きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.6.11 軽井沢タリアセン・塩沢湖




2007.7.28(土)


 西さがみ文芸愛好会でご一緒している日野顕秀さんが、小田原・伊勢治書店3階のギャラリー「新九郎」で個展をやっていますので、見学させていただきました。風景を描いた油彩が主でしたが、柔らかな色彩で、まるで水彩のような印象を受けた作品が多くありました。そうかと思うとはっきりした色彩の絵もあって、変化に富んだ個展を楽しませていただきました。以前、銀座の文藝春秋画廊でやった個展を小田原で、ということのようですが、銀座でも評判が良かったようです。気に入った絵が何枚かありましたけど、もちろん私などが買える金額ではないので、絵葉書を求めました。原画とちょっと色味が違うのは致し方ないところですが、雰囲気は味わえます。しばらく机に飾って楽しもうと思っています。

 伊勢治書店はその名の通り本屋さんですが、文房具も充実しています。帰りがけにフッと思いついて、日本詩人クラブ事務所用の押切りのペーパーカッターとテプラを購入しました。値段も定価の半額近くで、良い買い物をしました。1日の日にでも事務所に持っていこうと思っています。大きな荷物を抱えて小田急線の乗るのはちょっとシンドイかもしれませんけど、宅配便を使うほどの重さでもないし、まあ我慢できる範囲内でしょう。遅々とはしていますが、事務所に備品が増えるのは嬉しいことです。



池田康氏詩集『星を狩る夜の道』
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2005.4.15 東京都新宿区 北溟社発売 2000円+税

<目次>
 T
天道虫 8      鯉 9        咬む 10
桜林 11       このケットを見よ 12 孤児 13
あしずり 14     外出禁止 15     灯 16
正午 18       途上 19       鳥籠 20
桃 21        同じスプーン 22   二つの道 24
糸 26        きせき 28      捨児 30
朝食 31       手紙 32       いじわる 33
一角獣 34      鳩 35        つめたい憧憬 36
京 37        夏の稚児 38     対話 40
峠 42        戦車 44       切符 46
はたおり 48     弾痕 51       みかん 52
夢を探す 54     パラドクス 56    カーボン 58
階段1 59      階段2 62      階段3 64
階段4 65      階段5 66      階段6 68
石のデッサン 70   ピストル 78     古墳 82
割礼 86
 U
夜の女王 92     からくり 93     日記 94
モード 95      気骨 96       おやじ 97
波乱 98       近況 99       町奴 100
野良犬 101
.     愚輩 102.      駅 103
浮浪 104
.      国 105.       極 106
ロシア 107
.     風 108.       貧 109
SOS 110
.     星占 111.      宿酔 112
夏 113
.       遅日 114.      影 115
いくさ 116
.     栞 117.       世紀末余情の咳き 118
 V
星狩 124
あとがき 144
装丁・本文レイアウト▼巖谷純介 装画▼淺井宏紀



 切符

にぎりしめる手の中に
切符がある
行先をたしかめるべきか
見ずにこのまま歩いてゆこうか

切符の指定とちがう所に
行ってしまう人もいるにはいる
勘が鈍って踏み誤る人
絶対の自由を試みてわざとそれる人

素直に歩いていれば
自然と着くべき場所に着くものだ
とうっかり信じて
その通りゆく人もいる

見てしまうと
反抗したくなりはしないか
ちがう所に行きたくなるのではないか
われら天邪鬼の徒は

とりあえずしっかりと
にぎりしめていよう
行先をなくしては大変
迷子にも方角のひとつやふたつはあるのだ

 10年ぶりの第2詩集だそうです。Tは詩の原始の探求、Uは詩のモダニズムに対する最終戦の試みとして各行を直立させ、文脈が行をまたいでつながることがない作品、Vは古代の長歌の応用、とあとがきにありました。ここではTから「切符」を紹介してみました。人生の切符≠ニ採ってよいと思いますが、私も含めた「われら天邪鬼の徒」には耳が痛い作品かもしれません。しかし最終連の「迷子にも方角のひとつやふたつはあるのだ」というフレーズに救われた思いもしています。まだ先があるかもしれない…、そんなことを感じさせる詩語です。1964年生まれ、現在の詩壇では若手と言ってよいでしょう。今後のご活躍に期待しています。



