きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.8.20 神奈川県真鶴半島・三ッ石




2007.9.1(土)


 夏休みが終わって最初のイベントは、日本詩人クラブの詩論研究会です。午後2時から
東京大学駒場Tキャンパス 18号館4F コラボレーションルーム1 という長たらしい場所で、名誉会員・石川重俊先生の「翻訳詩−ことば」の講義を受けました。

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 写真は石川重俊先生。もう90歳を過ぎているということに驚かされましたけど、話は理路整然、論旨明快、言葉もはっきりしていて、やはり学問を続けた人は違うのだなと感じました。内容は翻訳詩の難しさについてで、例として挙げたゲーテの詩には判っているだけで32の邦訳があるとのことでした。具体的なその訳のコピーをもらいまして、読んでみると確かに千差万別です。その中で先生が怒っていたのは、原文にないことを勝手に創造するな、ということでした。多少の意訳は認められるけど、原文から大きく離れるのは許されないと言っていました。まぁ、考えてみれば当たり前のことですが、そんなことも意外に多いようです。

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 こちらは会場風景。30人近い人が集まって、研究会としては盛況です。質疑応答も活発でした。講演内容はいずれ雑誌『詩界』に載りますので、参加できなかった会員・会友の皆さまはそちらで勉強してください。
 懇親会は神泉の「からから」という居酒屋。20人ほどが集まって、1階フロアは貸切状態、こちらもにぎやかでした。

 会が始まって30分ほど経ったころでしょうか、携帯が鳴りました。出てみると横浜詩人会の油本さん。お前の詩集が第39回の横浜詩人会賞に決まったけど受けるか? というものでした。えーっ! 私でいいの? と思わず聞き返してしまいました。その賞は新人対象だと認識していたからです。じゃあなぜノミネートされたときに辞退しなかったか、というのはおいおい釈明しますけど、ここはまあ、油本さんの気が変わらないうちに「はい、受けます!」と応えておきました(^^;

 それはすぐに懇親会参加者の知るところとなり、その場で祝杯を挙げていただきました。ありがとうございます。さらに二次会は私の好きな「獺祭」が置いてある渋谷の「天空の月」というお店に連れて行ってやるということになり、こちらも10名ほどの人が残って下さりました。思う存分呑ませていただいて、感謝感激です。あとが怖いけど(^^;
 でもね、たった一つだけ憂鬱な気分です。受賞式の10月13日は詩人クラブの理事会・例会の日なんです。理事がサボっちゃいけないんですけど、こればっかりはね…。受賞者本人が欠席するわけにもいきませんので、詩人クラブの方はサボらせてもらいます。ご容赦ください。
 ま、いずれにしろ良かった、うれしいです。



『栃木県詩人協会会報』21号
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2007.8.23 栃木県芳賀郡茂木町 森羅一氏発行
非売品

<目次>
コオロギ/深津朝雄 1           一日を生きる/螺良君枝 1
高内壮介著書の紹介(七)/(M) 2
会員の作品
交尾/本郷武夫 3             西瓜/白沢英子 2
小犬のひだまり/山形照美 4        春霞/松井し織 4
老い/戸井みちお 8            ルーチンワーク/野澤正憲 8
夏へ/原 始 9              ふたり/上原季絵 9
介護の記憶/螺良君枝 9
会員エッセイ
若いお父さん/白沢英子 5         カリスマの人/綾部健二 5
ペットショップの店員さん/山形照美 6
新刊書紹介 草間真一詩集『沈黙する水』 7
ごまめのはぎしり 栃木版 7
地球一周への挑戦/野澤正憲 10
会員の近況 11
日本詩人クラブ長野大会に参加して/綾部 12
総会報告 12
編集後記 12



 介護の記憶/螺良君枝

感謝の空気と
諦念の気持ちが
混ざりあった 部屋の中
八畳の南の一画だけが
浮き上って見える

仰向けの人は
自分の意志を
日毎少しずつ殺して 百五十日め
口数もめっきり減って
一日の半分を 眠ってすごした

頭脳に酸素が不足して
好きな言葉も浮かばない
酸素吸入器は鼻から
体の一部として 作動しているのに
ノートに書いた文字は
蹌蹌として 俳句にならない

栃木米「腰光り」と
斜めに書いた
一人百姓をして 暗渠排水をして
苦労して作った 米の銘柄
腰を使って 腰光とは
けだし発案の文字

心身共に疲れはてた 重い現実
白昼夢として 覚めてほしい
飛び去った日々の
二人で築いた 幸せのフィルムが
歯の根の合わない速さで
磨滅して行く

逃れた 午後のひととき
裏山の竹薮の中で
飛蚊症の瞳を凝らすと
真赤な薮椿の花が 光っていた

 「腰光り」は越光≠フ誤植かと思いましたが、「仰向けの人」の「発案の文字」だったのですね。「感謝の空気と/諦念の気持ちが/混ざりあった」作品の中で救いになっていると思います。もちろん作品は重く、「心身共に疲れはて」、「逃れた 午後のひととき」が必要なほどなのですが、この言葉で作中人物も読者も救われた思いがするでしょう。後ろから2連目の「二人で築いた 幸せのフィルムが/歯の根の合わない速さで/磨滅して行く」という表現は佳いフレーズです。「重い現実」は現実として詩的に高められた作品と云えましょう。

 なお、本号では拙HPの記事が転載されていました。5月20日に益子と栃木を訪れたときのもので、烈風舎の写真とともに1頁の半分も使っていただきました。お礼申し上げます。



会報『芳賀詩人会議』9号
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2007.7.25 栃木県芳賀郡茂木町
森羅一氏発行  非売品

