きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.9.9 東京・浅草




2007.10.8(月)


 やって来ました山口県。新幹線で通り過ぎたことは何度もありますけど、地に足を着けたのは生まれて初めてです。目的地は山口県岩国市周東町獺越。私が一番好きなお酒、銘酒「獺祭」の蔵元、
旭酒造があります。キャツチフレーズは、山口の山奥の小さな酒蔵。その名の通り、クルマのすれ違いも出来ないような山奥にありました。

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 写真が旭酒造の外観です。八重洲の「初藤」、小田原の何とかという酒屋で見慣れた「獺祭」の暖簾?幟?があって、おぉ、ここだぁ!
 右手にさらに2倍ぐらいの幅があります。奥行きは写真でも想像できるかと思いますが、あまりありません。本当に小さな蔵元でした。工場見学は電話で予約していましたので、製造部長さん(だったかな?)が丁寧に案内してくれました。雑菌を嫌う麹仕込み工程以外は、どこを見ても、写真もOKというオープンさ。しかも部長さんは40前と思われる若さで、爽やかな人でした。蔵元見学は何軒か行っていますが、こんなに気持ち良く見られたのは初めてでした。

 工場内では10人ほどの人が働いていましたが、皆さん挨拶もきちんとされて、これも好印象。そのうちに若い人ばかりなのに気づきました。実はこの蔵元、10年ほど前に周囲の数社が集まって出来たばかりで、平均年齢も30代なんだそうです。私が獺祭に気づいたのは5〜6年前でしょうか、突然現われた銘酒という印象を持っていたのですが、その感覚は合っていたことになります。
 いろいろ説明を聞いているうちに感激したのは、その酒造りの姿勢です。若い人ばかりということで、伝統がありません。昔から酒造り一本というような古参がいないのです。つまり、経験も勘もないということ。それでどうやって銘酒「獺祭」が出来るのか!?

 回答は数値≠ナした。経験と勘の代わりに、工程毎にサンプリングしてアルコール分、日本酒度、酸度などを測定するのだそうです。数値が基準内になるように発酵速度を制御し、温度管理をする、そうして品質を安定させる…。これは現場の技術屋・品質管理をやっていた私にはすぐ理解できましたし、納得しました。測定器は残念ながら使用中で詳しく見られませんでしたが、ちょっと外観を見ただけでどんなものを使っているかが判りました。年配の経験者の勘を数値化するわけで、これは現代の化学工場で一般的に行われていることです。この面でも若さは強力な武器ということになるでしょうね。

 新しいということでは、日本初という遠心分離機も見せてもらいました。通常、酒を搾り出すのには袋に入れて、機械的に圧力を加えます。それをやると圧力で味が変わるそうで、そのため遠心分離機を導入して遠心力での搾り出しを採用したそうです。ただし、この方法では一度に大量の処理ができません。最高品種にのみ使っているようです。遠心分離機は私も技術屋のころ日常的に使っていましたけど、たぶん回転数は低いと思います。私たちが使っていた1万回転などの高速ではなく、数百から一千回転というところではないでしょうか。獺祭の美味さは2割3分という磨きにあると、拙HPで何度も書いてきましたが、この遠心分離も一役買っているのかもしれません。

 最後に玄関脇の、駄菓子屋のような小さな売店で驚きました。先月、招待された出版記念会のお祝いに、渋谷の東急で獺祭を求めたのですが、蔵元も東急も値段が同じでした。普通ではあり得ません。蔵元は安く、卸で上って、小売店でさらに上ってが一般的です。越乃寒梅が良い例で、蔵元で数千円のものが末端では一万円を超えてしまいます。
 同じ値段になるように働きかけをしているそうです。それでないと卸さないということなのかもしれません。ここにも蔵元の誠意を感じてしまいました。
 ともあれ驚きの連続。良い見学会でした。
旭酒造のHPに勝手にリンクしましたから、興味のある方は覗いてみてください。はっきりとしてポリシーが伝わると思います。



