きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.8.20 神奈川県真鶴半島・三ッ石




2007.9.15(土)


 9月も半ばだというのに暑い一日。午前中は実家に帰って父親の通院に付き合いました。土曜日だから混んでいるかなと思いましたが、逆に空いていました。そういえば脳外科に通う人に若い人は少ないようです。土曜日だからと云って、もともと少ない若い人も来ない、老人は平日に来られるからわざわざ混みそうな土曜日に来ない、という結果なのかもしれません。
 帰宅して、暑い暑いと言いながらベッドで本を読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまいました。気がついたら16時。昼食後の満足感と、開け放した窓から入る風に身も心もベターッとしてしまったんでしょうね。こうして、ヒトは老いる(^^;



会報『「詩人の輪」通信』19号
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2007.9.11 東京都豊島区
九条の会・詩人の輪事務局発行  非売品

<目次>
結成3周年・賛同参加者千名の峰へ ――「輝け9条! 詩人のつどい」パート5 in千葉の成功をめざして/鈴木太郎
「国の交戦権は、これを認めない。」と 報復の方向なのではなく/遠山信男
判事の「言葉」/ゆきなかすみお
爆撃機の名/荒波 剛
水の記憶/磐城葦彦
一人行く/斉藤幸雄



 一人行く/斉藤幸雄

話などない
やるかやられるかだ

群雄割拠
弱肉強食

何でもありの平成
勝ち組・角け組み

毒にも薬にもならない

選択して、選択して
話など無い
取るか取られるかだ

優しさは遥か昭和に置いてきた

誰だ
こんな過激な競争を創ったのは

でも
置いてきぼりはしないよ

 明治は遠くなりにけり≠ヘ誰の句だったか…。それに匹敵するように衝撃を「優しさは遥か昭和に置いてきた」というフレーズに感じました。昭和が終わってかれこれ20年。たしかに「遙かな昭和」になったのだなと思います。その昭和に「優しさ」はあったのかと、一瞬、違和感を覚えましたが、よく思い出してみれば、平均的な庶民にはあったのでした。それが平成になってから「こんな過激な競争」になっています。ひどい昭和の時代でしたが、その昭和でさえ平成に比べれば…。「でも/置いてきぼりはしないよ」という最終連とともに、作者の感性に敬服しています。



『千葉県詩人クラブ会報』199号
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2007.9.15 千葉県茂原市 斎藤正敏氏発行 非売品

<目次>
'07ちば秋の詩祭(第6回) 1         '07ちば秋の詩祭日程 2
文学散歩へどうぞ 3            岡田喜代子詩集『午前3時のりんご』を読んで/諫川正臣 3
会員の近刊詩集から60 3          既刊会報を温ねて5 4
山中真知子著 時評集『マイ・パフューム 詩の余白』<読後感>/前原 武 4
東西南北9 4
詩 まな板の子守歌/長田一枝 5      詩 散る桜/近村沙耶 5
詩 終戦日/末原正彦 5          詩 紅葉/斎藤正敏 5
新会員紹介 6               会員活動 6
受贈御礼 6                編集後記 6



 まな板の子守歌/長田一枝

 おおーい
 おおーい
ねたきりの夫は たえまなく私を呼ぶ
あれは おさなごが
かあさんをさがしてさけぶこえだ
 何の ご用でしょうか
 よんでみただけだよ

台所から 庭から
呼ばれて 呼ばれて
行ったり 来たりで くたくたになる
では どうしたらいい

私は まな板と包丁をもって
夫のそばに行く
じゃがいもや人参をトントンきざむ
すると夫は
静かに ねむりはじめる

人間があの世に旅立つ時には
生れた時の姿にかえるという
今 あなたは生れて間もないころの
赤ちゃんにもどったのでしょうか
母さんの背中に背負われて
まな板の子守歌をききながら
ねむっていたころに

 「私」の底抜けの優しさが感じられる作品です。「まな板と包丁をもって/夫のそばに行」き、「じゃがいもや人参をトントンきざむ」という行為に、特にそれを感じます。その現在の行為を「母さんの背中に背負われて/まな板の子守歌をききながら/ねむっていたころに」結びつけたところが見事です。過去と現在の「まな板の子守歌」を聞く「夫」の幸せを感じさせる作品だと思いました。



