きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.5.20 栃木市 とちぎ蔵の街




2007.6.29(金)


 神楽坂の日本詩人クラブ事務所に備品を少し運び込みました。買ったのは掛時計とポリプロピレンの収納ボックス。掛時計の用途は言わずもがなですが、収納ボックスはちょっと思いつかないのではないでしょうか。…郵便受けです。
 マンションの郵便受けは小さいものです。今のところ事務所に来る郵便物・宅配物は少ないのですが、いずれ増えて来ることが予想されます。そのときに配達の人が困らないように置いておくことにしたものです。

 拙宅でも寄贈本は毎日来ます。2〜3日留守をすると郵便受けがあふれ返ってしまいます。そこで考えたのがクーラーボックスで、郵便受けがいっぱいになったらクーラーボックスに入れておいてね、と書いて、大正解でした。この手は事務所でも使わなくてはいけないなと、愚考した結果です。
 でもね、クーラーボックスのちょうど良い大きさの物がなかったのです。極端に大きいか小さいか…。うーん、と店内を見渡して眼に飛び込んできたのがポリプロピレンの収納ボックスでした。拙宅のクーラーボックスは雨ざらしになりますけど、事務所は屋根の下です。これでも充分と買い求めました。値段も598円。クーラーボックスなら2000円から5000円はしますので、価格の上でも打ってつけでした。

 その他には拙宅から余っているボールペンや定規などを持ち込み、一番大事な物も持って行きました。煙草の吸殻入れです(^^; 空いた茶筒で代用です。きちんと蓋が閉まりますから臭い対策上も優れものなんです。理事会の喫煙者、委員会等で事務所を使う人も、キッチンの換気扇前でご利用ください。

 そうそう、忘れないうちにご注意をひとつ。トイレの扉がインナーロックになってしまいます。内側に鍵がなく、どうやってロックするんだろうなと調べて、外に出て何気なく閉めると、、、げっ、インナーロックになっちゃった!!
 でも大丈夫。ドアノブを調べて、解除方法を発見しました。その方法をタグに書いて、ドアノブにぶら下げておきましたから、インナーロックをやってしまってもあわてないでください(私は相当あせりましたけどね)。鍵屋さんを呼ぶ必要はありません。
 まだまだ不足している物だらけの事務所ですが、追々揃えていきます。スペースに限りがあって、何もかもというわけにはいきませんけど、使いやすい事務所にしていくつもりです。



新・日本現代詩文庫41『池田瑛子詩集』
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2006.11.30 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税

<目次>
詩集『風の祈り』より
ゆめの散歩・10    黄昏・11       四月・11
驟雨・12       上越線にて・13    螢・14
秋の瞳・14      梨の花・15
詩集『砂の花』より
泰山木・16      鈴・17        風花・17
青い飛翔・18     挽歌・19       砂の花・20
十月・20       旅・21        野火・22
春の雪・22      螢のみち・23
詩集『遠い夏』より
鳥 T・24      鳥 U・24      霧のように・25
ざくろ・26      春の夜・26      夏・27
銀杏・28       秋の椅子・28     木・29
海の夜明け・30    遠い夏・30      あじさい・31
詩集『嘆きの橋』(全篇)
橋・32        丘・32        凍る夜・33
魔の網・34      土笛・35       迷子・36
日没・37       祈り・37       霰・38
陽炎の海・39     無意味なルフラン・40 サーカス・41
白い岸・42      知らない果実・43   眠りの渚・43
雪晴れ・44      桜・45        萌える緑に・46
眠りに・46      新生・47       ルリハコベ・48
スミレサイシン・49  すずらん・50     あざみ・50
彼岸花・51      待宵草・52      母に・52
秋の手紙・53     坂・54        花の闇・55
秋の箪笥・55     新年の食卓・56
詩集『思惟の稜線』より
 未刊詩篇
声・57        沈黙・58       海・59
百日紅・59      曙・60
詩集『風の祈り』より
董の(すみれ)の錯誤を……・61        落葉・62
詩集『砂の花』より
見えない思惟の稜線をのぼって……・63    蜃気楼・63
晩夏・64
詩集『遠い夏』より
祭り・65       風の盆・65      雪の朝・66
詩集『母の家』(全篇)
 T
母の家 T・67    母の家 U・68    寄り回り波・69
母の手鏡・70     お琴さん・71     大欅の樹に・72
誕生−孫、英瑠に・74  階段・75       たなばた・76
電話・77
 U
鴎・78        蓮・78        隅田の花火・79
秋・80        九月 T・81     九月 U・81
あけび・82      あざみ・83      晩秋のみくりが池・83
オーロラ・84
 V
博物館で・85     縄文の櫛・85     縄文の弓・87
海王丸に・88     幻の舟・89      感応する彫刻・89
バースディ・カード・91
未刊詩篇
縁側・92       鬼灯(ほおずき)・93  「(ベイ)さん・95
山の文化館で・95   記憶の雫・97     街角・98
夕立・98       白梅・99       風鈴・101
名前・102
.      桜の木も・103.    蜃気楼 U・104
夜の噴水・105
.    古代のハープ・105.  ヒエログリフ・106
早川先生・108
.    鷹形鈴(ようけいれい)・109
黄薔薇「螢川」に・110
. 江陵と六つ目の月・111 石黒信由さま・112
永瀬清子さんと黒部峡谷を行く・114
.     夜の桜・115
立葵・116
.      涙・117.       絆(野生の猿に)・117
春のあらし・118
.   初日・118.      縄文の橋・119
春川(チュンチョン)・120
.  田圃の道・121
エッセイ
秋の椅子・124
過去の駅から・125
出会いの神秘・126
思索の厳しさ知る旅−詩歌文学館「自己反省の道」・128
近代巨匠絵画展をみて−呼吸が脈打つ作品 藤田嗣治「腕をあげる裸婦」硬質なエロチシズム・131
花火・133
温胎の時間・134
女体の深さに酔う−日本・現代の裸婦展に寄せて・136
浜昼顔−花や葉の影 砂地に模様・139
小さな生命−何者かの化身のように・140
かたくりの花−雑木林の日だまりに・141
息づく四季と暮らし−澄んだ純粋なまなざし・142
解説
鎗由清太郎 「妣(はは)が国」をイメージする−池田瑛子詩集『母の家』評・148
石原 武 池田瑛子詩集『母の家』に寄せて−母と海、その永劫の声を聴く・152
内田 洋 母性の水甕(みずがめ)・154
麻生直子 池田瑛子論−伝統の抒情と風土・156
年譜・164