<目次>
〈詩編〉
義母と母…螺良君枝  夜の映像…松井し織
散策…中里永子    月明かりの下で…遠藤秋津
過日…原 始
〈書評〉…森 羅一
「合同詩集雲 W」について
「立ち位置への挑躍」そのあいか詩集を読んで
会員短信/寄贈お礼/編集後記



 夜の映像/松井し織

舗道をいく車の残像が
脳裏をかすめる
腱鞘炎の右手の鈍い痛みのなかで
壺をつくるには多少の不安がある
陶房の電気が消える
煙草の紫煙が闇に吸い込まれていく

ああ、朧月夜
三畳一間の蒼い兎の深呼吸
奈落の海の底では深海魚が
眠れない時を過ごしている

罅割れの陶片を捜しに行った
美濃の山奥に
無名の陶工の叫びが
木霊する夜
人は地球
(ガイア)に放尿した

 「三畳一間の蒼い兎の深呼吸」というフレーズがおもしろいですね。三畳一間しかない兎小屋のような部屋、という意味だろうと思います。「罅割れの陶片を捜しに行った」というのは作陶の参考にするためなのでしょうか。「人は地に放尿した」という最終行もおもしろく感じました。作陶の経験はありませんけど、「壺をつくる」ということはどういうことなのか、少しはわかったような気になっています。



詩誌『流』27号
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2007.9.9 川崎市宮前区   非売品
西村啓子氏方編集局・宮前詩の会発行

<目次>
詩作品
林 洋子/あずさばもみの木 渋川つつじ 蛇紋岩を横に レバノンシーダーの木 2
福島純子/烏 冬の教室 8
山崎夏代/くにざかい 14
山本聖子/邪 よこしま ほぼ滝のように 奈落 20
麻生直子/江差有情・篠山暁雪 26
島田万里子/アミダ籤 卵を産む 四時の手帳 28
杉森ミチ/着られなかった晴着 砂漠の薔薇 34
竹野京子/月ぬ思い ピッキタン合唱団 ドの音の追跡 40
中田紀子/げんちゃんのヴァイオリンと夕暮れ 初冬に充ちてくる喪失とともに 46
西村啓子/スーパーいじわる 魚影 龍の来ないさくら 50
ばばゆきこ/風のちから 混ぜる タラコとメンタイ 56
エッセイ
山本聖子/奔流 −現代詩の行方 62
西村啓子/最近の詩集から 64
林 洋子/最近の詩集から 66
島田万里子/最近の詩誌から 66
会員住所録 編集後記



 アミダ籤/島田万里子

阿弥陀さまが背負う放射線が由来だというアミダ籤
光の放射   にはさまれた闇の世界をたどっても
不規則が規則の横道
ぶつかる度に逡巡を捨て我も捨てる
浮世で捨てられぬ我
籤ではないわたしの日々はしっかと胸に抱えていく

すべての人の救済を誓うという御仏ならば
空籤なしのはず

どうして
どうして
貧乏籤もある
産道を直進下降して取り上げられて以来横道だらけ
紆余曲折に意味があるなどという悟りは
未だ会得できず
いばらに遭遇すれば助けて欲しいと
泣いてわめいて
光背輝く慈悲の主におすがりする

自ら選んだ一本の線
横道が多いほどおもしろい他愛の無いアミダ籤
そろそろ自分の線を振り返る昨今
ルール違反を承知のうえで
たどり返せぬものかと光の主に問うてみたい

はい 終着!

吉か
凶か
知らぬが仏
紙のみぞ知る

 「アミダ籤」はときどきやりますが、「阿弥陀さまが背負う放射線が由来」とは気づきませんでした。現代のアミダ籤は垂直線と水平線ですけど、昔は放射状だったそうで、それが気づかなかった理由だろうと思います。作品はそのアミダ籤を人生の「自ら選んだ一本の線」に喩えて見事です。特に第2連の「すべての人の救済を誓うという御仏ならば/空籤なしのはず/が/どうして/どうして/貧乏籤もある」、最終連の「紙のみぞ知る」が佳いですね。おもしろいところに着目した作品で、楽しんで拝読しました。
 なお今号では拙詩集について西村啓子氏が書評してくれていました。お礼申し上げます。



詩誌『EOS』13号
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2007.8.31 札幌市東区 安英晶氏発行 500円

<目次>
瞑想するテロリスト*小杉元一/2
スーパーマン・七つのしるし*高橋渉二/8
ゆうえんち・朝顔*安英 晶/14
表紙絵:遡上して歌う(木版原寸) 2007年7月作
題字・表紙絵 高橋渉二



 朝顔/安英 晶

水晶のことばを結実したい と
結晶のような詩をかきたい と

かぜの背骨 すなの鼓動//みずの狼狽

いつまでも
らちもない距離をはかって
ころがる日常

きのう
アサガオの青い花いちりん
咲いたよ
朝のかおして 水晶みたいに咲いてたよ

 詩人は誰もが「水晶のことばを結実したい と/結晶のような詩をかきたい と」思うものでしょうが、思う通りにいかないのが現実。しかし「アサガオの青い花いちりん」はいとも簡単に「朝のかおして 水晶みたいに咲いて」しまいます。自然にはかなわない、と言ってしまえば身も蓋もありませんし、この作品はそこで読み終わってはいけないのだと思います。そういう「朝顔」を見る眼を持てるのが詩人なのだと云えましょう。もちろん第2連、3連の詩語も見事ですが、その視線こそがこの詩の命だと思います。短い詩ではありますけど、考えさせられることは多いのです。



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