詩と批評POETICA51号
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2007.8.20 東京都豊島区 中島登氏発行 500円

<目次>
人間は言葉によってのみ人間である/よしかわつねこ
 (T)入場料は五万円です 602

 
(U)ダンゴ虫はまるくなっている 604
永遠の蛇口/新延 拳 606

スケッチ/植木信子 608
落ちこぼれ/チャールズ・ブコウスキー 中島 登・訳



 落ちこぼれ/チャールズ・ブコウスキー  中島 登・訳

僕はお金をぜんぜん持っていなかった
だが バイク一台持っていた
その夏はやることがなかったけれど
バイクを乗り回して海岸へ行ったり戻ったりしていた
ロサンゼルスからヴェニスまで
やけにひどい道程を走ったようなものさ
だが なんでもないさ
ひとつだけいいこと
そいつは僕の脚を立派に鍛え上げてくれた
僕は十四歳だった
おそらく僕の脚は南部地方では最強のはずだ

走りをさらに興奮させるものは
往復に要する時間を
短縮しようとしてみることだった
走るたびに僕は自分のつくった新しい記録を
更新した

僕はペダルを踏み込んで
速く速くスピードをあげた
そして万事順調に運んでいた
だが ある晴れ渡った日のこと
僕がまさにポンピングしていたときに
赤いスポーツカーに乗っていた奴が
僕に向かって金切り声をあげた
「おい若いの 一体全体どこへ行くのか知らねえが
気をつけろ」

僕がちらっと見ると
老いぼれがピッカピカのモデルカーに乗って
シガーを吹かしていた
そのうえ若いブロンドの女を侍らし
女の長い髪が風になびいていた
「間抜け野郎!」と
僕は叫びかえした

僕が踏みこんで横付けに並ぶと
彼は車のスピードをおとした
彼は僕のほうをチラット見て言った
「きさま もう一度言ってみな?」

僕は繰り返し言ってやった
金髪を風になびかせている女は
男のほうを見て笑った
「あたし駐車しょうと思っていたのよ
あんたのことなんか知らないわ」

「とまれ! とまれ!」
と僕は叫んだ

彼は怒鳴って
歩道の縁石に停まった
僕はバイクを停めて
彼の方へ歩いていった
僕は怖くはなかった
自分が大物になったように感じた

僕は車のところまで歩み寄った
男は車に乗ったまま僕を見た
彼は車から降りなかった

若い女は何やら彼に言い続けていた
すると突然彼は車を発進して
立ち去った

彼は角を右へ曲がった
僕はバイクヘ戻り
バイクに跨がって発進した
それから彼は戻ってきた
その街のブロックを旋回してきたのだ
彼が僕の方を見たので
僕は彼の顔を見た
僕はほとんど憎しみを覚えなかった

それから男は若い女を乗せて
大通りを走り去って見えなくなった
僕はペダルを踏んで走った
もう急いだりしなかった

記録のために地獄の暴走などとんでもない
僕はあの男の試合に挑戦したのだ
長い髪の女は
僕のことを思ってくれていた

僕は一人前の男になった

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でチャールズ・ブコウスキーについて調べてみました。
<ヘンリー・チャールズ・ブコウスキー(Henry Charles Bukowski, 1920年8月16日−1994年3月9日)はアメリカの詩人、作家。
ブコウスキーの作品は、彼の地元ロサンゼルスの土地と風土に強い影響を受けており、また、彼の作品は現代の多くの作家に影響を与えている>

となっています。
 この作品では「僕は十四歳だった」とありますから、時代は1934年頃と考えてよいでしょう。日本では昭和9年。その当時、自転車は貴重品だったはずですが、「ロサンゼルス」では中学生の乗り物だったんですね。そのことにも驚きます。ただ、国と時代は違っても14歳の少年の矜恃は同じだなとも思います。その頃の少年は「長い髪の女は/僕のことを思ってくれていた」ことは判りますし、何より「僕は怖くはな」く、「自分が大物になったように感じ」、「一人前の男になった」と感じています。
ブコウスキーの14歳から30年ほど経って、私は日本で14歳を迎えていますが、この感覚は同じです。そして同じように「落ちこぼれ」ていました。懐かしい印象の作品です。



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