きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.6.11 軽井沢タリアセン・塩沢湖




2007.7.6(金)


 今週は出掛ける予定が続きますが、今日は谷間の1日。終日、書斎に籠もっていただいた本を読んでいました。ここのところ多くの本が寄せられていますので、ちょっと礼状が遅れています、すみません。なんとか1週間遅れぐらいですませたいと思っていますが、来週も3日は出掛ける予定ですので、さらに遅れるかもしれません。どうぞご海容ください。



山中真知子氏時評集『詩の余白』
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2007.5.23 茨城県龍ヶ崎市 ワニ・プロダクション刊
1500円+税

<目次>
チェチェリアに会いに 8          森の隠れ家 11
伝承−その波のリフレイン 14        シルクロード(内なるバラを捧げん) 17
かそけきもの 20              芸術運動ののののの 23
闘うオンディーヌ 27            土の記憶 30
秘めたまなざし 33             わたし以外のもの 36
心の家 41                 黒い聖女 44
精霊たちの夜に 47             みんなちがって、みんないい。 51
ポエジー・キュラソー 54          ドラムが地の底をふるわす 58
対話するアート 62             大伴家持のかなしみ 65
くりかえす自問 69             言葉の栖 72
火の水 不知火 77             反響し、また反響する。 80
あとがき 66



 秘めたまなざし

 六月七日、半蔵門・ダイヤモンドホテルで日本現代詩人会主催「日本の詩祭二〇〇三」が開催された。同会に入会させていただいたばかりの私も末席に連なった。第53回H氏賞、第21回現代詩人賞の贈呈が行なわれ、秋谷豊が相田謙三とならび先達詩人の顕彰を受けた。秋谷氏は私も同人として所属する詩誌『地球』の代表である。
 私がまだ十代のころ、朝日新聞埼玉版に投稿詩が掲載されたが、そのときの選者が秋谷豊だった。二十代になって、秋谷氏が豊島区民センターホールで日本現代詩人会の詩の講座を担当した折から、私は受付の手伝いをするようになった。受付の仕事がすめば、会場の後ろで聴講もできた。講座では毎回、著名な詩人をゲストに招いたのだった。

 当時、憧れだった石垣りんがゲストだった日をなつかしく思い出す。詩人は来場するなり、肉饅入りの紙袋を「はい」と受付係に差し出した。初めての出会いなのに、屈託なく、私はそのことに驚き、人柄のぬくもりがうれしくもあった。
 講演する石垣りんの声には張りがあり、表情も愛らしく、私は身を乗り出して聴き入った。終始にこやかなのに、しかしある一瞬、眼に凄みが宿る。それまでどんな人からも受けたことのない印象で、私はたじろいだ。以来、詩人・石垣りんは私にとって、抜き差しならぬなにかを秘めた存在となった。
「日本ではない、日本語が私の母国だ」と語る詩人の孤高の眼差しが、詩を書くときの私を戒め、励ます。<鬼ババの笑いを/私は笑った。/それから先は/うっすら口をあけて/寝るよりほかに私の夜はなかった>「シジミ」

 また、黒田三郎は、受付係に唐突に話しかけてきた。「ぼくは推敲なんてものはしないんだよ」と。ぽかんとしていると、「そんなことしなくても、もう、詩がすらすらと書けるからね」。自信たっぷりな顔で、まるで観客の視線を意識しつつ演じた役者の口ぶりだった。受付係は愛想よく聞きながら、内心でつぶやくのだ「そんなことありえないでしょう」と。だが、年月がたつうちに、あれは本音だったのかもしれないと思うようになった。<落ちて来たら/今度は/もっと高く/もっともっと高く/何度でも/打ち上げよう/美しい//願いごとのように>「紙風船」の自然でリズミカルな言葉の流れ、小さなユリとの語らいを思えば、言葉が詩語と日常語の区別なく溶け合っている。湧きあがるインスピレーションをつかむと、すでに言葉は練りあがっているのだろう。

