きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.9.9 東京・浅草




2007.10.6(土)


 日本詩人クラブの研究会が
東京大学駒場Tキャンパスで開かれました。講師はフランス文学者、文芸評論家饗庭孝男氏、演題は「伊東静雄の詩と生涯」でした。内容は、リーフレットから拾うと、伊東静雄の〈ロマン主義的なイロニーに基くもの〉と〈日常の地平に屈折してゆく現場を詠んだもの〉を考察し、〈詩と日常のあいわたる点を明らかにし〉、〈詩人の意識と自然と日常ともの属性とドラマをいかにして平明に読みとく、という点を明らかに〉するというものですが、正直なところよく判りませんでした。なぜ判らないかというと、講演は自著の丸読みに近かったからです。同じ本を私たちも持っていて、それを見ながらだったらよく判ったと思い、ちょっと残念でした。しかし、その後の質疑応答は良かったですよ。同じ土俵に立って、その道の専門家から回答を受けるわけですから、これは迫力もありよく判りました。

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 講演内容はいずれ『詩界』に載りますから、そこで改めて勉強させてもらおうと思っています。
 写真は講演風景。研究会としては異例の60人近い人が集まりました。そのうち会員・会友外の人は10人、講師のファンのようです。懇親会は神泉の「からから」。こちらも20名ほどの人が残りました。



詩と評論『操車場』4号
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2007.10.1 川崎市川崎区 田川紀久雄氏発行 500円

<目次>
■詩作品
私の生れた家/野間明子 1         松の実/高橋 馨 2
雨乞い神社縁起/倉田良成 4        コメディアン ――相棒/長谷川 忍 6
魯迅先生/田川紀久雄 8          人明かり/田川紀久雄 10
とまらないなみだ/金子啓子 12       コンニチハ悪性新生物サン4/坂井のぶこ 14
影のサーカス ――12/坂井信夫 15
■エッセイ
今までとは一味違う詩語り/田川紀久雄 16
■後記・住所録 18
■付録 漉林ミニ通信十二号〜十七号



 魯迅先生/田川紀久雄

あなたと横浜中華街へ薬膳料理の材料を求めにいく
田七人参・くこの実・紅花・霊芝・バラ茶・朝鮮人参などを買い求める
まるた小屋に入り青菜とフカヒレラーメンそれから豚足を注文する
あなたは生ビールをとる
あなたが美味しそうに食べる
生ビールを少しわけてもらう
それからフカヒレラーメンを子供用のお茶碗に取る
その時魯迅先生が私のテーブルに近づいてきて座った
――先生は何をお食べになります
――何もあなたのように未来の夢など忘れてしまいました
私は黙って先生のとても寂しそうな瞳を見つめた
――なぜ医学をあきらめて文学などに……
――未来の夢を見たからです
  あなたの国も憲法改正でまた嫌な時代に逆戻りしなければよいのだけれどね
――確かに先生が言うように文学は無力です
  無力だからこそ本当の生命
(いのち)について語れるのだと思います
純粋な夢を追い求めて生きること
それは見果てぬ夢を追い続ける旅でもある
薬膳の材料を求めに来たのも
ただ詩語りを行いたいためだ
末期癌と闘う生き方こそ私の生き甲斐でもある
――この豚足いままで食べたことのない味だわ
あなたは本当に美味しそうに豚足を齧っている
確かに豚足の皮が芳ばしい 日本の豚足とはひと味違う
田端の近くで四十代の初め頃喫茶店をやっていた 
*1
父母が続いて亡くなったので妹の世話をするために開いた店である
そこに中華料理店の経営者がよく来てくれた
私も彼の店にいって豚足を食べたものだった
――このお店のものとても美味しいでしょ それに安いしね
魯迅先生はあなたの食べっぷりを見て言った
私がお手洗いにいっている間に魯迅先生の姿は消えていた
――ここにいたひと何処へいった
  とあなたに尋ねる
――誰もいなかったわよ
  ここの豚足とても美味しいわね
私は周囲のお客の顔を見渡してみたが魯迅先生らしき顔の人はなかった
今日はあなたと海ほたるまで行く約束をしていたのだが
あなたは私の身体のことを思ってこの中華街に来たのだ

  *1「も〜つあると」という喫茶店      二〇〇七年六月十日

 「魯迅先生」に出会ったという白昼夢ですが、なぜか現実のように感じられます。おそらく現在の日本が魯迅先生の言うように「憲法改正でまた嫌な時代に逆戻り」しそうな雰囲気だからでしょうか、現実味がそう感じさせるのでしょう。
 「私」の「確かに先生が言うように文学は無力です/無力だからこそ本当の生命について語れるのだと思います」という言葉にも説得力があります。「末期癌と闘う生き方こそ私の生き甲斐でもある」と言う作者の言葉にも胸を打たれます。
 なお、註釈「
*1」は誤字・脱字があると解釈して勝手に訂正してあります。ご了承ください。



