きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.9.9 東京・浅草




2007.10.7(日)


 朝のうちに印刷所に行って、日本詩人クラブ11月研究会・例会の案内状原稿を届けました。届けたと言っても休日ですから誰もいません。ポストに入れてきたのです。印刷にあたっての依頼事項はメモとして同封してありますから、休日明けにでも確認のため電話しておこうと思っています。
 夕方から小旅行をします。古い友人に誘われて4日ほどの山陰の旅です。私の最大の目的は、山口県の銘酒「獺祭」の蔵元見学です。一番好きなお酒がどんな処で造られているのか、興味津々です。



詩誌『白亜紀』128号
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2007.10.1 茨城県水戸市
星野徹氏方・白亜紀の会発行 800円

<目次>
エッセイ−白亜紀50周年にちなんで−
硲杏子/発刊の起源に立ち返って 22     岡野絵里子 私たちの行方 24
鈴木満/この13年間の『白亜紀』 46     武子和幸/『白亜紀』の神話志向について 52
作品
広沢恵美子/ほおずき 2          渡辺めぐみ/首領 4
岡野絵里子/賑やかな沈黙 6        太田雅孝/蜥蜴 8
溝呂木邦江/想愛 10            平井燦/海 12
石島久男/永遠の花 14           網谷厚子/美しい国 16
橋浦洋志/ばら 18             鈴木満/慰霊の日 20
真崎節/赤ん坊の おぎゃあ と泣く声を 26
.  大島邦行/余白に 28
斎藤貢/ヤコブ 30             鈴木有美子/呑まれる 32
黒羽由紀子/わたしは石になって 34     近藤由紀子/ゆるい靴 36
宇野雅詮/後悔 38             武子和幸/炎 40
硲杏子/梅雨の晴れ間に 42         星野徹/交響詩〈ロシア帝国〉 44
●装画 立見榮男 貝



 呑まれる*鈴木有美子

観念的な詩ばかり書いていたら
観念的な死しか見えなくなった
いつのまにか
現実の死なんて
想像のしようもなくなってしまって
生も死も
どこか遠くでおぼろんでいる

六十日間 なにも食べていないヘビが
生きたウサギを呑み込んでいる

ウサギにとって 頭ごと
呑み込まれてゆくことは紛れも無い現実
でも
呑み込む側にとってその死は
観念的だったのか それとも
呑まれる側と同じ重みの現実だったか

生きたままのウサギをヘビが食べるとは
わあ!なんてひどい残酷!
けれど
思いがけないあっけなさで
死は訪れるのかもしれない
苦しそうな顔ひとつせずに
締め上げられ
息絶えていったウサギのように

あっけなさ
というのは 観念的なのだろうか
それとも 現実的なのであろうか
そもそも ゲンジツテキとカンネンテキとは
いかほどの違いがあるものなのか

目を閉じると無表情な瞳を凝らして
ヘビが近付く やおら
百八十度に顎をはずしてわたしを呑むが
呑まれているのは
現実のわたしか
それともわたしの観念か
いずれにしろ
呑まれているのはわたしであるには違いないのだが

 「観念的な詩ばかり書いていたら/観念的な死しか見えなくなっ」て、その具体例として「ウサギ」の「頭ごと呑み込まれてゆ」く「現実」と、「ヘビ」の「呑み込む側にとって」の「観念的だったのか それとも/呑まれる側と同じ重みの現実」が出てきますけど、わたしには観念そのものが「呑まれている」ように受け止められます。それは最終連の「呑まれているのは/現実のわたしか/それともわたしの観念か」というフレーズに表出されていて、「いずれにしろ/呑まれているのはわたしであるには違いないのだが」と続きますが、それ自体が観念に呑まれている姿なのかもしれません。
 逆に現実に呑まれることも往々にして私たちが経験することですが、その場合は逃避という形があります。観念の場合逃避できるのだろうか…。簡単には結論づけられません。おもしろいけれど、怖い作品です。



詩誌『北の詩人』59号
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2007.10.10 札幌市豊平区   100円
日下新介氏方事務局・北の詩人会議発行

