きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.6.11 軽井沢タリアセン・塩沢湖




2007.7.4(水)


 湯河原町の「グリーン・ステージ」で開かれた、櫻井千恵さんの朗読会に行ってきました。今回の朗読は松本清張作「火の記憶」。清張自身が、母に連れられて見た幼児の頃の記憶らしく、職人が吹くガラス玉の赤と提灯の赤が交差した、なかなか面白い作品でした。清張初期の作品のようです。

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 それにしても櫻井さんは自在に作品を採り上げますね。45分ほどの朗読という制約も加味しながら作品を選ぶというのは、相当難しいんじゃなかろうかと思っています。私は読書は苦になりませんけど、朗読を聴くというのも良いものだなと感じ始めています。ありがとうございました。次回も楽しみにしています。



機関誌『木ごころ』9号
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2007.6.27 神奈川県南足柄市  非売品
鈴木章好氏発行責任・木ごころの会発行

<目次>
とびら…鈴木章好 1
こぶし開花に寂しさ…長田雅彦 4      酒井恒先生のこと−ペンは剣よりも強し−…竹内 清 6
マルタ共和国旅行記…日高康弘 11      地球防衛隊と木ごころの森…石田晴雄 14
探しもの…尾崎絹代 18           衣被ぎ…加藤三朗 20
はしかのまじない…木口まり子 22      私註『ことばあそびうた』−虫二題「誰が名付けし」−…湯山 厚 24
俳句・短歌の道づくり…相原宗由 27     【短歌】ぶらり歩き中井丘陵地散策…越坂部貞子 30
【短歌】最中と新茶…丸山鮎子 31      【短歌】ビバ・エスパーニャ…川口克子 32
アンデスの旅〜ときめき編〜…小山寛子 33  花屋の店先で(U)…安達 明 36
「千の風になって」…平野博子 40      「余命六カ月」その後…山崎文子 42
決心…滝本小夜子 45            くじら考…山田行雄 48
榛名湖の青…小澤敬子 49          野菜畑…鈴木章好 50
ジレンマの季節…内藤房江 52        イズセンリョウと御嶽神社…一寸木肇 55
ぶらり訪ね歩き−中井町−…木ごころ編集委員 59
編集後記…木ごころ編集委員 60



 こぶし開花に寂しさ/長田雅彦

 自宅から最寄り駅への途中に公民館があって、その後ろ側に雑木林が広がっています。急傾斜地の自然林を公園として残したものです。公民館の建物付近、落葉樹の多い区域には散歩道が作られていますが、檜、杉などの手入れが行き届かない林の部分もあります。この森を少し離れた所から眺めて、一年に一度、強い印象を受ける時期があります。それはこぶしが咲く季節です。

 道路から見上げる擁壁の向こう側の常緑樹林に、こぶしの大木が二本互いに接近して枝を広げているのですが、普段は目立つことはありません。私は普通この道を車で通りますが、三月初めのある日、下りカーブの手前で、花咲くこぶしが突然視界に入ってきます。樹の姿全体は隠されていますが、数本の枝が常緑樹林から突き出して、白い花が点々と乱舞するように見えます。先行して咲く梅に比べてはるかに大きい花で、遠目にも輝いて見えます。この姿が、生きている手ごたえを感じさせてくれる年もあり、まだ冷たい空気の中で、白い花が寂しそうに見えることもあります。

 こぶしは、私の住む団地では庭木として、また近くの小公園にも、少なからず見られます。幹が真っすぐに高く伸びた樹が多く、花は樹全体に付き、いっせいに開花します。こぶしより一週間ほど後れて開花する、白木蓮の黄緑色を帯びた白に対し、こぶしは純白の印象があります。

 先日、こぶしの花に近づいてスケッチしたとき、形の特徴がとらえにくい花だと感じました。花びらの形が変化に富んでいるうえに、花びらの数が一定していません。私が数えた限りでは六ないし八枚でした。花びらが五枚以下の花の種類では、花びらの数は一定しています。花びら六枚の花でも多くは、よく見ると六と数えるより三×二と数えた方がよい構造をしていることに気づきます。山百合、しゃがもその例です。木や草は六以上の数を正確に数えることが苦手なのではないか、取りあえずそう理解しています。

