きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.9.9 東京・浅草




2007.10.3(水)


 特に予定のない日。終日いただいた本を読んで、ようやく9月18日の日記を書いてUPしました。更新は2週間遅れになっています。礼状も遅れていて、すみません。



詩誌『馬車』37号
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2007.10.5 千葉市美浜区
久宗睦子氏発行  非売品

<目次>
扉詩…果樹園日乗・抄(Z) 本多 寿
待っている・空蝉…本多 寿 4       砂のトンネル…久宗睦子 8
微笑み・ナイアガラ…山本みち子 10     さざなみ・いっしゅん…ついきひろこ 14
囲いのない水・みえない糸… 洋子 20   緑色の繭・壷…馬場晴世 22
招待席
たった今がなつかしい…新延 拳 26     ダーク・ヒロイン…若狭麻都佳 28
〔詩集評〕辣韮のかがやき 本多寿詩集『母の土地』について…柳内やすこ 30
十二号棟そばの図書館の前で 待っていて下さい…春木節子 32
針水晶のネックレス…小丸由紀子 34     閉じたテントで大サーカス・誠にひとすじの木…住連木 律 36
夜歩く・ユリノキ…丸山乃里子 40      ステップ・オン…堀田のぞみ 44
〔評論〕(水と生物文学の出会い)…堀田のぞみ 46
遠雷・ホタル…田中順三 50
MEETING ROOM
後記・同人名簿



 果樹園日乗・抄(Z)/本多 寿

庭の木立のあいだを
おもたい光のかけらのように
黄色い蝶が飛び交っている

不規則だが美しい軌跡を描きながら
アシビの木を越え
ミモザの葉群を越えていく

その向こうには
三万年前に海底が隆起した急峻な谷があり
ときどきアンモナイトが発見される

蝶は二度と庭にもどってこない

  *

木立の向こうの空
光の音符で書かれた楽譜が隠された空から
かろやかな音楽が流れてくる

彼方に消えた蝶の軌跡をひきのばし
一本の弦のように張って
爪弾いている者がいるのだ

単調だが こころを明るくするしらべ
かつて蝶であったものが
庭木のあいだを飛び交っているらしい

しかし
その音も
生まれるとすぐに消えていく

二度ともどってこない

 第1連の「おもたい光のかけらのように/黄色い蝶が飛び交っている」というフレーズに驚きました。「おもたい光」という形容詞、その「かけらのよう」な「黄色い蝶」。蝶がヒラヒラと飛ぶ様が「おもたい光のかけら」とは! 蝶の形容としてここまで見事な詩語を見たことがありません。「光の音符で書かれた楽譜が隠された空」も佳いですね。「二度ともどってこない」蝶は、一度として同じ姿を留めたことのない光・音の象徴とも採れます。扉詩として収録された作品です。見事です。



季刊詩誌『舟』128号
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2007.8.15 東京都小金井市
レアリテの会・西一知氏発行 800円

<目次>
作品
魚の顔/佐竹健児 4            ふるえるバルコニー/大坪れみ子 5
中継地にて/織田達朗 6          夢・空想と対決した人/奥津さちよ 19
ひかり/木野良介 22            エゴノキの白い花散る沼めぐり/菊池柚二 24
きゅうり祭り/鈴木八重子 26        橋/(天野碧改め)服部尚樹 28
虹の刻印/坂本真紀 30           蜜蜂/植松和也 32
落花/日原正彦 36
エッセイ (連載)詩についての断片76 無数の偶然のなかの偶然/西 一知 38
翻訳 (連載)ピサの歌4/サム・ハミル (訳)経田佑介 41
作品
青い麦畑 他一篇/植木信子 48       人間の学校 その一二六/井元霧彦 50
ボランティアの春/文屋 順 52       田舎医者T先生の思い出/武田弘子 54
口笛/渡邊眞吾 56             さようなら/未津きみ 58
お城山素描(スケッチ)/いしづかまさお 60  蝶をもらう/駒木田鶴子 62
旅/田中作子 64              あなたへの想いがよみがえる時/尾形ゆき江 66
童謡(わざうた)/松本高直 68
エッセイ 詩のメランコリー 兼業詩人は可能か?/(天野碧改め)服部尚樹 70
作品
時は流れつづけ……/黒田康嗣 74      夜のポケット/日笠芙美子 76
在りし日の/野仲美弥子 78         親友ゴジラ/田澤ちよこ 80
土 37/松本 旻 82            光る手/及川良子 84
ぼくはくたばりたくない/桑児 元 86    影絵/長谷川信子 88
夢をみました/みやのえいこ 90       五月の公園で/原田勇男 92
エッセイ 危険はどこにでもある/森田 薫 94
作品
桜、花散る心/尾中利光 99         ことしのサクラ 他一篇/木村雅信 100
のぞきみ/松田太郎 102
.          十三日の水曜日には/朝倉宏哉 104
のような/岩井 昭 106
.          家族/藤井章子 108
丘の上 U、皿/合田 曠 110
.       庚申の夜のふれ/河井 洋 112
壊れた万華鏡/なんば・みちこ 114
.     深夜 国道沿いの店で/西一知 116