星ア茂氏著『歌心往還』
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2007.6.16 神奈川県小田原市
西さがみ文芸愛好会刊  2000円+税

<目次>
 カバー飾絵 「錦秋の箱根芦ノ湖」 渡辺忠之
  扉 飾絵 野地三恵/町田紀美子/星ア文子
まえがき…3
T 歌心源流――『ちぐさ』、『歌緑』の人々
石岡雅憲先生を偲ぶ…13
.           石岡先生と短歌について…18
石岡雅憲歌集『望年』…23
.          山崎節子さんを悼む…30
塩田光子歌集『ちぐさ自寛』の世界…33
.    小菅清子歌集『茶花撰』を読む…41
松井繁歌集『時間の印影』を読む…48
.     内田よね子歌集『澤桔梗』の詠嘆…54
角田寿恵子歌集『君子蘭』について…63
U 歌心往還――さまざまな歌集をめぐって
三つの別れ―半田良平、石野勝美、土屋文明…71
. 短歌の作品批評について…76
佐藤志満歌集『身辺』…81
.          由谷一郎歌集『濤の音』…85
由谷一郎歌集『聴濤』…88
.          平野宣紀歌集『鶴髪』…93
大塚布見子歌集『山辺の里』…96
.       後藤直二歌集『針葉樹林』…99
千代国一歌集『日曇』…102          林 安一歌集『剖符』…106
高橋徳衛歌集『黄雀集』…109         石野勝美歌集『市井抄』…114
堀江伸二歌集『小さき家』…117        板宮清治歌集『木枯ののち』…120
大河原惇行歌集『鷺頸集』…123        御供平佶歌集『神流川』…126
渡辺元子歌集『孤独の月』…129        小島宗二歌集『余映』…132
田村賢一歌集『花こぶし』…135        牧田綾子歌集『煌めく川』…138
沢柳スズ子歌集『無影灯』…143        片柳之保歌集『清泉集』…146
岸 麻左歌集『最上川』…149         長坂佐治夫歌集『冬丘』…152
V 一首鑑賞
山川登美子「桜ちる音と胸うつ血の脈と……」…157
島木 赤彦「魂はいづれの空に行くならむ……」…159
島木 赤彦「夕焼空焦げきはまれる下にして……」…161
島木 赤彦「信濃路に帰り来りてうれしけれ……」…163
島木 赤彦「隣室に書よむ子らの声きけば……」…164
長塚  節「白埴の瓶こそよけれ霧ながら……」…165
長塚  節「枯芒やがて刈るべき鎌打ちに……」…167
伊藤左千夫「今朝の朝の露ひやびやと秋草や……」…168
石岡 雅憲「山峡に焼け残りたる藁のある……」…169
古泉 千樫「枯木みな芽ぐまむとする光かな……」…170
古泉 千樫「秋さびしもののともしさひと本の……」171
佐藤佐太郎「沼のべの村のしづかさ残汁を……」…172
北岡由紀夫「さみだれは今日も来て降る挿木して……」…174
植木 正三「いちめんの音になりたる梅雨の雨……」…175
塩田 光子「勤めきしわが来し方をかへりみて……」…176
塩田 光子「夕づける陽にさそはれて散る桜……」…177
高橋 徳衛「骨瓶のずれたる蓋にさす陽差……」…178
温井 松代「戦はぬ思想に滅びけるものの……」…179
市川 健次「受け継ぎて妻の使へる針箱に……」…180
星崎  茂「菜の花の黄に咲き揃ふ峠道………」(播磨晃一)…181
W 西さがみの風土に根ざして
市川健次の短歌について…185         市川健次の「母の歌」…188
前田夕暮歌碑と杉山長風氏…191        早雲寺の並木秋人…194
石井初子歌集『土用凪』を読む…196      田中比沙子歌集『うつくしき日』を読む…199
勝又文江歌集『旅路』を読む…203       藤平初江歌集『あしがり野』を読む…208
小沢香峰子歌集『野菊の径』を読む…212    野地安伯歌集『稜線』を読む…217
下北・津軽 旅の歌…221           佐渡 その光と影…225
小田原城天守のさくらの歌…230
X 歌心は還る――星ア茂歌集『生きものの聲』への諸家の評言
植木正三「人生旅行詠」…237         温井松代 低音に詠う老の自意識…239
小野沢実 迫り来る小さき命への凝視…244   片柳之保『生きものの聲』小感…250
小島宗二 歌集『生きものの聲』雑感…255   星 貞男 精魂の籠った歌集…260
狩集日出男『生きものの聲』の世界…265    勝田洋子 あたたかさとたしかさ…268
石井茂 弱音への憐憫…270
Y 戦火のかなた――戦後はいまだ遠くにあらず――
千人針に武運長久を祈る…273         軍旗の壕…276
わが戦争詠…277               挺身斬込隊長の歌…278
短歌で綴る私の教育小史…280         短歌で綴る戦後の教室…286
小学生と戦争の話…291
・あとがき…297
・星ア茂略歴…299