詩と評論『操車場』5号
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2007.11.1 川崎市川崎区 田川紀久雄氏発行 500円

<目次>
■詩作品
バスを走る/鈴木良一 1          衆人環視の中で/高橋 馨 2
影のサーカス/坂井信夫 4         午前と午後/野間明子 5
生前供養/田川紀久雄 6          生命の尊厳/田川紀久雄 8
川崎の光/坂井のぶこ 10
■エッセイ
裏町文庫奮闘記より/井原 修 12      二つのライブ/坂井のぶこ 14
島村洋二郎の痕跡 ――(35)/坂井信夫 16  末期癌日記/田川紀久雄 18
■後記・住所録 22
■付録 絵手紙・新聞記事



 川崎の光/坂井のぶこ

私は光をみたい
いつかこの地で
漆黒の闇の中 乱舞する青白い光を
水脈を再び見い出すこと
それを清らかに保つこと
草木を植え 土壌を養い 汚れを除き
そして待つこと
そう待つことが大切なのだ
けしてばらまいてはならない
微生物が掃除をする
アンモニアをチッソに換え 植物がそれを吸収し
土がアルカリ性になり
ある日 カワニナが戻ってくる
そして さらに長い時間をひたすら待つ
いつか光はあらわれるだろうか
最初は幽かなふたつの光
草の葉にとまる光
空中をさまよう光
ふたつのひかりがひとつになり やみにきえてゆく
くさのはにのこされた卵
ふたたび循環がはじまる
幼虫は水中でカワニナを食べ 越冬し
みなつきをむかえる
しとしとと雨のふりつづくやみよ
青白く発光しながら上陸し さなぎとなる
そしてふみづき
ひかりはよみがえる
それはただひとつの種がよみがえったということではなく
私達のなかのなにかとてもたいせつなものも 同時に活き返らせる

ものもえば さわのほたるもわがみより あこがれいづる たまかとそみる  和泉式部

そう よみがえるのは
わたしたちのたましい
やみのなかであそぶ
ひかり
つづいてゆく
いのち

いつかこの地に光はよみがえる

 蛍の甦りは「わたしたちのたましい」の甦りだという作品ですが、「そう待つことが大切なのだ/けしてばらまいてはならない」というフレーズに注目します。科学は待つことをあまりしません。逆に、いかに早く、正確に、コトを成就するか、それを追い求めてきたように思います。「さらに長い時間をひたすら待つ」という姿勢があったら、科学は本当の意味での人間のため、地球のためになっていたのかもしれません。川崎の蛍を甦られたいということをテーマに書かれていますが、その意味するところは大きな作品だと思います。



詩誌『青衣』125号
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2007.9.20 東京都練馬区
青衣社・比留間一成氏発行 非売品

 目次
<表紙>…比留間一成
劇…河合智恵子 2             五月の風…上平紗恵子 4
うぐいすが来た…表 孝子 6        湖畔…井上喜美子 8
祈りは高く…比留間一成 11
「日塔聰」(2)…布川 鴇 14         平灰…18
バナナを掘る…伊勢山 峻 20        メッセージはいつも新しい…布川 鴇 22
「昼月」 その反響をめぐって…24       追悼 芥川瑠璃子さん…25
<あとがき> 目次…26



 湖畔/井上喜美子

空をつく木立の沿道を通りぬけると
小ぢんまりとした湖が見えてくる

水辺に立ち
緑陰がひときわ濃くひろがる
ミズバショウの群れに近づいてゆく

「別名 ヘビノマクラ」
と むかし ここで控えた覚えがきを
こわきにかかえて

花とみまがう乳白色の苞
(ほう)に抱かれた
きいろい花つぶたち 存分に
ことしも また よく咲いてくれて

あれは いつ頃のことかしら
いまを咲きほこる一本が
容赦なく根こそぎ引き抜かれていたのは

はからずも目にした その姿かたちは
七〜八〇糎はゆうにある
肉厚でごつごつした逞しい地下茎の根で
まだ のびてゆこうとしていた

ひとに親しまれてきた この端整な花群が
罷の好物と織ったのも
きょう ここを訪れて

 詩を読む楽しみは、自分とは違う他人様の感性に触れることや知らないことを教わることにあると思っていますが、紹介した作品もその典型です。「別名 ヘビノマクラ」は植物に疎いから当然かもしれませんが、初めて知りました。それを「むかし ここで控えた覚えがき」として「こわきにかかえ」るという表現や感性は私に無いもので、ある意味では羨ましくさえあります。「ミズバショウ」が「罷の好物」だというのも初めて知ったことです。こうして、自分の無知が少しずつ解かれていくようで、感心しながら拝読しました。



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