 今年三月初旬は暖かい日が続いていましたが、開花したこぶしの印象は、やや寂しいものでした。雑木林の芽吹きに先駆けて咲く真っ白な姿に、孤独を感じさせるものがありました。開花に気付いたのが、このところ急に回数が増えた通院の車からだったからかもしれません。来年は、心安らかに、なるべくならば希望をもって、こぶしの咲く季節を迎えられればよいがと思っています。

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 前出の朗読会の席でいただきました。9号ですが、通巻では33号だそうで、私の地元で息の長い雑誌が発行されていたことに驚いています。
 紹介したエッセイは、最初、題名に囚われました。春になってこぶしが咲くというのに、なぜ「寂しさ」なのか…。最後で判りました。「このところ急に回数が増えた通院の車からだったから」なのですね。読者を惹きつける力と謂い、中身と謂い、巻頭にふさわしい作品だと思います。途中の「木や草は六以上の数を正確に数えることが苦手」という言葉も名言。一流のエッセイです。

 なお、本文は44字で改行してありますが、ブラウザでの読みやすさを考慮してベタとしてあります。段落ごとに空白行を入れたのも同様の理由によります。ご了承ください。



個人誌『空想カフェ』13号
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2007.7.1 東京都品川区 堀内みちこ氏発行
非売品

<目次>
詩    けれど 菊地貞三…1
エッセイ 詩離れ、博打漬け十年 菊地貞三…5
詩    わたしがセブンティーンだったころ 堀内みちこ…8
エッセイ スクリーン 堀内みちこ…14
詩    意外にしぶとい老いぼれ船  堀内みちこ…22
エッセイ 街と音楽  堀内みちこ…30
あとがき M・H…32
表紙 → グラナダのジプシーダンサー Photo by Michiko Horiuchi



 わたしがセブンティーンだったころ/堀内みちこ

女学校の制服の白い襟をとりかえなかった日
授業中ずっと落ち着かなかった
 汚れてる? いない?
 匂いがする? しない?
白い襟は真っ白でなければならぬ
陽をはねかえしてガラスのようにきらめかなければ 恥なの

おなじ年ごろの あの詩人は
ホモやったりピストルぶっぱなされたりパリでだけど
なにも砂漠に行かなくてもとも思わない わたしがセブンティーンだったころ
彼は こっそり詩 書く気にはなれなかったのだろうか
と夢想もしなかった健全な家庭の娘としての日常に 詩がなんで生きていたのか
フシギ

傍若無人 向かうところ敵なし 世間知らずの級友たちと
 わたしたちは 三十才までは生きないよね
 うん 生きたくない そんなおばあさんになるまで 長生きするのは イヤ!

若さの暴走的会話が盛り上がっていた 無意識に はやくも女の匂いまき散らし
三十才の女の人が生きてるなんて 信じられない 生きていてはいけない美しい女は
なんて断定しながら 家では 四十二才の母が作ったお食事をいただいていた
わたしがセブンティーンだったころ

その何倍か生きて来たわたしとしては
なにも言ったり書いたりはしてはいけない 本来ならば
だって 美しい女は三十すぎまで生きていては ならぬ!

Vサインしていたわたしの脳みそたちが ひしめきあいながら
たったひとつの頭蓋骨 わたしのね の中で
笑ってる バカだよな と 聞こえる?あなたにも フン フン

時代はちがうけど
 見た 永遠を
と 張り切ってたセブンティーンの彼
わたしは 明日のための忘れ物がないかしら
通学カバンの中味を点検してた

毎朝 長いお下げ髪二本 結ってくれる母の
あなたは お父さんににて 髪が薄いわね
をきいてた 縁側の端から五月の風のような両脚をぶらぶらさせて

すこしづつちがうにしても 日々が 時計回りで くるくる回りつづけて
止らない時計回りの不変のルールからはじきとばされないかわりに
母は両脚がダメになった
 家族ものがたりの脚本には
エキストラにもはいらなかった車椅子の不意の出番 小道具としての主役でね
クッションがない車椅子
お尻が痛い
と 清廉潔白で清潔好きの母が言う
クッションしいて 思いのほかに重いのよ 車輪が小さいから
 情けない こんなになるなんて と嘆く母をのせ
セブンティーンのままの気分のわたしがおす ベッドヘ
おやすみなさい
の握手をして 母屋をでると今日の握影はおわる ドキュメンタリータッチでさ