 石岡先生と短歌について
  ――「石岡雅憲先生をしのぶ会」での挨拶から――

 つい二年半前まで皆様とご一緒に『ちぐさ』、『歌緑』を通して勉強させていただいて、大変ありがたかったと思っております。(略)
 石岡先生の歌の本質的なことについて少し申し上げてみたいと思います。石岡先生の歌論の根本、一番もとになりますのは、斎藤茂吉の「実相に観入して、自然・自己一元の生を写す」という短歌論から出発しまして、その信奉者であられた植木正三先生が「生のリアリティ」ということをしきりにおっしゃったところにあると思います。
 斎藤茂吉の理論や植木正三の理論を一番実践されたのは石岡先生であろうと、私は思っています。その根本的な考え方は、短歌的表現の最大の特徴は詠嘆であるということを、常々言われておりました。その詠嘆に行き着くためには、心の内容がひたぶるで、切迫していて、そして表現上は単純化だと言っておられます。
 先生は「単純化」ということを言われたけれども、その単純化ということを歌に詠まれたものがあるんです。この二〜三日、この会に出席するので、石岡先生の歌集を毎日ひっくり返しまして、先生が短歌理論で「心はひたぶるで、表現は単純だ」と言われているけれど、そのことを歌に詠まれたことはあるのかなと思い、いろいろ見ましたら、『望年』にありました。
・厚き葉のしげみに咲ける藪椿は単純にしてわが心ひく
 先生が藪椿を見てその藪椿の単純さに心を魅かれたんだというのです。これを読んで、「心はひたぶるで、表現は単純化する。これが歌の詠嘆になるんだよ。」ということを、言葉するどく懇切丁寧にお話しになったことが思い出されます。

 先生は私たちに対して二つのことを強く言われました。
 その一つは「高みを目指しなさい。通俗平易に陥ってはだめですよ。」ということでした。いつも、歌は高みを目指さなければいけないんだということをおっしゃった。
 塩田光子さんの歌集『ちぐさ自寛』にこういう歌があります。もっとも先生の気持ちを代弁している歌ではないかと私は常々思っておりましたので書き留めてきました。
 ・うたのみが浅きにあらず生きざまの深からぬことを今宵も思ふ
 歌だけが浅いのではないので、歌を生み出している人間が浅いから歌も浅くなるんだよ……そういう意味だと私は思います。自分の生きざまが深くないからこんな歌しか出来ないんだよ、と。
 石岡先生はいつもこのことを言っておられました。植木正三先生もおっしゃっていましたね。「歌だけかじっていいと思っていたらだめだよ。人間が深くなっていかなければ、歌だって深くなりっこない。」と言っておられました。そんなことを、私は思います。