 黄昏

黄昏は
神様の睫

噴きあがる血を背に
ヒマラヤ杉はするどく孤独に耐え
山脈の雪は
あなたのまなざしにふれて照り映える

翳りは余韻のように
つたわって

ああ
美しい罠のような
落日

 1963年、著者25歳のときの第1詩集『風の祈り』から2001年の第7詩集までと、未刊詩篇、新聞や雑誌に載せられたエッセイをまとめた詩集です。紹介した詩は第1詩集に収められている作品で、20代前半に書かれたものと推定されます。若いという面もありましょうが「黄昏は/神様の睫」「美しい罠のような/落日」という新鮮な詩語に驚かされました。しかもこのみずみずしさは第7詩集まで変わりありませんから、さらに驚きました。著者は現在、富山県在住。学生時代から結婚後まで8年ほどを渋谷や八王子に居住。自然を見るやわらかい視線と都会的なセンスの同居は、おそらくその半生から醸し出されたものだろうと思います。富山現代詩人会会長、解散後は富山県詩人協会副会長を歴任した池田瑛子という詩人を知るには格好の1冊、お薦めです。



個人詩誌if16号
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2007.7.1 広島県呉市   非売品
ちょびっと倶楽部出版・大澤都氏発行

<目次>
幸福なマルガリータ 1           くちびる 2
サケキノコ 5               桃源郷 7
ちょびっとつれづれ 9
シリーズ『わたしの伯母ちゃん』についてお知らせ 10



 桃源郷

 志賀高度ルートのように曲がりくねり、上へ上へと行く道は、舗装もされていなかった。右を見れば崖っぷちだ。
 わたしはちいさな青い車でギアを細かくチェンジしながら進んだ。クラッチを踏む左足がむずむずする頃、葛を編んて作られた頼りない吊り橋のところに着いた。
 高所恐怖症のわたしが何とか渡り終えるとそこは桃源郷のはずだった。
 暖かく、流れるプールがあり、住人は客のために屋台を出し、とうもろこしなどを焼いている。
 住人は皆、学校の先生をしている人、していた人たちだった。スローライフを率先しているおじさんが村の長の役目をしていた。だから「おさおじさん」と呼ばれていた。「おさおじさん」を中心に現職で働きながら週末を村で生活する人もいた。「おさおじさん」は来るモノは拒まず、誰でも受け入れる力量があるのよ、が売りの人だった。
 桃源郷で結婚式があり、普段会えない人たちが集まるのてわたしだって参加したかった。けれど参加者数が膨らみ「いつでも会える、来なくていい」と言われ、わたしは馬鹿のように従った。以来その日の人たちと会えないずくだ。
 回りまわって、桃源郷で集会があると聞いたとき、教えてくれた人がわたしがそのことを知らないことに驚く。気をつかって「きっと実家住まいだから電話をかけにくいんだよ」と言ってくれたが、大のおとながそんなはずはなかった。わたしはわかっていた。一度も電話番号を訊かれたことがなかった。「ううん、みんなわたしの電話番号知らないからだよ」とからんと答えたら、受話器の向こうで絶句していた。気の毒なことを言ってしまった。
 それでも、もう一度そこが桃源郷であることを確認したかった。
 車を走らせ、震える足で橋を前に立つ。高いことが怖いのではなかった。「経験が足りない」「そこから出入りしないで」云々、否定や禁止事項を言われること。「おさおじさん」が人の出入りが多いことを愚痴るという矛盾。それらを自分の目でしかと見ることがわたしに汗をかかせたのだ。

 わたしは自分が暖かい気候と水気が苦手なことを忘れていた。わたしは「おさおじさん」に辟易しているのをごまかしていた。「おさおじさん」だけじゃなく、全員に嘘を感じていたことをごまかしていた。
 わたしはもう行かない。

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 最初にお断り。原文は40字で改行されていますがブラウザによっては変なところで改行されてしまいますので、段落内はベタとしました。ご了承ください。
 「桃源郷」の実態、と言ったらよいでしょうか、おもしろい着想の作品だと云えましょう。「来るモノは拒まず、誰でも受け入れる力量がある」はずのものが、実は「否定や禁止事項」、「愚痴」が多かったりするというのはよくあることです。そう思いながらも「ごまかして」生きている私たち。そこを暴かれたように思いました。最後の「わたしはもう行かない」は桃源郷への決別であると同時に、ごまかしへの決別でもあると受け止めました。



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