「舟」、レアリテの会発足の覚え書き(1975年).118
同人住所録 120
後記●同人詩誌の存在理由 122
表紙画・構成 松本 旻  扉絵 向井隆豊



 きゅうり祭り/鈴木八重子

朝のうちに花火があがる。ポンポンと。それからけむりのようにあ
るいは水のように笛の音が流れてくる。おおむかしからの呼び声と
なって。ずっとここで生きてきたひとたちの耳に流れこみ。よそか
ら移ってきたわたしの耳にも流れこみ。
やがてあふれそうになるころに。

きゅうり祭り。
きゅうり祭り。
わたしは土地のひとの言いならわしをまね。
となり近所さそいあって一
(いち)の矢(や)神社へいく。
お供え用のきゅうりをたずさえて。

バス道路から鬼越という字名のほうへそれると、すぐにY字路にな
っている。平坦な道と坂道。迷わずに坂道をいくひとたちのあとに
わたしもついていく。道は杉の大木にふちどられていてうす暗い。
頭上を見るとくらくらするよ。
木が空から生えているようで。

とぎれそうでとぎれない笛の音。その音をたぐっていくわたしの足
の運びはときに、水田を歩くときのものになる。だれのか、わたし
のではない記憶にうながされて。
そうして笛の音にたどりつく。

音がとぎれないように、かわるがわる笛を吹いている古老たちは、
なぜかよく似ている。布をかるくまいたような着物の着かた。から
だのどこにも無理のない坐りかた。そのあたり、さざ波のようなも
のがただよっている。

ああ。
ああ。
うしろから、わきのほうから、吐息がきこえる。
ああ。
わたしも息を吐く。いまがいつの世なのか。
一瞬わからなくなる。

 「きゅうり祭り」というおもしろい祭を題材にしていますが、詩語もユニークです。「けむりのようにあるいは水のように笛の音」、「木が空から生えているようで」などのフレーズは佳い視点だと思います。「からだのどこにも無理のない坐りかた」というのは具体的にどういう座り方なのか判りませんが、詩語としては見事に座って≠「ます。そして最終連の「いまがいつの世なのか。/一瞬わからなくなる。」こそこの作品のテーマで、「よそから移ってきたわたし」の偽りない心境なのでしょうね。これがちょっと不気味で、作品を深めていると思いました。



『栃木県現代詩人会会報』55号
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2007.10.1 栃木県塩谷郡塩谷町
和氣康之氏方事務局・栃木県現代詩人会発行 非売品

<目次>
平成19年度定期総会開く 1         ごあいさつにかえて/我妻 洋 1
平成19年度役員 2             平成19年度決算報告書 2
懇親会・出版を讃える会 3         栃木県現代詩人会新人賞 4
新人賞を受賞して/板橋スミ子 5      詩集「蜘蛛」より 5
新人賞選考経過/和田恒男 6
出版を讃える 本林武夫/あらかみさんぞう/金子以左生/都留さちこ/瀧葉子/和田恒男/青柳晶子/野澤俊雄 7−10
会員アンケート 中島粂雄/小貫文敬/和気勇雄/草薙 定 10−11
受贈会報・詩書等 12
編集後記 12



