きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.8.20 神奈川県真鶴半島・三ッ石




2007.9.26(水)


 西さがみ文芸愛好会による「2007〈文芸を楽しむ会〉」が、午後1時より小田原市民会館5階の第3会議室で開催されました。副題は「郷土ゆかりの詩人たちが作詞した懐かしの歌謡曲を楽しみましょう」です。〈美しい日本の歌を伝えてゆく会〉の皆さまのコーラスも交えて、予定した2時間はアッという間に過ぎてしまいました。採り上げた詩人たちは武島羽衣、♪春のうららの墨田川…(花)で有名ですね、ご存知、北原白秋、♪幾夜重ねて砂漠をこえて…(三日月娘)の薮田義雄、♪橇の鈴さえ寂しくひヾく…(国境の町)の大木惇夫、♪きんらんどんすの帯しめながら…(花嫁人形)の蕗谷紅児、♪今はもう秋誰もいない海…(誰もいない海)の山口洋子、そして我が日本詩人クラブの創設者、西條八十、以上7名でした。作詞者のうち、なんと山口洋子さんもおいで下さり、会場は大いに盛り上がりました。

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 写真は朗読の一齣ですが、80名ほどの人が集まり、立ち見も出るほどの盛況でした。私の仲間も5人が来てくれて、中には、案内状を送った奥さんが勤務で出られなくて、それなら代わりに非番の僕が、と、ご亭主が来てくださって大感激でした。彼とも久しぶりに話しができました。

 会は2時間ブッ通しではありません。途中でコーヒータイムもあって、なごやかに談笑する風景があちこちで見られました。この会の伝統なのですが、肩肘張らず、楽しければいいじゃないかという雰囲気が伝わったと思います。比較的若い人が多かったのも今回の特徴です。
 会が終わってから懇親会を持ったのですが、こちらにも半数の人が残ってくれて、こちらも盛り上がっていました。準備、会場設営、運営と大変だったはずですけど、皆さん楽しんでやっていたようでした。また来年も計画されるでしょう。今回来られなかった方もどうぞ気楽においでください。



大石規子氏著『八月の友だち』
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2007.8.15 東京都新宿区 クリエイティブ21刊
1800円+税

<目次>
詩『八月の友だち』
ポプラのある家
思い出のわが家…12             淡い初恋…26
キューピーちゃん…30
戦争の足音
《横浜の学童疎開》…36           運命の分かれ道…38
お国のために…45              さみしい残留組…49
忘れられない箱根
不安ばかりの出発…60            池谷さん…69
ひもじさの中で…77             つらい山歩き…83
シラミとのんちゃん…90           『疎開の子』…93
母の鋏…103
.                石段の子どもたち…107
《神奈川県内の空襲被害状況》…114
運命の五月二十九日
横浜が燃える!…116
.            死ぬなら一緒に…128
三重苦の時代…133
.             消えない記憶…139
焼け跡の街で
国破れて…150
.               イモ飴と革靴…152
占領軍の街…161
.              それから…169
あとがき



 八月の友だち

八月 あなたは幸せですか
わたしの八月は死合わせです
思い出してしまうからです
あの八月に 生きていたことを

六十年 六十一年と
だんだん遠くなるのに
だんだん近くなるのです
あの八月が

子どもだったのです
なにも知らなかったのです
知っていれば あらがえたのでしょうか

加害者でもあったのを知ったのは
ずっと あとのことです
一人の力の むなしさと切なさを
今でも いつでも 感じます

八月は 明るい夏です
みんなが幸せでなければいけません

八月になると わたしは
消えてしまった友だちを呼んでみます

八月の友だちは ポンプ井戸や 板塀のかげ
路地裏
(ろじうら)や ひょうたん池の端(はし)から 出てきます
石けり 縄
(なわ)とび 鬼ごっこ
(まり)つき 羽根つき かくれんぼ

遊べない子も 遠巻きにしています
その子たちには手がありません
足のない子もいます
目のない 耳のない 焦げた子もいます
みんな かくれんぼだけが得意です

ひとしきり経
(た)つと 八月の友だちは
どこへともなく消えてゆき
わたしだけが取り残されます

いつか わたしも
夕焼けの欠片
(かけら)となり 闇(やみ)に溶(と)
八月も 来なくなるでしょう
その時 戦争の悲しみは終わるのでしょうか

 10歳で敗戦を迎えた著者の、戦中戦後の体験を描いた好著です。以前にも学童疎開の体験を出版して好評を得ていますが、それに勝るとも劣らない本です。特に前後の見返しに書かれた自宅の見取り図と自宅近辺の地図は、当時の家の造りや町並みという面でも資料としての価値が高いと思われ、本を読みながら何度も振り返って見ましたけど、圧巻でした。この家が空襲で焼け、この街が消えたのかと思うと、そこにいた人たちの恐怖が、まるで自分がそこにいたかのように感じらたのです。

