きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.6.11 軽井沢タリアセン・塩沢湖




2007.7.13(金)


 13日の金曜日。だからといって、特に何もなし。クリスチャンではありませんしね。仏教徒という意識もありませんけど、高校の同級生が住職をしている曹洞宗の檀家になっていますから、一応、仏教徒という分類になるのかもしれません。でも、般若心経ぐらいは読みましたが、仏教の勉強をしたということもありません。クリスマスを祝うという習慣もありませんし、やっぱり無神教。唯物史観に照らせば、普通の1日。ま、そういうことになるのでしょう。
 しかし、13日の金曜日ということで、宗教についてちょっと考えてみるのは無駄ではないと思いました。特に、なぜ神仏が創られたのか、神仏があるとすれば、なぜ彼らは世界を創ったのか…。特に、なぜ世界を創ったのかは、たまに拙宅を訪問してくれる「エホバの証人」の人たちとも議論になっているところで、もちろん解答はありません。科学者の端くれとしては究明したいところですが、まあ、無理だろうなぁ。そんなことをつれづれに考えていた1日でした。



石川逸子氏詩集
『もっと生きていたかった』
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2007.8.6 東京都葛飾区 石川逸子氏編集 500円

<目次>
1 笛の音・3               2 一枚の絵・5
3 一枚の誕生プレゼント・9        4 一枚の地図・13
5 一九四五年・ベトナム・18        6 一本のくすの木・21
8 一つの歌・26              9 仁川の倉庫で・31
10 小さな手・35              11 一枚の写真・38
12 21世紀になって・41           13 二〇〇一年・カブール・42
14 二〇〇四年・ファルージャ・45      15 一通の遺書・47
16 一人の医師と一人の若者・50       17 再び笛の音・54
参考文献・56
厳しいのは現実 渾大防一枝・57
あとがき 石川逸子・58



 2 一枚の絵

ここに
一枚の絵があります

絵の右下には
笑っている 雪だるま
右の手にホウキを高く掲げ
花の絵が描かれたバケツをかぶって
やさしいお母さんのようです

絵の左側から
雪だるまへ向けて
ソリに乗った子どもたちが
次つぎ滑り降りてきています
その向こうには
乳母車を押している女の子
大きなボールで遊んでいる 男の子

雪だるまの上手には
三軒の家が 少しずつ離れて立っています
手前に大きく描かれた家は
窓が三つ
ベランダに鉢植えの花が並び
煙突から煙があたたかく 空に流れています
門のかたわらに
冬枯れの大きな樹が二本
この家の人々を守るように立っています

この絵を描いたのは
ユリエ・オグラロヴァー
そのとき 十一歳でした
そして 今も 十一歳のままです

一九三三年六月十三日
チェコスロバキアに生まれた
ユダヤ人の少女 ユリエ・オグラロヴァー
ナチス・ドイツ占領後
プラハ郊外のテレジン強制収容所に
家族とともに連行され
十歳から十五歳までの子どもが入る
〈女の子の家〉の三段ベッドに
容赦なく詰めこまれました

それまで片時も離れたことのなかった
お父さんお母さんに会うときとてなく
やがて見る影もなく痩せて
一九四四年十月六日
他の女の子たちとともに
ナチスがいう「新しい、もっと良い定住地」“東”へ
貨物列車で移送されました

まる二日 ぎゅう詰めの貨物列車のなかは
食べ物も与えられず
トイレへも行けず
ふらふらになって 辿り着いた先は
アウシュヴィッツ強制収容所
すぐに長い列をつくって並ばされ
左右に選別されたのです
右の列に入れば まだ生きていられる
左の列に入れば ただちに殺される

青ざめ すっかり弱りきっていた
十一歳の少女ユリエは
白い手袋をはめたドイツ兵によって
きっと 左の列へと押しやられたことでしょう
そして そのまま「シャワー室」へ

巧みな誘導によって
シャワーを浴びて清潔になるのだと信じ
洋服をきちんと畳み
その上に靴を乗せ
うれしく「シャワー室」へ入っていった
たくさんの子どもたち
荒々しく ドアが閉められ
やがて天井から浴びせられたのは
猛毒のチクロンB でした

その部屋で
あどけない子どもたちが
どんなに苦しんだか
もがいたか
想像したくありません
考えたくありません

でも それは二十世紀に 本当に在ったこと
十一歳の少女ユリエ・オグラログァーの上に
たくさんの子どもたちの上に
実際に起こったこと

そのことを忘れないでほしいの
考えてほしいの
雪だるまの絵は 静かに語りかけてくるようです

 「子どもたちへの伝言」という副題があり、改訂版となっていました。藤沢の朗読グループ「海の音」の上演のために10年前に書かれたのが初版のようです。今回、再演するにあたり改訂版を作ったと「あとがき」にありました。
 作品は目次からも判ると思いますが、第2次世界大戦から現在まで、大人の勝手で戦争の犠牲になった「子どもたちへの伝言」です。紹介した「2 一枚の絵」の絵は、同封されていた再演のチラシに描かれていました。著作権・版権を考慮して載せませんが、詩作品の第2〜4連で充分伝わると思います。第5連の「そのとき 十一歳でした/そして 今も 十一歳のままです」というフレーズの重みを感じる作品でもあります。

 ちなみに再演の「海の音」第16回定期朗読会は8月4日(土)午後2時開演。藤沢市労働会館ホールにて。大人1,000円、中高生500円。お近くの方、お時間のある方は行ってみてください。



