きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.8.20 神奈川県真鶴半島・三ッ石




2007.9.27(木)


 午前中は垣根の剪定をやりました。何という木なんでしょうかね、自分の家の垣根なのに知りません。秋になると葉が赤くなって綺麗なんです。でも、伸びるのが意外に早くて閉口しています。年に2回刈り込まないとボサボサになってしまうのです。
 ついでに槙の木だったかな、それも伸びた枝を剪定しました。こちらは遅くて、2年に一度くらいの剪定で済みます。こんな木ばっかりだったら楽なんですけどね。庭を整備したときには庭師に全部任せていましたし、剪定もお願いしていました。退職した今は自分でやると決めたのですが、シンドイものだとつくづく思います。まあ、のんびり続けるしかないでしょう。

 午後からは月末締切りの書評を書いてメールで送りました。こちらの方はまったく苦になりません。疲れないし、日焼けしないし(^^; 適材適所、とまでは言いませんけど、好きなことは何時間でも続けられます。



月刊詩誌『歴程』544号
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2007.9.30 静岡県熱海市
歴程社・新藤涼子氏発行  500円

<目次>

満開/支倉隆子 2             会場/小笠原鳥類 5
拒絶する逆説/高見沢隆 8         小茂内で・多/安水稔和 10
約束二篇/池井昌樹 14           
Words/芦田みゆき 17
エッセイむっとして≠フ詩人/酒井蜜男 18
絵 岩佐なを



 拒絶する逆説/高見沢 隆

 雑木林の天井でひぐらしが鳴き狂っている その鳴き声は大気
をさらに暑くする じっと佇んでいると声は皮膚から奥へ奥へ侵
入しわが思考を粉々にする 火葬場の焼いた骨に似る匂いを発光
し思考はかげろうに乗り天井に張り付く

 わが文字は滅んだ肉体のなかを左右上下にむきを変えながら遺
伝子の階段を転がる 癒着と分裂を繰り返し意味の判らない言葉
を生成する そして生成と破壊のなかで無意識に言霊の息吹が雑
木林を覆う

 宙に浮いている女人の裸体が果てもなく堕ちてくる しかしな
がらすべては腐乱している その異臭からどんな死に方を選んだ
のか どんな苦しみ方をしたのか視えてくる 栗の樹に首を吊っ
た者 沖合いで溺れた者 アルプスで遭難した者やら病院の屋上
から身を投げた看護婦 あるいは死神に囲まれあがいてはみたも
のの投石を受け倒れ去った者 世界が変容を受け入れるとき異臭
は暴発するのだ

 林の天井からメチルアルコールが滴り落ちてくる 死者の裸体
を掻き分けて掻き分けて進む 罠にはまるように底のない深みに
はまる 思わず溺れそうになるものの天体の重力で液体が引いて
ゆく 引いたその後の光景が限球に映る ひぐらしが鳴き狂って
いる 眼球は雑木林のうちの一本の外皮に張り付く それはまぎ
れもなくわが分身だ

 ぎゃーという泣き声が聞こえる わが識り合いが逆子を産んだ
のだ 死者の子供たち 無数の乳房が戦慄に震えている

 ひぐらしは鳴き続けている 妙にむし暑い 脂汗がだらだらと
流れ落ちる 眼球は外皮を上り遠くを視つめる 風も不気味に生
暖かい 大きな雷鳴とともに稲妻がわが思考を焼きつくす

 「雑木林の天井」、「火葬場の焼いた骨に似る匂い」など魅力的な詩語で始まる詩篇で、さらに第3連の「宙に浮いている女人の裸体が果てもなく堕ちてくる」に至っては圧巻です。ここにも「異臭」があり、匂いがこの作品の重要なモチーフと云えましょう。「世界が変容を受け入れるとき異臭/は暴発するのだ」というフレーズは化学的でもあると思います。そして「わが分身」の「眼球は雑木林のうちの一本の外皮に張り付く」のは、「天体の重力で液体が引いて/ゆく」我々の肉体そのものの喩のように思います。最終連の「大きな雷鳴とともに稲妻がわが思考を焼きつくす」のは、この夏の異常な暑さ故かもしれません。詩人の手に掛かると、夏もこのように変貌するのだと思いながら拝読しました。



