きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.6.11 軽井沢タリアセン・塩沢湖 |
2007.7.1(日)
日本詩人クラブ事務所用のパソコンを買ってきました。OSは
Windows Vista
です。MSはそれしか売ってません。新しいパソコンに触れるのは、たぶん3年ぶりぐらいだろうと思いますけど、相変わらず初期設定に時間が掛かりますね。3時間ほど費やしてしまいました。わかりきった初期設定なんかメーカー側でやっておけばよいものを、最新(でもないか)の道具の旧態依然たる姿を見た思いです。
ついでにいろいろ買い揃えておきました。コンパクトフラッシュは3個購入。事務所にパソコンがあれば、データを持っていくだけで用は足ります。次に、工具。ドライバーの1本もありませんから、最低限のセットを1組。それにコンクリートの壁に穴を開けるドリルの刃1本とプラグとビス。電動の振動ドリル本体は使用頻度から考えて買わずに、私のものを使うようにしました。1万円もしますからね。たぶん、3年に一度ぐらいしか使わないと思います。これで掛時計が付けられます。
百円ショップを覗いていたら、テープカッター台が150円で売っていました。これはささやかながら私からのプレゼント。以上を梱包して宅急便で送りました。3日に私が行って受け取ります。
パソコンが入ったら、その次はインターネットにつなぐ準備。それから電話・Faxを入れて、コピー機も買わなくてはいけません。まだまだやることが山ほどあります。でも、クラブの事務所が日々整っていくのは嬉しいものです。理事会はともかくとして、委員会などで会員の皆様がおいでになったとき、恥ずかしくない事務所にしておきたいと思っています。
○植木百合子氏詩集『蕨宿』 |
2007.7.10
東京都文京区 東洋出版印刷刊 2000円 |
<目次>
T
ハロン湾 10 国境 14
プノン・バケン山 18 ホータイのほとり 22
バチカン 24 北京の朝 26
カシュガルの 少女 ひとり 30 貝のれん 32
U
蕨宿 36 もみじ 40
うた 42 草ひばり 46
鉱毒の村 50 時雨会 54
熊野古道 56 大待宵草 58
夏 62 黄蝶 64
V
回り道して 68 世代 70
山 74 魚拓 78
ひざしの中で 80 かぜ 84
ゆほびか 88 時 90
初詣で 92
あとがき
装丁 鈴木 亨
蕨宿
中山道 蕨宿*
旅寝の人は 江戸まで
あと二日と数えたか
路面に次々と
木曽六十九次の
浮世絵の絵タイル
京まで一三五里
武蔵 上野 信濃 美濃
近江草津で東海道といっしょになる
消え消えの道しるべ
右 芝 鳩ヶ谷へ
左 戸田 江戸 川口へ と
旧家の甍の上
重そうな屋号看板
酒蔵は暗く 冷え冷えとした土間
本陣跡の宿帳に
紀伊中納言
加賀の宰相などとある
皇女和の宮 降嫁の
行列も
にぎにぎしく通ったとか
そこにある歳月
ここにある現在(いま)
* 旧中山道の宿場。現、埼玉県蕨市。
80歳を迎えようとする著者の第2詩集です。30年近く山歩きや旅をしたとあとがきにある通り、旅の詩が多く収録されていました。紹介した表題作は旅とは言えないかもしれませんけど、小さな旅と言ったところでしょうか。昔の旅人を「旅寝の人は 江戸まで/あと二日と数えたか」とうたうところに著者の新鮮な想像力を感じます。最終連の「そこにある歳月/ここにある現在」という視点もよく効いていると云えましょう。ただの紀行詩とは違う、洞察力に優れた作品であり詩集だと思いました。
○詩誌『飛揚』45号 |
2007.7.7 東京都北区 葵生川玲氏発行 500円 |
<目次>
●作品
銀月−古島誓司 4 真夜中の自画像−土井敦夫 6