『ヒロシマ・ナガサキを考える』89号
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2007.8.1 東京都葛飾区
石川逸子氏編集・ヒロシマ・ナガサキを考える会発行 200円

<目次>
在ブラジル被爆者の闘い P2
 ・森田会長(竹峰誠一郎)P5       ・盆子原国彦さんのお話 P6
常徳の細菌戦被害(藤森節子)P11      横浜事件意見陳述(木村まき)P18
詩・川本晃 P27              伝えるものは(江口昌子)P28
西松訴訟一行の広島訪問(加藤陽祐)P31



 郵便局/川本 晃

家数が 十軒余りの中ほどに 古い局舎の三等局があった。
道から屈んで見るなれば 硝子の向こうに時計が見える。
懐中時計を持ってきて 針を合わせる人もゐた。
時計を持たない旅人が 道に屈んで時計見て 足を早める
そのさまを 道べの芒は見てゐたが 空の昼月笑ってた。
郵便配達する人が 朝の出がけに青年が バスを待つのに
声かけた、自転車に片足突いたを 両足降りて問いかけた、
「何処へ行くん」 青年は青い顔して俯いて『征くのよ』と
一言言った、また言った、『死ぬかも知れん』集配さんはスタンド立てて
側に行き 「元気を出せよ」 「あんまり心配するなよ」 と言うた。
戦争末期のその頃は スパイが何処にも居ると言い
仕事に行くよな身なりして 誰も送らぬようにとの達しがあって
誰もがこっそり家を出て 一人で広島の部隊へ行ったもの。
その青年は 終戦後 役場から戦死の知らせが届いた という
この集配さんは 二度目の召集になったが 生きて戻ったという
そして 死んだ彼にはたった一人の母親がゐたことを知っていたと言い
何度も柳の木の下で 訣れたあの青年の力のない 青い顔色が目に浮かんで、 可哀そうでならぬと 何べんも言った。
いまでは 二人とも 亡き人となっている。 国道から少し入った所の
崖の上には はがきを売っていた事務員が 一人ぼっちの祖父さんを残し
戦死したその墓がある。その下の道を通る度に 呼ばれるようで
脳裏をぐるりと締められる思いがする。
昭和十二年 村で一番最初に戦死した集配さんの墓も近くにある。
これは近所の人に万歳で送られ その一ケ月後に「北支」で戦死したもの。
家族が遺品を調べたら 小さな手帳が出てきたが 開いて見ると
遠くの年寄りに薬を買うて来て と頼まれたなど こまごま書かれていた。
こんな話を忘れた頃が危ない 時と所を選んでは 言うて伝えておきたいね。
       〜川本晃「七、五月集」(07・5)より〜

 大戦中の話です。一番古いところでは「昭和十二年」が出てきました。今から70年も前のことです。そんな古い話を今更、と思う気持ちもありましょうが、それに対する回答は最終連に集約されています。「こんな話を忘れた頃が危ない 時と所を選んでは 言うて伝えておきたいね。」というフレーズは体験者にしか書けないものです。私は書物などで追体験しているつもりですが、やはり弱い。身を持ってその時代を生きた人の声は大事です。「こんな話を忘れた頃が危ない」、そんな現在を再認識させられた作品です。



文芸誌『だるまおこぜ』2号
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2007.5.1 沖縄県那覇市 アドプロ自声堂発行
200円

<目次>
生の廻廊/宮城松隆…2           「ちっちゃい小鳥のうた」/古島誓司…4
「市井のホンモノ」/古島誓司…8       楔(娘へ)/蓮実
(ハスミ) 瑛(ヨウ)…13
テッポウエビの歌/渡久地成公…16      くゆった ゆくえ/親川早苗…22
「マリンよ!」/親川早苗…24         ワンダおばさん/西本三郎…25
美醜渾沌/川満信一…・27          深夜の泊港/川満信一…29
シナリオ(原案)扉/西本三郎…33      表紙画 嘉陽田明美



 生の廻廊/宮城松隆

生の廻廊は生命が他の生命を犯さねば維持できない。

人は狂うほどの悲しみを引きずっている。

この世で最も純粋になろうとすれば白痴にならざるを得ない。

男は射精することによって
女は排卵をすることによって
「いのち」殺しが始まる。

植物が美しくやさしいのは
食物連鎖をしないからである。

僕は自己の自在鍵の使い方が分らない。
いかにすれば現在の自己を規制していることから逃れられをのか、

人は思索によって生きる
その思索のみを延長すれば
人は初めて人となり得る。

時間と空間と自己の肉体に左右されない自己が実現される。

個と孤を凝視する為には近親者への冷眼が必要になる。

朽ち木が二本
「朽ち木倒し」という虚構

生の廻廊とは
悲しみに充ちている。

 私も常々、なぜ「生の廻廊は生命が他の生命を犯さねば維持できない」のだろうと思っています。もちろん解答はまだありません。そんな中で「植物が美しくやさしいのは/食物連鎖をしないからである。」というフレーズに出会って、少なからぬ衝撃を受けています。判りきったことと言ってしまえばそれまでですが、この視点は抜けていました。地球上の生物が全て食物連鎖の鎖に繋がれているわけではない、という事実。ここに何か解答がないかなと思います。人間として「悲しみに充ちている」「生の廻廊」から逃れられる術はありませんけど、せめて理屈の中でだけでも解決したい、そんな思いに捉われた作品です。



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