詩誌『ERA』9号
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2007.9.30 埼玉県入間郡毛呂山町
北岡淳子氏方・ERAの会発行 500円

<目次>

大瀬孝和/寒い橋 4            畑田恵利子/妖しい 6
瀬崎 祐/逃げ水ホテルで 8        竹内美智代/三階の喫茶店の窓から 10
橋浦洋志/虹の地殻 12           小島きみ子/《記憶はいつもステキだ》と彼は言った 16
岡野絵里子/走る人 18           小川聖子/ゆーるりるり 他 20
川中子義勝/朝のしずく 22         日原正彦/ひきしお 25
抒情とは何か4 清水 茂/抒情とは何か 28
ユビキタス
田村雅之/北原白秋『思ひ出』を読む 36   中村洋子/真夜中の夕焼け 38
大瀬孝和/日々はこうして消えている 40   吉野令子/青の交差路――K・N、その生のルバートに促されて 42

清岳こう/哈
(ハルピンビール)で一杯の後 他 48
吉野令子/木蓮の籠 50           北岡淳子/水の祀り 53
中村不二夫/K学園の記憶 56        田村雅之/不忍池の朝 59
中村洋子/あまもり 62           藤井雅人/蛇の弁明 64
佐々木朝子/アムクロの星−2006年6月 66   貝原 昭/この宙
(そら)の蕗のとうが… 68
田中眞由美/海を 越えて 70        吉田義昭/月の時間 74
連載 橋浦洋志/詩と小説と 77
編集後記 80



 アムクロの星――2006年6月/佐々木

「一番星!」
友人の指さす先に 小さな光が瞬く

日本から2500キロを来て
ノモンハンまでにまだ60キロを残す草原の集落
道の両側に群がる家々の低い屋根をかすめ
初夏の夕暮れの空に 燕が飛び交っている

アムクロ――67年前の今頃 数千人の若者が
通り過ぎて征き 帰らなかった最後の村だ
彼等のことは 此処ではまだ語り継がれている

広場に人だかりがして 野外映画が上映されていた
暮れてゆくほどに濃さを増す画面に
愛し合うどこかの国の若者達
風がスクリーンをはためかせると
その恋人達の姿が漣立つように揺れる
揺れて歪みながらも 物語はやがて美しく終わるだろう

突然途切れてしまったあの幾千の若者達の物語
明るすぎる街では見えなくなっていったその結末
千切れた肩章 擦り減った軍靴 手作りの火炎瓶を残し
何処かへ行ってしまったその寸前の姿を
おぼろにでもなぞりたいと私達は来たのだけれど
砂泥の中から立ち上がったような家々
侘しく束ねられた薪 短い夏を咲く小さな花 これらが
彼等の目にした最後の人の世の佇まい か

「二番星……あ、あの屋根の上にも」
星が天を埋めて輝くという草原の夜が来ようとしていた
暗くならないと見えないもの 私達が見捨ててきたもの
それらを静かに抱える ここはそんな村であった

 「ノモンハンまでにまだ60キロを残す草原の集落」に「何処かへ行ってしまったその寸前の姿を/おぼろにでもなぞりたいと私達は来た」、という作品ですが、「星」の扱いが見事だと思います。特に最終連の「暗くならないと見えないもの 私達が見捨ててきたもの」というフレーズは秀逸です。「暗くならないと見えないもの」はもちろん星のことですが、それ以上のものを想起させます。明るい、華やかな視点では見えないものがある、明るい視点ばかりでは「私達が見捨てて」しまうものがあまりにも多い…。そんなことをこのフレーズは感じさせます。戦後の日本は華やかな視点のみを追いかけてきたと言えるでしょう。これからも出現するかもしれない「通り過ぎて征き 帰らなかった」「数千人の若者」の姿は、「暗くならないと見えない」のだと思いました。



季刊誌『佃』3号
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2007.9.25 埼玉県所沢市 北野丘氏発行 非売品