<目次>
表紙・写真・詩 コスモス/佐藤武 1
いきいき/たかはし・ちさと 2       病訪/たかはし・ちさと 2
Go Go Lets/たかはし・ちさと 4  心の変遷/高柳卓美 5
わが心/松元幸一郎 5
俳句七句(松元水心)6
アメリカを 笑えるか/松元孝一郎 6    別れ/かながせ弥生 7
雨/内山秋香 8              バーチャル/内山秋香 8
灯籠流し/佐藤 武 9           長崎で/佐藤 武 9
あべこべ進増壊造内閣/佐藤武 10      海上の無料ガソリンスタンド/大竹秀子 12
孫三人が帰ってきた/大竹秀子 12      来し方を考え楽しく暮らそう/大竹秀子 13
短歌 残暑つづきて/幸坂美代子 14
他人を傷つける言葉/釋 光信 15
紀行文 岩山のチベット寺にて/たかはた しげる 16
人と鳩/倉臼ヒロ 17            花花と美しく/日下新介 18
茂子 18/阿部星道 19           友へ/八木由美 21
見本林/八木由美 21
教育問題「いじめ」に真正面から向き合い〜/日沖 晃 22
チベット紀行/たかはた しげる 24
詩人会議・新人賞募集要項 11
村山精二・ぶろぐ評 25 詩集・詩誌寸感/日下新介 25
「北の詩人」58号を読んで/佐藤 武 26
「北の詩人」No.59 もくじ 28 あとがき 28



 雨/内山秋香

我慢していると思ったら
やっぱり降ってきた


今日は札幌86年ぶりの
季節外れの真夏日だったらしい

日中頑張った空は
ついに
自分ではじけてシズクになった

地上の私も雨にあたる

私も
はじけてしまおうかな

 「雨」が「我慢していると思ったら/やっぱり降ってきた」という擬人法が効果的な作品です。第2連は無くても意味は通じますが、「札幌」という地名、「86年ぶりの/季節外れの真夏日」という具体的な気象があって、作品を安定させているという面でも絶対に必要です。第3連の「自分ではじけて」は、最終連の「私も/はじけてしまおうかな」に繋がっていて、ここも効果的です。作者はおそらく「我慢している」こと、「頑張っ」ていることがあるんでしょうね。それを雨に託しているという気持はたぶん無いでしょうが、読者としては自然にそれを読み取ってしまいます。短い詩ですが技巧的にも心理描写の面でも優れた作品だと思いました。



隔月刊誌『新・原詩人』14号
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2007.10 東京都多摩市 江原茂雄氏方事務局 200円

<目次>
《この詩]U》【鳥島紀行】(下) アホウドリのいる島/山室達夫 1
詩画 作品5 枯れ草/丸山愛・裕子 3   読者の声 3
詩 一瞬の死/長谷川修児 4        無題/竹内元 4
  耳/武西良和 4            風鈴/伊藤真司 4
冗句/乱鬼龍 4              この夏には参りました/山本日出夫 4
井之川巨の遺作 5             不死鳥のように/萩ルイ子 6
井之川巨という詩人/小林忠明 6      障害者自立支援法に思う/障害者を守る会 6
事務局より 6



 信天翁/山室達夫

碧空と蒼海を純白の翼端に支え
鋭い風切音を残して
眼前を擦過する
信天翁一羽

太陽に暖められて
海面の大気か微小に膨らむ
八尺になんなんとする翼は
前縁でその膨らみを敏感に捕捉する
大気の塊りを
翼面いっぱいに抱えこみ
一気に後縁に向けて
轟音とともに噴出させる

恐ろしい加速度が
重い胴体を浮揚させ
強靭な翼を後方に
大きく撓わせる

羽博きもせず
時速二百キロの速度で
数千キロの行動半径で
洋上を滑翔する信天翁

お前には鳥島と太平洋が
世界のすべて
ときたま漂流漁民が
余命をつなぐ糧にしたとしても
洋上で羽を休めるお前を
たまさか襲う鮫がいたとしても

絶滅に追いやるほどの殺戮では
それはなかった筈だ
世界に十五羽、二十羽という
状態にまでお前を乱獲したのは
売れば儲かる市場原理に
呪縛された人間たちだ

外敵から逃げることが
種の保存の必要条件ではなかった
お前は、だから逃げなかった
お前の羽根に包まれながら
人間たちはそのお前を
阿呆鳥と呼んだ

外敵が必ずいるのだから
我が身を守らなくてはならないと
信じこんでいる人間やほかの動物たちを
お前はもしかしたら
あわれんでいるのではないか

 2回連載の【鳥島紀行】「アホウドリのいる島」もいよいよ最終回です。鳥島に着いてアホウドリを観察し、帰るところまでが記されています。紹介した詩は、そのアホウドリを描いた作品です。署名はありませんでしたが山室達夫氏の作品と思ってお名前を入れさせていただきました。
 私事ですが、昔、ハンググライダーやパラグライダーで遊んでいたころ、私たちにとってアホウドリは憧れでした。チーム・アホウドリというクラブがあったほどです。しかし「時速二百キロの速度で/数千キロの行動半径で/洋上を滑翔する」とまでは知りませんでした。「八尺になんなんとする翼」に憧れていたにすぎません。その大きさから「外敵から逃げることが/種の保存の必要条件ではなかった」というのは理解できるところです。そして最終連のように、アホウドリは私たちフライヤーをも「あわれんでい」たのかもしれませんね。



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