 もう一つ、吟行会をよくやりました。毎年のように泊まりがけの吟行会をやりましたね。泊まりがけでやらないときは、近くを回って一日の吟行会もよくやりました。横浜の三渓園とか、いろんなところへ行きました。
 通常の歌会も大切だが、吟行会を大事にしなければだめだと言われました。上田三四二さんも「自分ひとりでやっていてはだめだ、吟行会でしごかれなさい、鍛練されなさい」と『短歌一生』の中で書いています。
 石岡先生は、非常に吟行会を大事にされました。歌壇の中でも、結社によっては、吟行会なんか一回もやったことがないというようなことを『短歌現代』に書かれた方もいますけれど、「そうではない」と石岡先生は言っておられました。「芭蕉だって、誰だって旅をして、その中で歌を作ったり俳句を作ったりしたではないか。」と。
 そのことに関してですが、田中靖子さんという方の『海老根の花』という歌集の中に、良寛の遺跡めぐりの吟行会での歌があります。
 ・歌会
(うたくわい)の果てて侘しき十一時湯浴みの桶に沈みゆく闇
 この吟行会では弥彦温泉に泊まったのですが、歌会に歌を出すということで、三十分か一時間の間に一首か二首ということで、それぞれの人が出詠しました。私と石岡先生がそれらの歌を筆記しまして、旅館のコピー機でコピーをして皆さんに差し上げ、夕食後に歌会を始めるということですからまことに忙しくて、ゆっくり風呂に入れる人が少ないんです。そんなことで、田中さんは、それを見事に歌にしているのです。この下の句がいいですね。こういういい歌が出来るんですよね、しごかれると……。人間はみんな、そう能力に差異はないわけなんですよ。
 それからもう一つ。これはちぐさグループが一泊で吟行会をやったとき、芳田秋子さんの歌が非常にいいと、先生が誉められたのです。
 ・つづら折り登る電車の崖下に人住む屋根が梅雨にしめりて
という歌です。その時、先生はこういうことを言われました。「みんな同じものを同じように見ているんだけれど、人住む屋根が梅雨にしめりて、という一つの見所をつかまえた人はほかに一人もいなかったんだよ。」と大変誉められました。そのとき参加された方は憶えておられると思います。
 かくの如くで、先生は、吟行会を非常に大事にされました。それで私たちを鍛えられましたし、先生ご自身が、電車に乗るとすぐに小さい紙切れを回してくるんですよ。「私はこういう歌を作ったけれど、どうかね。」と言って。新幹線の車中でもメモ用紙が回ってくるんです。つまり、みんなが作歌する気持ちを促されるんですね。「ぼやーっと見ていてはいけないんだよ。旅館に着いたらすぐ歌が出なければだめだよ。」ということだったと思います。
 そういうことが、今、懐かしく思い出されます。先生が永い間、身を粉にして、私たちのためにお尽くしになったということを、大変感銘深く思い出しているところであります。
 先生が亡くなられたこと、大変残念ですけれども、これもやむをえないことであります。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。   (平成十四年十二月二十二日)

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 西さがみ文芸愛好会賛助会員・
星ア茂氏の短歌鑑賞を主とした著作ですが、残念ながら刊行を目前にした本年4月に86歳でお亡くなりになっています。私も会員として西さがみ文芸愛好会に加えさせていただいておりますが、入れていただいてから日も浅く星アさんとお会いしたことはないと思います。そんな私でも高著を頂戴できたのは、運営委員の一員であるからとのことで、幸運に感謝の弁もありません。厚く御礼申し上げます。
 短歌は門外漢ですので、ここでは紹介の任ではありませんけど、個人的には短歌について多くのご教示を受けました。詩論にもいろいろある通り、短歌論も多岐に渡っているようです。紹介した文にも出てきますが「短歌的表現の最大の特徴は詠嘆である」ところは私なりに理解したつもりでおります。そこを判らせていただいただけでも本著は私にとって貴重な一冊です。

 紹介したのは「T 歌心源流」の「石岡先生と短歌について」。本著では唯一の講演録です。ここは当然短歌についてのお話しですが、実は詩作の態度と共通する部分が多くあります。「高みを目指しなさい。通俗平易に陥ってはだめですよ。」という言葉は詩にも通じます。もちろん高みに立て≠ニいうことではありません。高みを目指してながらも視線を低くすることが言外に感じてもらえると思います。続く「人間が浅いから歌も浅くなる」とはそのことを指しているのだと思います。「人間が深くなっていかなければ」ならないというのは詩も含めた文芸、そして芸術一般の姿勢とまったく同じと解釈しました。
 門外漢の私が感じるぐらいですから、歌人にはお薦めの一冊でしょう。それ以上に詩人にも読んでもらいたい好著です。短歌から見える人間の性、それを私たちも学ばなければいけないと感じた一冊です。

 なお原本では40字で改行となっていましたが、ブラウザの特性を考慮してベタとしました。ルビも同じ理由で新聞方式としています。ご了承ください。



詩誌『展』70号
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2007.7 東京都杉並区 菊池敏子氏発行 非売品