<目次>
山岡遊 
Yamaoka Yu
 二〇〇七年八月、青森・栄町バス停にて思う<エッセイ>…2
 凶猿…10
村田マチネ 
Murata Machine
 九つの短詩…18
北野丘 
Kitano kyu
 阿比と阿千…20
 字 扶桑…22
 樹のない樹界から<エッセイ>…25



 阿比
(アビ)と阿千(アチ)/北野 丘

あの日 夕陽の阿比と
ふたり 真っかな氷
(シガ)コにとけて
何処まンで
何処まンでも ながれていった

阿比は 鬼ユリかげろうもえて
阿千は オヒメになりてえな

岸と岸の 真ん真んなかで
ふたり 真っかな氷コになって

何処まンでも
ながれてゆけば
岸と岸の なんもかも
岩たち草たち なんもかも

けがれなき金剛
(ダイアモンド)
きっと阿千はオヒメになって

あの日 真っかな かげろうながれ
うまれて 何処まで ながれてゆくのが
償いなどで あるはずがない

 「阿比と阿千」は人名で、思春期の男女のように思います。「氷コ」や「何処まンでも」は東北か北海道の方言かもしれません。これが生きていますね。「オヒメ」は姫≠ナしょうか。問題は最終連です。「償いなどで あるはずがない」というフレーズがこの作品を決定しています。私には若い恋人同士の償い≠フように感じられました。幼いながらも「真っかな」恋情、そして何やら妖しげな「かげろう」、そんなところに魅力を感じた作品です。



詩誌『どぅえ』XVU号
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2007.10.1 京都市左京区
未踏社・有馬敲氏発行 700円

<目次>
穂田 清 2
 お婆ちゃんの茶飲み話 25          お婆ちゃんの茶飲み話 26
 お婆ちゃんの茶飲み話 27          お婆ちゃんの茶飲み話 28
本多清子10
 千本閻魔堂
村上知久14
 竹の秋                   ふたぁつの世界
 春の日
安森ソノ子 20
 ゴビ砂漠での京女              シャネル本店で
有馬 敲 26
 いじめ                   休刊日
 いけず                   バス停留所前
根来眞知子 34
 フランス女                 赤ちやんポスト 2
 風景
40 編集メモ



 ふたぁつの世界/村上知久

人間 長いことやってて気付くなんて 悲しくなるんや
が 世界は ふたぁつあるだけやな ひとつは 立体の
世界で もうひとつは 平面の世界や

今の今 見えてるもん 聞こえてるもん 匂ってるもん
 触れてるもん 感じてるもん それが立体の世界で
今が今でも 見えてないもん 聞こえてないもん 匂っ
てないもん 触れてないもん 感じてないもん それは
平面の世界なんや それに 過ぎ去ったもん これから
起ころうとするもん それも平面の世界なんや

ぼくは今 見ている 聞いている 嗅いでいる 触れて
いる 感じている 今という今 今と過去 今と未来に
またがる 一瞬のなかの一瞬 そのまた一瞬のなかの一
瞬 立体の世界が平面の世界に 寝転んでいくのを 平
面の世界が立体の世界に 起き上がってくるのを

人に 不幸ばかりをもたらした 過ぎた日の平面の世界
を 性懲りもなく 立体の世界に 立ち上がらせようと
する やからが あなたの周りに ぼくの周りにも

 「ひとつは 立体の/世界で もうひとつは 平面の世界」。それが「一瞬のなかの一瞬 そのまた一瞬のなかの一/瞬 立体の世界が平面の世界に 寝転んでいくのを 平/面の世界が立体の世界に 起き上がってくる」というのは面白いし、時間論としてもユニークで納得しやすいと思います。この作品はそれだけではなく、最終連で「過ぎた日の平面の世界/を 性懲りもなく 立体の世界に 立ち上がらせようと/する やから」がいることを弾劾して、それこそ作品を立体的≠ノしていると云えましょう。その輩がなぜ不用なのかもそれ以前の3つの連から読み取れます。本誌の特徴である京ことばも奏功している作品だと思いました。



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