夏の階段−北村 真 8 白い道−米川 征 10
本屋の隣で−沖長ルミ子 12 アキヤマさん−みもとけいこ 14
校庭のはるにれの木−伏木田土美 16 雨季間近−青島洋子 19
トラトラトラ−葵生川玲 22 爪を切りながら−くにさだきみ 25
●エッセイ
メールという名のコミュニケーション−土井敦夫 30
アトピーとキジムナー−古島誓司 31
●近況 古島誓司 みもとけいこ 32
●編集後記 32 ●同人刊行詩書 2 ●同人住所録 29
装幀・レイアウト−滝川一雄
本屋の隣で/沖長ルミ子
町のおばあさんの家に
私はしょっちゅうあずけられた
駅を右手に見て踏み切りを渡り
テンジョウ川に架かるオカゲ橋を渡り
川土手のダラダラ坂を下りると
本屋の前に出る その隣がおばあさんの家
いつも家に入る前にかならず本屋に寄り
コロポックルに挨拶する
コロポックルが住んでいるのは
みかん色の表紙のぶあつい辞書のような本の中
雑誌や絵本がならんだ台の端にいつも
忘れ物のように置いてあった本の中
かぜにのってくるコロポックル
その言葉を見つければもう満足
「こんにちは さようなら」
本屋を飛び出す
「この川は天上川なんだよ」
橋を渡りながらおばあさんがぼそりと言った
子どものいない伯父さんと伯母さんが
うちの子にならないか と言った日だった
空は曇って今にも雨が落ちそうだった
夜 天井が川になる
伯父さんや伯母さんの目が
じっと私をつかまえているようで息苦しい
額や胸やおなかの上をごうごうと水が走る
眠るのが怖い ねたふりをする
朝 本屋をのぞくとみかん色の表紙がない
誰が買ったのだろう いや
誰かが盗んだにちがいない
もしかして夢の中の私かもしれない
「うちの子にならないか と言」われた心理が「テンジョウ川」や「コロポックル」に仮託されていると思います。その「みかん色の表紙のぶあつい辞書のような本」が、誰かに「買」われたか「盗」まれたのかもしれないというところは自己の喪失という観念かもしれません。最後の「もしかして夢の中の私かもしれない」というフレーズに、作者の繊細な詩人らしい感受性を覚えました。よく効いています。子どもの頃のことは誰もが書きますけど、読者が自然に分析できるようにはなかなか書けないものでしょう。その意味でも優れた作品だと思いました。
○詩とエッセイ『さやえんどう』30号 |
2007.6.1 川崎市多摩区 詩の会 さやえんどう・堀口精一郎氏発行 500円 |
<目次>
歳晩の箱根路−忘年一泊旅行・1
『芳香族』の詩人−川杉敏夫を悼む・2
似た人−斎藤を偲んで・3
詩とエッセイ
平野 春雄●母にささげるレクイエム・6 忍び寄る寒気・7
大貫 裕司●森の文庫・8 山麓の風景・9 道祖神・9
なべくらますみ●訪問者・10 霜柱・11 国王様の誕生日・11
袋江 敏子●蜘蛛・12 夫・13 思い出の彼方・13
田代 卓 ●爬虫類の目覚め・14 アメンボの傘・15 偶然ということ・15
吉田 定一●畳・16 林檎ほどのおもさ・17 帰郷・17
堀口精一郎●居場所・18 老年・18 旗・19 新緑の美しい「昭和の日」・19
和田 文雄●繭玉飾り・24 花鎮め・25
高村 昌憲●キーボード・26 詩集『螺施−新しき回帰−』(一九七七年)から・27 処女詩集の思い出(その二)・27
徳丸 邦子●夢の底・28 月・29 ジェミナイに幸あれ・29
前田嘉代子●ルートX……鍵を忘れて・30 石膏の像・31 只今修行中・31
北川理音子●春が来た・32 生きている・33 冬の月・33 過ぎ行く日々(一〜三)・33
長尾 雅樹●トリプル・エルビス・34 雲の来暦・35 現金書留紛失事件・35
高橋 芳子●夢・36 池・37 人形への願い・37