<目次>
●名木田恵子:くくられて          ●土井のりか:向いの丘
●山田隆昭:失語症/文芸の毒        ●河野明子:生き節/展70号に寄せて
●菊池敏子:おやすみなさい         ●五十嵐順子:峠
●佐野千穂子:盆地



 おやすみなさい/菊池敏子

夜 遅い時間に受けた
懐かしいひとからの電話
ひとしきり話したあと 切りぎわに
耳に残してくれた「じゃあ おやすみ」

今日を仕舞い やっと一人になれたひとが
書いてくれたのであろう手紙
こまごまと記された近況の文末に
美しい文字で 「おやすみなさい」

聞き慣れた声なのに
見慣れた文字なのに
なぜかこの挨拶は
ことのほかやさしく届きます

「おやすみなさい」と言われるのが好きです
これほど穏やかでこころよい“命令形”を
ほかに私は知りません

いつか いつの日か
私にほんとうの「おやすみ」を言ってくださる方
あなたのお声を聞くのは初めてです
お願いです どうかやさしく言ってください

怯えさせないで 淋しがらせないで
「もう おやすみ」と
耳元で静かに言ってください
ききわけよく あんしんして わたし ねむります

 同人詩誌への返信は、主宰者・代表者の作品に触れたものが多いと私は認識しています。それと同じことを拙HPでやってもおもしろくないので、天邪鬼の私はあえて他の同人の作品を紹介するようにしています。しかし、そんな小さな思いをひっくり返す作品というのはあるものなんですね。菊池敏子さんの「おやすみなさい」を紹介しなければ、拙HPの存在意義は無いとすら感じてしまいました。

 「なさい」は“命令形”であることに初めて気づかされました。何気なく普段から「〜しなさい」と使っていますけど、「おやすみなさい」も命令形とは! 作者の言語感覚の鋭さには脱帽です。そして、そこから「お願いです どうかやさしく言ってください//怯えさせないで 淋しがらせないで」とつなぐ筆力。筆力もさることながら「ききわけよく あんしんして わたし ねむります」というのは、無粋な私には判りませんけど、女心の深みなのでしょう。言葉の面でも女性の心理としても勉強させられた佳品です。



詩誌『詩区 かつしか』95号
shiku katsushika 95.JPG
2007.7.22 東京都葛飾区 池澤秀和氏連絡先
非売品

<目次>
まんだら・愚痴/小林徳明          欣吟中日友情(七律)・日中友情を喜び吟詠する/呉 敏
時をわたる/池沢京子            五霞(十一)−スーパー堤防−/みゆき杏子
演算/しま・ようこ             無国の鉄人・豚のハナ/工藤憲治
マー坊/内藤セツコ             かつて土手を・ペチュニア/石川逸子
わたり/池澤秀和              ぬかみそ/堀越睦子
人間八十七 泥蛙/まつだひでお       人間八十八 メソポタミヤ文明の空の下/まつだひでお
夕顔・神田川/小川哲史



 愚痴/小林徳明

世渡りが
下手だから
損な役割
苦労性

貧乏くじを引いたかなと
思ったら

愚か者
修行が足らんと
私の中の私が叱る

見よ
蓮の花

大和の古寺の古池の
泥の中より
顔を出し

菩薩の如く
凛として

ああ
修行が足らん
分かっていない

口を開けば
愚痴ばかり

ならば
今日からと

早起きをして
色即是空の
お経を読んでみたが

所詮
凡夫には
ちんぷんかんぷん

三日坊主に
なりそうだ

 第1連、第2連の「愚痴」はよく判りますね。私もそう思っていますし、多くの人が同じ思いなのではないでしょうか。その愚痴の原因を探るのが社会科学の役割で、その愚痴を「叱る」のが宗教の役割、と云ったら穿ち過ぎかもしれません。そんな単純なものではないでしょうが、やっぱり「お経を読んでみ」ても「所詮/凡夫には/ちんぷんかんぷん」なものなのです。観念で片付く世界と科学の眼の違いを見事に言い得ていると思います。「三日坊主に/な」る前に、科学の「修行」を「足ら」しめませんか、と作者の意図に乗せられて、思わず呟いてしまった作品です。



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