きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.9.9 東京・浅草




2007.10.1(月)


 10月1日の日記を10月20日に書いています。この日は何をやっていたんだっけかなぁ? 手帳には何も書かれていないので、たぶん、いただいた本を読んでいたんでしょう。ようやく10月に漕ぎ付けましたけど、3週間の遅れ。礼状も遅れているわけで、すみません。これから頑張って回復させます。



坪井勝男氏詩集『見えない潮うしお
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2007.9.26 福岡市中央区 書肆侃侃房刊 2000円+税

<目次>
雨粒 6       水脈 9       見えない潮
(うしお) 12
通知 15       微笑 18       暖簾 21
途中下車 24     揺らぎ 27      アラカシの樹 30
棲みついて 33    ドッグフード 36   蝉 39
ひまわり 42
 *
握りしめて 45    風の行方 48     おそれ 51
追い越し禁止 54   めし食い放題 57   行者杉 60
道の神 63      流されながら 67   0番ホームにて 71
晩秋 74       野ざらし 77
初出一覧 80



     
うしお
 見えない潮

たぷ
たぷと 海から跫音
(あしおと)が聞こえてくる

残された干潟にも漂着する重油
(オイル)ボール
甲羅が乾いた小蟹を
汐溜まりに戻そうとすると
蟹は激しく抗い
鋏をぼくに突き立てて 走り去った

指の痛みは箴言
(しんげん)のようだ
トビハゼは横目でヒトを見据えている
泥土にうごめく無数のいのち
喰いつ
喰われつ
おびただしい生と死のあかしは
泡粒にかわり
みな呟きながら爆ぜていく
それは
かすかな気体の淀みだが
あたり いちめん和音となる

聞き入っていると
見えない潮に満たされる
この 遠いなつかしさは
どこから
寄せてくるのだろう

 タイトルポエムを紹介してみました。「残された干潟にも漂着する重油ボール」を作り出してしまった人間。その人間の代表として「ぼく」は「箴言のよう」な「指の痛み」を覚えたのだと思います。しかし、それでも最終連では「遠いなつかしさ」を感じています。「たぷ/たぷ」と「聞こえてくる」「海から」の「跫音」は、それだけ寛容なのかもしれません。現代をうたいながらも「遠いなつかしさ」に想いを馳せる佳品だと思いました。



季刊・詩とエッセイ『焔』76号
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2007.9.30 横浜市西区 福田正夫詩の会発行
1000円

<目次>

魔法や…保坂登志子 4           あるがままに…阿部忠俊 6
どこにいるのか…黒田佳子 8        ハトシェプスト女王…北川れい 10
溜息山王…亀川省吾 11           蛍火…伊東二美江 12
海の若者…小長谷源治 13          五ミリリットルの涙…許 育誠 14
遺伝子…地 隆 16            散歩道で…古田康二 18
早春…野島 茂 19             山林の中での想い…布野栄一 20
くまのプーさんの家…平出鏡子 21      遠ざかる街…植木肖太郎 22
思い出話・愚痴話…山崎豊彦 24       旅立ちの前日…濱本久子 26
娘に…新井翠翹 28             農夫と牛と歌姫/日は暮れた…錦 連 30
心研ぎ済ませ…福田美鈴 32         ゴッホを訪ねて…山口敦子 34
疲れているのさ…上林忠夫 35        友だち…森やすこ 36
エミール・ノルデ対話/ザォ・ウーキー印象/疲れ目/大桟橋で…金子秀夫 37
福田正夫の詩 樹蔭/阿部忠俊 40
連載
吉田一穂さんのこと…福田美鈴 41      万歩計の旅〈三十三〉…工藤 茂 44
散文
塞翁が馬…錦 連 46            定年退職…古田豊治 52
小特集
蒲生直英 執念の「石笛」…本間とみ 54   同郷の先輩蒲生さん…阿部忠俊 56
蒲生直英の詩のこと…金子秀夫 58
小長谷源治氏の作品について…野島 茂 62  郷土を愛する詩人−小長谷源治さん…濱本久子 64
小長谷源治さん…阿部忠俊 67
書評
伊東二美江詩集『花びらの声』…布野栄一 68 …黒田佳子 69
同人の窓
「井上靖」の萬年筆…濱本久子 71       怪文書…許 育誠 72
詩集紹介…金子秀夫 73           編集後記
題字、表紙画 福田達夫           目次カット 湯沢悦木



 どこにいるのか/黒田佳子

棚の砂糖壺にもぐり込んだ ありんこよ
お前は幸運を探しあてたのかな
草の葉先に登り また ころげ落ちて
何処かに消えていった ありんこよ
それでもお前は今日の行く先を
承知しているのだろう

ある日 わたしは思いがけずに
神とぶつかってしまった
神はとがめるでもない横顔を見せて
許すわけでもなく 私の傍らに存在した
神の傍らだなんて まあ 私は
何故 そんなところにいるのだろうね