成見 歳広●ワンコール・ワーカー・38 冬空・39 スランプ・39
埼岡 恵子●冬の風・40 ことば遊び−あかさ・いらいら・41 山之口獏の詩への共感・41
詩集評
袋江 敏子●李美子詩集『かるびや繁昌記』・20
なべくらますみ●新井豊富詩集『横丁のマリア』・20
長尾 雅樹●中正敏詩集『サリパの灯』・21
堀口精一郎●村山精二詩集『帰郷』・22
堀口精一郎●二〇〇六年歳晩 風狂川柳忘年会 覚え書き・42
詩集等受贈御礼・23 編集後記・43 同人住所録・43
表紙デザイン 吉田定一
繭玉飾り/和田文雄
奥座敷十畳の間に冬の花が咲き
箱入りの有田みかんも筑波のこみかんも
枝をたわめ黄金繭になれと輝き
団子餅は白い糸とれろと光る
さあ集まれ繭玉飾り 丸くはぜた霰餅で
小正月とお蚕さまの祝いをする
ばば様は七草がすぎると臼小屋を片付け
よっこらしょ と上臼を返して溝の目を清め
天井から挽き棒を吊し粉箱を目張りして
上新粉が粉箱に丸くつもる
じじ様は暦の明きの屋敷回りへ孫に来(こ)うとひと言
連れ立って梅とあか樫の枝を戴く
莚に挽臼を据え もの配りの目に飾り木を挿し
お蚕さまのしきたり行事繭玉飾りがはじまる
お稲荷さまの祠の玉石も磨かれ
弁天さまの神蛇にお蚕さまの鼠よけを祈る
昔 法師が歌った桑の都絹のみちは
言い伝えになった
調物(みつぎもの)に送るあのころは自慢する誇りがあった
あめりかへ船積みしたがお返しは大恐慌の竹箆返し
しくじりの尻は百姓に回された
お蚕さまは日本種 欧州種 シナ種の家系
家系の由緒は国際紛争陣どり戦争
蚕種屋と製糸屋が手下づくりして
種を水増ししては桑不足
繭を担ぎだしても糸屋との掛け目争いに負け
糸屋の勢力がのしてきた
じじ様は繭かき女衆の手間賃払いに思案顔
ばば様はいつもこうだと仏頂面のふくれ顔
いま時みんな口あけて舶来品に涎をながし
なに結局はニホンの百姓潰しに踊ったまでさ
人絹と化繊に首も肌も眉つば飾り
繭玉も石臼も無用となり隅に追いやられ
ときどき学者先生が聞き書つくりに現れ
暇っ欠きの暇っ潰しにつきあうと
石臼に摺おとの嘆きと滅びの美学が綴られる
じじ様もばば様も桑の枝を縛って寒避の土寄せ
春さき縛り藁をきって芽吹きまえの尺取り退治
やがてお蚕さまが三眠すぎれば寝るとこも無くなる
誰もせめてなりたやお蚕さまとは思わない
繭かきはみんな晴れ晴れ息ぬきの笑い声
おこさまのお恵みにお礼する だがね
絹の道はダンプの道 街路樹の桑も育ちが止んだ
じじ様とばば様のお棺に桑ン棒をそえた
足腰達者だったが もう歳とらねえが用心にしてねと
棺に納めたのは異国人に侵されたくない心意気だった
いまじゃ繭玉飾りも昔話しも現の向う切り
世の中よくなったのかね
こんどこそ虹みつけようや
今では見かけなくなっていますが「繭玉飾り」は私の子ども時代にはありました。ここで書かれている通り「お蚕さまのしきたり行事」だったんですね、すっかり忘れていました。その行事が忘れ去られていく過程がしっかりと描かれています。「あめりかへ船積みしたがお返しは大恐慌の竹箆返し」、「なに結局はニホンの百姓潰しに踊ったまでさ」などのフレーズは歴史の事実として記憶されなければならないものでしょう。最終連の「世の中よくなったのかね」という「じじ様」の問に、私たちは何と答えられるのか、考えてしまいました。
第5連後から2行目の「じじ様」はしじ様≠ニなっていましたが、誤植と思って訂正してあります。第7連後から2行目の「おこさま」はお蚕さま≠ゥもしれません。
今号では拙詩集について堀口精一郎氏があたたかいお言葉で書評を書いてくださいました。御礼申し上げます。
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