 はじめ姿を目にとめたとき、近所の住人がビルに迷いこんできたのかと思った。怪人的な印象を受けたのは、その人が、和服の衿がはだけたままの姿で、突然、受付係の私が座っている椅子に体を寄せて腰かけたからだ。奇っ怪な人だった。私は、急に立ち上がるのも失礼かと、動けないでいた。ものの数分だったが、私にはずいぶん長く感じられた。ふいにその人が離れ、ほっとして、それからさらに驚いた。演壇に立ち、金子光晴と名乗ったのだ。作品を読んで私が勝手にイメージしていた知的な詩人像とあまりにかけ離れた風貌がショックだった。だがそのあとも、作品を読むたび、すぐれた批判精神の奥にうずく詩人の深い情に胸を打たれることには変りない。詩世界のスケールの大きさは、やはり怪人技だ。<そらのふかさからおりてくるものは、永劫にわたる権力だ>「噂台」。<なにしろいまの日本といったら あんぽんたんとくるまばかりだ>「森の若葉 序詩」。詩から噴出するエネルギーは強烈で、古びるどころか、めらめらと燃え盛っていく。

 秋谷豊は、私にとって、かかわりの長い詩人である。「ヒマラヤの狐」「砂漠のミイラ」など、多くの作品と出会った。<鈴をつけたキャラバンが北からやってくる村/それからぼくらは/氷河を何日も何日もさかのぼった/見渡せば けわしいフェースでそそり立つ/結晶した白いいただき/その静けさの中であの鈴の音がきこえてくる>「チベット街道」。<「白い幽霊みたいだ」と一人が言った/五七〇〇メートルのアイスフォール/巨大な氷塊にたたきわられて死んだ/シェルパ六人/だがその深い割れ目へ/われわれはとびこんでゆかねばならぬ>「白い山」。
 自然への畏れとともに、内面を見つめる目の彼方に、さらに未踏の山をめざし、未知の文明を求める眼がある。静かだが、何千年とたえず湧く泉のような底なしの眼は、詩の一滴が瞬く間に滅ぶと知りつつ、見果てぬ夢の一滴をその眼に湛えるしかない。
 先達とは、山岳修業の先頭に立って指揮をする人の意という。アイスフォールを目に焼きつけた山の詩人・秋谷豊にふさわしい顕彰である。

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 サブタイトルに「マイ・パフューム」とあり、意味は香水・香料のようです。あとがきには、隔月刊誌『鰐組』に「マイ・パフューム」と題して、2002年4月号から2005年10月号までに連載したもの、一部、詩誌『漉林』に掲載したものも含めた、とありました。紹介した時評には「石垣りん」「黒田三郎」「金子光晴」と、現代詩の巨峰たちの日常の姿が描かれていまして、しかもそれに臆することなく観察する著者の姿勢にも共感できます。まさに「詩の余白」が放つ「マイ・パフューム」と云えましょう。

 なお原文は47字改行となっていますが、ブラウザでの読みやすさを考えベタとしてあります。任意に入れた空白行も同じ理由によります。また明らかな誤字が2か所ありましたので、これも勝手に訂正しておきました。ご了承ください。



館報『詩歌の森』50号
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2007.7.5 岩手県北上市
日本現代詩歌文学館発行 非売品

<目次>
同人雑誌/粕谷栄市
文学館活動時評16 温泉(いでゆ)の旅/犬飼公之
詩との出会い17 俳句との出会い/小林輝子
連載 現代のこどもの川柳2 ジュニアの作家たち/江畑哲男
連載 現代俳句時評(2) 季題・季語のこと/茨木和生
資料情報
詩歌関係の文学賞
第22回詩歌文学館賞贈呈式
日本現代詩歌文学館振興会評議員動向 他
後記




羽嶋優貴(小6、平成8年当時)
 小学校一年生から川柳を始めた。山口県防府市から三姉弟で投句を続けてくれた。明るく活発で聡明な少女。何事にも前向きで意欲的な様子が、投句からも伺えた。近況を電話で聞けば、国立大学(理系)卒業後、一流企業に就職されたと言う。二〇歳を超えたいま、さぞ魅力的な女性になっていることであろう。第一回の「みなとジュニア川柳質」受賞者(H8)。
 絶好調何をやってもいい気分
 威張るなよ早く生まれただけなのに
 テレビ見る注意されても聞こえない

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 前号から始まった、江畑哲男氏による「現代のこどもの川柳」は、やはり面白い。3人の子どもの川柳を紹介していましたが、ここでは当時小学校6年生だった女の子の作品を転載しました。特に「威張るなよ早く生まれただけなのに」は佳品だと思います。もちろん小学生という前提でしょうが、実はこれ、大人にも当て嵌まります。大人どころか老人にも当て嵌まるだろうなぁ。中年の私が一部の老人に対して持っている感情を見事に、しかも10年も前に言ってくれていました。



個人詩誌Quake26号
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2007.7.15 川崎市麻生区
奥野祐子氏発行  非売品

