる
いともたやすくくちふたがれるこども
みずにつけられるこども
いきてるにんげんがおにさんなのだと
しっててあいするこども
だんぼうるにすてられる
こどもよ
いきてるのがきせきのようだ
だがかんたんなからくり
しなないものだけがいきている
まま
ままか
ままにあいたいか
(きこえた…ナギ)
(きいたさナミ)
(すてきな…)
(でばんのナミ
ゆるす
ゆるすだ それだ)
くちびるむすんで
ぽつんとたちつくす
まま
ままにあいたいか
けれど
こども
あのよに
ままをさがすな
ねからしみでるそのみずはのむな
うつくしければ
うつくしいほど
しびれてたおれる なるきっそすの
あおいはなだ
もえあがるひょうがのこころ
はげしいさけめを
かたまりとなり
うごきだせ
きょくほくの氷河のなかの
ひとつぶよ
「まま」はmama≠るいはmamma≠ナ良いと思います。「いともたやすくくちふたがれるこども/みずにつけられるこども」、「だんぼうるにすてられる/こども」。まさに「いきてるのがきせきのよう」な子どもを見る眼の哀しさを感じさせる作品です。その子どもを「きょくほくの氷河のなかの/ひとつぶ」として喩し、あるいは仮託していると読みました。「だがかんたんなからくり/しなないものだけがいきている」というフレーズは、死んでしまった子への愛惜と採ってよいでしょう。ひらがら表記も奏功している作品だと思いました。
○『千葉県詩人クラブ会報』198号 |
2007.6.25 千葉県茂原市 斎藤正敏氏発行 非売品 |
<目次>
平成19年度総会開催 1 平成19年度総会報告 2
講演概報 韓国詩人との交流/飯嶋武太郎
3 会員のスピーチ・自作詩朗読 3
平成19年度文学散歩 5 会員の近刊詩集から58 5
会員の近刊詩集から59 6 石村柳三詩論集『雨新者の詩想』…中村洋子 7
既刊会報を温(たず)ねて4 7 新会員紹介・会員活動・受贈御礼・編集後記 8
午前3時のりんご/岡田喜代子
りんごを割る
ふたつに割る
白い果肉があらわれる
午前3時のキッチンで
よっつに割る
皮を剥く
はだかにされてあらわな果物
しゃり しゃる しゃるる
こんな時間に
起きてしまって
することと言えば
りんごを食べることだ
<排水口は
そのまま夜を抜けて
アルゼンチンにつながっている>
だなんて…
まぶしい目をした
少女の頃の自分に照れながら
しずかにりんごを食べる
けれど今 この
しゃり しゃりする音は
脳(なづき)にひびく澄んだこの音は
始原の森の洞穴に
溶けるようにうずくまり
中年の女がたてる音
こちらに丸い背を向けて
家族が寝しずまった
こんな夜に
彼女もただ
自分のもの食う音だけ聞きながら
まなこをぽちりと
闇に開けていたのだろう
それは
あたたかい孤独
と呼んでもいいものだったろう
やがて空が白み
あちこちで草の露が跳ねるはず
末の子の
乳くさい手が宙をまさぐり
腕をからませてくる前に
彼女がそっと孤独を脱ぎ
夜具に横たわるのを確かめて
私もキッチンを離れる
りんごの芯が光り残る
「会員のスピーチ・自作詩朗読」の中の1編です。「午前3時のキッチン」の「あたたかい孤独」がよく伝わってくる作品です。「<排水口は/そのまま夜を抜けて/ アルゼンチンにつながっている>」という広い見方、「始原の森の洞穴に/溶けるようにうずくま」る「中年の女」を持ってくる時間の処理、いずも秀逸です。時間と空間を最終的には「りんごの芯」に収斂させる手法も見事と云えましょう。「午前3時」に「起きてしまって」「りんごを食べること」など誰もやりそうなことですが、誰もが書かない詩を書いたのだと思います。
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