黒田佳子氏詩集『夜の鳥たち』
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2007.9.30 東京都中央区 銀の鈴社刊 2000円+税

<目次>
T 夜の鳥たち
ホラ貝の歌 8               夜の鳥たち 10
飛べない鳥たち 12             夜のひとりひとり 14
夜の並木道 16               夜の目覚め 20
駒留通りから上馬へ散歩 24         ともに歩むものがいる 26
透視 30                  言葉 32
進行方向 34                へそ 36
時が去っていく 40             壺・秋芳洞にて 44
台地・秋芳洞にて 48
U つむじ風
八月の終わりに 52             風が吹くよ 54
つむじ風 58                罠 60
幼い子のために 62             碧空 64
白い雲 66                 実験室 68
夏の夜の戸じまり 70            手術台から 74
開花前夜 76                コオロギ 78
秋の被写体 80               さびしい亀 84
アフガニスタン 86
V 水辺の輝き
水辺の輝き 90               微笑に包まれて 94
風景の中に 102
.              ハノイから思う 106
黒い花を求めて 110
.            明かりに惹かれて 116
火星が輝く年に 120
.            音 124
リンゴ 128
編集を終えて 福田美鈴 132
あとがき 134
表紙画 福田達夫   カット 湯沢悦木



 夜の鳥たち

年と共にね
静かに 疑り深くなっていくんだ
飛ばない夜の鳥たちのように

身体がもろくなるにつれて
誇りは鋼鉄のように固くなり
神経を鋭く研ぎ澄まさせてゆくのさ

知っているかい
昔の記憶に沈み込む時には
灰色の老人の瞳に灯がともって
先人の歩いた道さえ見えるということを

人類はいつか 進化のどこかで
風にのっては舞う鷲のように
空を飛んだことがあったにちがいないと
記憶の道すじで思うんだ

だから 今頃になってさえ
獲物をみつけて急降下する
そんな目眩の感覚が
あざやかに甦ってくるんだね

 第1詩集です。ご出版おめでとうございます。ここではタイトルポエムを紹介してみました。年をとると「飛ばない夜の鳥たちのように」「静かに 疑り深くなっていくんだ」という第1連にドキリとさせられます。続く第2連の「身体がもろくなるにつれて/誇りは鋼鉄のように固くな」るというフレーズも老人を言い得て妙です。老人の域に近づいている私にも自覚できるところです。第3連の「昔の記憶に沈み込む時には」「先人の歩いた道さえ見える」というのは、そのまま哲学と採ってよいかと思います。最終連の「目眩の感覚」は、「人類」のはるかな「記憶の道すじ」に由来するものでしょう。時間の処理に優れたスケールの大きな作品だと思いました。
 著者は井上靖氏のご息女。今年は井上靖生誕100年だそうで、記念すべき第1詩集となりました。生前は何度か詩集出版を勧めたという井上先生も喜んでいらっしゃると思います。



毛利真佐樹氏詩集『浮遊付着』
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2007.8.5 奈良県大和郡山市 鳥語社刊 2000円+税

<目次>
T
浮遊付着 8     若布爆裂地帯 18   青海苔飼育 26
海薀と藻屑 36
U
枯死追尾 40     幽霊占地パック 50
V
乾坤一躑「蕨」58   出没「後醍醐蕨」68  「深嶽薇」発進 76
W
土筆壊滅後余談 84  土筆泥棒 92     山蕗の薹 104
X
武闘植物派 120
.   雑草戦線 128.    ぎんなん栄養栄華 136
あとがき 144
装画 モダンアート協会 塩見 正