<目次>
堂々たるトルソー 一
網 五
星 十



 堂々たるトルソー

一歩
外に踏み出して
あふれる太陽の下 歩きつづけ
ビルや 車や たくさんの印刷物や
人いきれでにぎわうところに
ふらり ふらりと 入ってゆけば
なんて魅惑のひとときが
私を待っていることだろう
声をかけられ
名前を告げると
驚いたような顔で迎えられ
コトバを交わし
自分はここで ひとりぼっちじゃないって
うれしい錯覚に酔いしれて
振り回されて 踊らされて
もみくちゃにされ 骨抜きにされて
ほうぼうのていで 帰ってくる
いつも さいごは ひとり
汚れて よじれた 己の仮面を
すべてはがして 素顔に戻るのに
二、三日はかかってしまう
いつも そう この繰り返し
それでも また
ほとぼりが冷めると
おもしろいこと なんかないかな?
ふらり ふらりと 外に出かけてしまう
そこで ある日
私は決意した
己の足を ぶった切る
  何処にも もう 行けぬように
己の首を むしり取る
  もう 外に 目も いかぬように
  嘘八百を並べる口が
  永遠に 閉じてしまうように
己の手を 切り落とす
  電話も 手紙も 何も書けぬように
  外への 扉を開けぬように
そして 後に残った 血まみれの
堂々たるトルソー
ずっしりと 重さを たくわえ
りんと 胸をはり
暗い 六畳一間の部屋に
ぽつん
と、
ひとり
さあ! やっと
これから創造が始まるのだ
これから ほんとうに
感受することが始まるのだ
もう
逃げも隠れもできない
異形のもの
すっきりと覚悟を決めた
醜怪な形
堂々たるトルソー
ここにいる!

 この感覚は判りますね。「自分はここで ひとりぼっちじゃないって/うれしい錯覚に酔いしれて」、でも「いつも さいごは ひとり」。「すべてはがして 素顔に戻るのに/二、三日はかかってしま」います。私の場合は深酒しているので、もっと遅い…。
 その反省として首や四肢を「ぶった切る」わけですけど、そこからが凄い。「さあ! やっと/これから創造が始まるのだ/これから ほんとうに/感受することが始まるのだ」、「堂々たるトルソー/ここにいる!」とするところにこの詩人の勁さを見る思いです。都市の誘惑への抵抗としての詩とも読みました。



個人誌『櫻尺』30號
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2007.7.1 埼玉県川越市
鈴木東海子氏発行  500円

<目次>

粕谷栄市/蝿 2              新井豊実/魚籠の中 4
岩佐なを/鮒女 7             國峰照子/さびた肖像 10
時里二郎/島の井 14            太原千住子/アーティスト・ライセンス 16
神尾和寿/蚊の手帳 20           嵯峨恵子/特別な時間 22
山口眞理子/左から来る右 26        小笠原鳥類/温室 28
中村不二夫/皇帝 32            須永紀子/旧市街 35
井坂洋子/エンプティ 38          高貝弘也/生まれる 40
鈴木東海子/睡る庭 44
櫻発 46
後記
表紙・鈴木英明



 蚊の手帳/神尾和寿

単純な
手帳である
刺したのは
やわらかい肉だったのかかたい肉だったのか
吸った血は
うまかったのか まずかったのか
ただ その二種類の
報告だけが
饂飩のように綴られていく
情けないほどまでに とぼしい筆庄を
ともなって
哺乳類誕生の歴史を 祝う
正しい
手帳でも
ある それらの頁を
いちまい もう
いちまいとめくっていくうちに
妙にいやな汗が滲んできて
親しかった 夜はいつのまにか尽きており
あらためて
温度をとりもどした戸外の様子は
さかんにものを売ったり運んだりしている 気配
戦争にも
似ている
手帳のなかに
ぼくのからだが まだ見つからない

 「単純な/手帳」の喩は何であるのか、かなり難しいのですが、私は詩の中の言葉を拾って「歴史」なのではないかと思いました。「蚊」の喩から考えれば「戦争」の歴史と捉えることができるかもしれません。「手帳のなかに/ぼくのからだが まだ見つからない」とは、まだ歴史になり切っていない自分と採りました。おそらく外れているでしょう。「ただ その二種類の/報告だけが」というフレーズを考えれば、ON・OFFの見方もできるでしょう。しかし作品は見事に整っていて、美しい詩だと思います。気になって何度かひも解きたくなる作品です。



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