止めに入るべきレフリーを探しながら
ある時私は 無表情なボクサーの
練れて軽いフットワークを
信じられない思いで見つめている
リング上の自分を発見した
本当に 何故 こんな所に登って
試合することになっているのか
そのわけがわからなかった

そもそも選択をまちがえたのでなく
選択することが間違いだったのだと
そんな当たり前のことを
気がつかないままに
選択をしてしまったお前
立ち尽していたのは何処なのか

息子はいつか成長して
私の知らない細い路地から
社会の迷路へと
迷い込んでいるように見える
もう引き戻す方法が見つからないし
引き戻すことが正しいとも思えない
けれどいつかその小道が行き止まり
自分はどこにいるのかと考えるとき
きた道を肯定できる者であって欲しい

神は掴むことのできない霧のようで
目に見ることのできない
高く分厚くコンクリート壁のようだった
とりつく余地のない絶対の存在に
行き止まった私は
すごすごと立ち去る帰路で
思いがけない安らぎに
満たされている自分に気がついた

 「そもそも選択をまちがえたのでなく/選択することが間違いだったのだ」という詩語は、決して「当たり前のこと」ではなく名言だと思います。換言すれば選択時の判断を間違えたわけですから、次は判断のための良質な材料を多く集めればよいということになり、その第一歩がここに記されているわけです。「きた道を肯定できる者であって欲しい」というのも良いフレーズですね。現実にはそう簡単なことではありませんけれど、やはり「すごすごと立ち去る帰路で」あっても「思いがけない安らぎに/満たされている自分に気がつ」きたいものです。人生訓を垂れたような作品ではありませんが、読み手は自ずと考えさせられます。佳い詩の基本がここにはあると思いました。



個人詩誌if17号
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2007.10.1 広島県呉市   非売品
ちょびっと倶楽部出版・大澤都氏発行

<目次>
パンとブランコ 1  今日の町 3     月食 5
おみくじ 7     優しいおじさん 9

夢を書くひと 木川陽子(一) 11
ちょびつれづれ 14
ifつれづれ



 今日の町

狭い国道を走る大型トラックの車幅がいつもより広い
ライトバンは普段のスピードを時速十五キロメートルは超えて猛進する
車が起こす風と押しボタンのついた電柱に挟まれて進むことができない
人通りのない住宅街も家が進路にはみだしている
自転車では通りづらい

車も建物もわたしに対して通せんぼをする
はじこうとする
わたしは体を町にねじ込ませながら駅に向かう

わたしは電車で外の町へ排出された
振り向けばにこやかに
わたしへ手を振っている
今日の町

 「車も建物もわたしに対して通せんぼをする」「今日の町」。「電車で外の町へ排出された」「わたしへ手を振っている/今日の町」。町から疎外されたのなら、町が「にこやかに」手を振ってくれることはないでしょうから、ここは軽い悪戯をされたと採ってもよさそうです。夕方には再び戻る「わたし」の町の、ちょっとした窮屈さ、それを表現しているのではないかと思います。おもしろい視点です。



詩誌『詩区 かつしか』97号
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2007.9.23 東京都葛飾区 池澤秀和氏連絡先
非売品

<目次>
ひとかさね/みゆき杏子           どちら様で/工藤憲治
私は縄文の人になりたい/工藤憲治      動く/内藤セツコ
-柴田昌平監督映画「ひめゆり」幻視-/石川逸子 吾亦紅≠サの後/池澤秀和
花火/堀越睦子               ほんとうは/青山晴江
人間91 泥田/まつだひでお         人間92 荒地の東京/まつだひでお
石蕗(つわぶき)/小川哲史          ソファに寛いで/小林徳明
花を想いて/小林徳明            時をはずして/池沢京子
新・イソップ序曲/しま・ようこ



 ほんとうは/青山晴江

すこし
ちがうのだけれど
台所のリフォーム
仕上がり具合い
窓辺の色

ほしかったものに
近いのに
なにか こう
すこし ちがう

使い古した食器棚
沈みかけてた床板
捨ててしまって
たくさん たくさん
捨ててしまって
歳月の温もりを
消してしまった

白くて
明るい
空洞のような台所で
新しい流しの
蛇口をひねる

こうして
すこしちがうものに
自分を慣らしていく
ほんとうに
願っていたものを
少しずつ忘れて

 「台所のリフォーム」にしろ何にしろ、「ほしかったものに/近いのに/なにか こう/すこし ちがう」という感覚は分かりますね。それは多分「たくさん たくさん/捨ててしまって/歳月の温もりを/消してしまった」からなのでしょう。そうして出来上がった「空洞のような台所」。そんな「すこしちがうものに/自分を慣らしていく」ことで新しい「歳月の温もり」が出来てくるのかもしれません。しかし作者は「ほんとうに/願っていたものを/少しずつ忘れて」いるのだと押えています。ここが大事で、さすがは詩人ならではの視点だと思いました。



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