 蜘蛛/板橋スミ子

蜘蛛は青空に多角形の巣を張る
空中ブランコを操る軽業師となり
露のビーズをキラリと光らせ揺れた
夏の空は湧く雲を遊ばせている

蜘蛛は夕焼けのなかで孤独だった
山に帰るカラスの鳴く声に合わせて
微かに涙ぐんで口笛を吹く
茜いろの巣にはだれも近づきはしない

蜘蛛は巣の真ん中で脚を踏ん張り
灯に群がる白い影を待つ
獲物よかかってくれ
揺らさぬように息を殺して

   *   *

巣は陽光のなかで紐になって揺れていた

 第40回栃木県現代詩人会新人賞を受賞した板橋スミ子さんの詩集『蜘蛛』のタイトルポエムです。60歳に近い頃に詩を書き始めたという作者の第1詩集が受賞なさったようです。作品はご覧のように蜘蛛の気持になったもので、昼から夕暮れ、そして夜、それぞれの気持がよく判るようになっています。最終連が見事ですね。とても新人とは思えない手法で、栃木県現代詩人会の新しい力となることでしょう。おめでとうございました。



詩とエッセイ『想像』118号
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2007.10.1 神奈川県鎌倉市
羽生氏方・想像発行所 100円

<目次>
ごくらくとんぼ…1
涸沢行−旅日記抄(1)…井上通泰 2
本・田中克彦『エスペラント−異端の言語』を読む…羽生康二 4
詩「青い矢車草・初夏の風」ほか…羽生槙子 7
横須賀港・海底泥の浚渫と海洋投棄…羽生槙子12
花・野菜日記07年8月…14



 『エスペラント――異端の言語』を読む
    (田中克彦著、岩波新書)    羽生康二

 1、ザメンホフとエスペラント

 ザメンホフがエスペラントを発表したのは1887年。そのころ、ザメンホフが育った東ヨーロッパには、多数のユダヤ人が住み、さまざまな言語が話されていた(ザメンホフが生まれ育ったビャルイストクは、現在はポーランドだが、当時はリトアニアに所属しロシア領だった)。
 多言語が交錯し対立する東ヨーロッパのユダヤ人にとっては、次の三つの言語的選択の道があった、と田中克彦は言う。
「(1)固有の父祖の言語、古代ヘブライ語を復活させようというシオニストの道、(2)それぞれの居住地の基幹民族の言語、あるいは所属する国家の言語に同化する道、そして(3)ドイツ語との間に生まれた、あるいはユダヤなまりのドイツ語を洗練して、独自の言語『イディシュ』として使う道のいずれかである。/ところが、ザメンホフはいずれの道もとらなかった。かれは、どの民族のでもない、まったく新しい言語をつくり出すことによって、民族を経ずしていきなり、人類(
homaro(ホマーロ))に属する一個人(homarano(ホマラーノ))になろうとした」
と著者は述べ、エスペラントの意義を次のようにまとめる。
 民族も国家もこえた、ただ一つの人類のメンバーというかれの思想ホマラニスモは、エスペラントに見るような、民族と国家を経ずして個人が直接人類に結びつくような言語として顕現したのである。それは孤独で強靭この上ない思想であって、人の心を打たないではやまない。
 この点では……
sennacio(センナツイーオ)(国家(ナツイーオ)ぬき、無国家)というのがザメンホフの思想を最も鮮明に表明しているのかもしれない。国家を所有することをあきらめ、それを放棄すると態度表明したユダヤ人の究極の思想を言語的に表明したのがエスペラントではないかと私は思う。

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 紹介したのは「『エスペラント――異端の言語』を読む」の冒頭部分です。エスペラントは以前から興味はあったのですが、ここで紹介されているように「国家を所有することをあきらめ、それを放棄すると態度表明したユダヤ人の究極の思想」なのでしょうね。このあとエスペラントの構造や学ぶ意味についても言及され、いずれこの本は入手してみたいと思いました。

 私事ですが、30年以上前の1970年代にアマチュア無線で海外と交信していました。プロもアマチュア無線にも世界共通のQ符号というものがあって、例えばQRZ≠ニ発音したり電信を送ると、貴局の名は?≠ニいう意味になります。便利な言語で、これに多少の英語を加えると会話が成り立ちました。しかし、なかにはエスペラント語で交信する人がいて、この人たちは非常に閉鎖的でした。エスペラント語以外では一切交信を受け付けなかったのです。その真意は「民族と国家を経ずして個人が直接人類に結びつくような言語」としての意識上の問題だったのかなと、上の文を読んで思いました。そんな体験は別としても一度は読んでおくべき本のようです。良い本を紹介していただきました、ありがとうございます。



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