 紹介したのは巻頭詩です。この本の意図と著者の思いが端的に表現されています。「かくれんぼだけが得意」な「手」のない子、「足のない子」、「目のない 耳のない 焦げた子」という「八月の友だち」をイメージすると、胸が熱くなります。「みんなが幸せ」な「明るい夏」が来るためにも、ぜひお買い求めになってご覧ください。いつか来た道を辿りつつある今、多くの人に読んでもらいたい本です。



倉田武彦氏著
『生の自然性をたずねて』
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2003.8.15 アグリ研究所発行 800円+税

<目次>
はじめに…1
第一部 存在への眼差し…9
時間/未来考
第二部 物質の交感 生を育むものたち…27
土/空気/水/光
第三部 感覚と意識…61
ミミズたち/昆虫たち/魚たち/鳥たち/哺乳類/人類/補足・原始感覚から第六感まで
第四部 感性の織糸…93
音/色/形/ことば
第五部 過去の栖(すみか)…143
牛車/ゲートル/東南海地震/空襲・疎開/ほら貝/フナ・ドジョウ/銭湯/お堀端/伊勢湾台風/果樹園づくり
第六部 今と未来…179
参考文献
イラスト出典



 黄河流域に約六千年前の彩陶が出土して、これらに各種の記号(シンボル)≠ェ刻まれているものがあった。記号はまだ文字とはいえない。ただ文字へ発展していく可能性をもつものであったといわれる。時代が下って四五〇〇年前から山東省の竜山地方中心に、河南、陜西、河北省の一部に竜山文化なるものが広がりを見せて、殷
(いん)の文化へとつながっていく。殷前期の跡からは甲骨文字は見られないが、後期(約三三〇〇年前)のものには、これが見られるそうである。殷が周に統合され、中夏文明圏が形成されるが、初期の文字は殷後期の首都、安陽の殷墟の出土品をもってはじめとされるようだ。この時代、文字は既に角型の枠の中に納まる方向へ形を整えつつあった。文字が左右バランスをとる形に整形されている。(藤堂明保著『漢字の過去と未来』岩波新書)

 漢字の成り立ちは(一)象形、(二)指事、(三)会意、(四)形声となるが、(一)と(二)を文(ふみ)と呼び、(三)と(四)を字という。象形は物の形を描いた字。(三)と(四)は文(ふみ)の組合せから出来ている。
 宇宙の原理原則に係わるような基礎的事象や事物を表わす文
(ふみ)にシンメトリー性のものが多い。文字はもともとこの世のすべての存在と事態を表現できるものであるが、その形成は文字以前の占(うらない)の記号から出発している。従って、占いとか祈りにはシンメトリーな表示が無意識の中で定着していったのではないだろうか。そういう傾向を帯びていたといってもよさそうである。思いつくままに例示していくと、

 陰陽五行 月火木土金

 方位   東西南北

 基本色  赤青黄黒白

 数字   一二三四五六七八九十
 (注) 五はもとは]であった。七はシンメトリーでないが十の変形という。権威ある方面の解説ではあるが、よく理解できない。九は八に一を加えたものであろうか。

 その他、シンメトリー性の字として、

 真善美、宇宙、日光、山川草木

などがあり、根幹にかかわる事象、事物の字形はシンメトリーをなしている。意図的にシンメトリーな造字が行われたのか、無意識の中に定着した傾向であったのか。あるいは、古代における形の基本がそもそもシンメトリーであったのか。シンメトリーでない文字が多い中で、シンメトリー性の字形をなす事象、事物は森羅万象の根源に属するもののように思えてならない。

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 定年後に書き留めていたものを随筆風にまとめた、と「はじめに」にありました。著者は化学系の大きな会社に勤めていたようで、化学工学を生業としていた私には多くが参考になりました。その分野のことを紹介してみようかとも思ったのですが、ある程度の基礎知識が必要になりますので、ここでは文字についてのおもしろい視点の「第四部 感性の織糸」から「形」の部分を転載させていただきました。「漢字の成り立ちは(一)象形、(二)指事、(三)会意、(四)形声となるが、(一)と(二)を文と呼び、(三)と(四)を字という」など、浅学にして初めて知りました。「占いとか祈りにはシンメトリーな表示が無意識の中で定着していっ」て、「意図的にシンメトリーな造字が行われたのか、無意識の中に定着した傾向であったのか」は判らないが、「シンメトリー性の字形をなす事象、事物は森羅万象の根源に属するもののように思えてならない」という考察は刺激的です。おそらくこの視点からの書物は、従来なかったのではないかと思われます。
 紹介し出したら切りがないので、この辺でやめますけど、非常におもしろい本です。機会のある方はお手に取って読んでみてください。お薦めです。



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