外気はひんやりしていて
古代からのクセで 天をあおぎ あの星をさがす
オレの宿は 北斗七星
と かっこ良く言いはなったセブンティーンの彼の星を

夜空には
知らない人
知った人たちが
       いる

背後のドアの中の寝室で
セブンティーンのわたしの髪を結った人が
       います

この現実を
夢想もせず 予感さえもいだかないで
まばゆい青春 そのかぎられた黄金の期間にいる なんてことにも
無関心で
女学校という温室の
家庭という安全地帯の 窓から
晴れた日には かぼそい木々のあいだからの陽光を
雨の日には  天からの斜線や直線を ぼうっと ながめ
コドク なの と呟いたりしていました
わたしがセブンティーンだったころ

ところで
あなたのセブンティーンのころなんだけど
どんなだった?

もうしわけないんですけど
いま シックスティーンなもので
再来年 お会いしたときに もし お会い出来たらですけど・・・

 早世した人は別ですけど、誰にでもあった「わたしがセブンティーンだったころ」を回想しながら、現在に繋げている作品です。思い出すと、確かに「この現実を/夢想もせず 予感さえもいだかないで/まばゆい青春 そのかぎられた黄金の期間にいる なんてことにも/無関心」でしたね。
 情景描写としては「縁側の端から五月の風のような両脚をぶらぶらさせて」などの詩語が優れていると思います。「いま シックスティーンなもので」も良いですね。映画用語が出てきますが、父上が著名な映画監督だったことに由来しています。



本多寿氏詩集『母の土地』
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2007.6.15 宮崎県宮崎市 本多企画刊
1000円+税

<目次>
春 11        冬日 15       梨の木 19
野分 23       辣韮 27       ガラミ 31
収穫日 35      遠雷 39       葱 43
春大根 47      ある一日 51     駆ける犬 55
雨乞い 59      枯れ木 63      雷雨 67
草むしり 71
 *
母の土地 77
 *
†後記 85      カバー・扉デザイン/ほんだひさし



 母の土地

住みなれた家に帰りたくても
点滴チューブに繋がれて帰れない母がいる
帰りたい家の庭先では
母を待ちながら鎖に繋がれた犬がいる
会いにいきたくても
一歩もうごけない木々が待っている
草花が待っている
草木もまた大地に繋がれているのだ

しかし 帰りたい家も土地も
じつは母のまぶたの裏にあって
蜜柑の木に予防する時期も
枇杷や梅をちぎる季節が来たことも
すべて 手に取るように分かっている
また 犬が
首輪のきつさを訴えているから
「すこしゆるめてやれ」などと叱られる

海辺の病院に入って半年
母は 家の軒先に
監視カメラでも仕掛けていったのだろうか
草が茂れば「刈れ」と命じ
ツツジが咲いたか 紫陽花はまだか
桜は散ったかと気をもんでいる
いささか季節はずれだが
寝たきりでも母は結構いそがしいのである

うごけない母と うごけない山川草木
その上を きょうも日がめぐっている
月は律儀に満ち欠けを繰りかえし
星々は変わらず瞬きながら
母の育んだ畑に光の種を蒔きつづけている
もちろん死の種もまじっているが
肥沃な母の土地は
それさえ豊かに育ててきたのだ

母よ なにを嘆き悲しむことがあろう
季節がめぐり 時が満ちるとき
死もまた あなたが
手塩にかけて育ててきた蜜柑の木のように
その枝々に あかるく たわわに
燈火のような愛の果実を稔らせるだろう
そして あなたは
ほかならぬ果実の中に生きつづける

 扉にいまわのきわを生きる義母に≠ニ書かれた詩集で、全編、母上のことがテーマになっています。ここではタイトルポエムを紹介してみました。「母」は義母と同意語と思ってよいでしょう。
 第1連の「点滴チューブに繋がれて帰れない母」、「母を待ちながら鎖に繋がれた犬」、「大地に繋がれている」「草花」「草木」から構成上も見事です。「すべて 手に取るように分かってい」て、「寝たきりでも母は結構いそがしい」のですけど、それを見る作者の眼の確かさ、やさしさを感じます。「光の種を蒔きつづけ」「死の種もまじっている」「肥沃な母の土地」を通じて人間への愛を展開した詩集と云えましょう。



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