 浮遊付着

浅草海苔の成立はほとんど偶然であるが
同時にほとんどまったくの必然でもあると
熱田川と五十鈴川が合流する伊勢二見浦は今一色の河口で
海苔養殖を五十年も続けてきたナカムラさんはいう。
偶然が必然になるという
その辺りのところがどうもよく判らないがと聞くと
採苗室へ案内してくれた。
そこには一坪ほどの面積で一メートルくらいの深さの
水槽が二基あって
こちらの岸から水槽の向う側の岸に細い竿がわたされ
水面から十センチ以下の部分に六、七センチ刻みで
ビニールの紐に臓物を抜き取ったあとの
帆立の貝殻が靭帯を上にして何百個も吊りさげられていた。
これが殻胞子づけと呼ばれる海苔栽培のワン・ショットであり
胞子体生活環の一過程、そして配偶体への
さしかかりの一階段なのだ。

いってみればただそれだけのミニチュア海岸で
他には何も見当たらない採苗室
いや採苗小屋にすぎないのだが小屋には
ナカムラさんの海苔に賭ける執念が漲っている。
海苔づくりは十一月から翌三月にかけての野外養殖期のみならず
四月から既に始められており年がら年中、終りなき阿修羅だ。
週に一度、海水を水産試験場へ持っていって
植物プランクトンが
どのように伏在しているか
海苔の果胞子がどのように浮遊しているか。
交接はとどこおりなくおこなわれているか
相応しい水であるか
これら視認できないミクロと花のつかない胞子界への
熱い眼差し、凝視を傾けるナカムラさんは
海苔の交接を窃視しようとするもの数寄な
セクソロジストかもしれない。

天然ものに即していえば、冬が終わる頃になると
海苔は果胞子を形成してゆきだおれ、その形態をうしない
夏になると果胞子は糸状体に減数分裂して
貝の中などで暮らし秋になると胞子体となって胞子を吐き出し
雌胞子と雄胞子が交接しやがて葉状体の幼芽となって
冬に成長していく過程が解明されたのは一九四九年(昭和二四)
ある外国でのことだったが丁度、五十年前、そのきっかけは
黒々とした海苔が収穫できないので漁場を河口沖に
移動させたりするうち他の海草が混入している旨も判明し
さらにその海草を駆除する方法も考案されたことなどごたごたもあり
海苔は揺れ動きただよいつつ伊勢でも海苔づくりは敬遠された時期もあったともいう。
あらたな発見をバネにナカムラさんはひるまずつづけ
伊勢神宮を経由して流れる五十鈴川の清流と神宮が自身の
赤い熱血を守ってくれたと信じこんできたのだ。

ミニチュア海岸(水槽)の薄茶色の帆立貝が、薄紫色にほんのりと色づいてくると
幼い海苔が形成されたものとみてよいが
若い養殖業者は幼苗づくり、採苗を嫌いましてね
週に一度、およそ十立方メートルの海水半分、淡水半分の水を
汽水域で汲み取ってきて水槽に入れ替えなければならない
水は重い、まして栄養塩類ともなると重液ゆえに一層重く
軽四トラックで六回も七回も運搬しなければならない
はたしていい水が得られるか
果胞子がうようよしたものが汲み取れるか
あるいは果胞子や糸状体などの胞子体生活環である姿態や
葉状体になってからもそうだがこれらを死滅させない息詰まる
水はこびなど、あまりにつまらない、労働にみえない、やりたくない
還暦までやれるか還暦になれば辞めようと思っていたのだが
古希に近くなってしまったとナカムラさんは
陽焼けした顔を綻ばせて笑う。

海苔の幼芽は浮遊しながら男が女に付着したがり
ストーカーよろしくつけまわすように
何かに付着して成立するが
付着するもの=基物がなければ魚に食われたり死滅したり
なかなか、すんなりとはゆかない
海苔が成立する偶然とはこの辺のことをさし成立する必然とは
胞子無限で、かつまた交接無限で基物も無限であるとする含意なのだ。
もの=基物は漂流する毀れた船体の木片であってもよく、もとより竹の粗朶であってもかまわない
そして栄養塩類としての「もの」
河川の「みず」の量、遠い源流からの雨量なども
気怠くかかわってくるのが農にも林にも魚にも共通した宿痾だ。
かつて葉の落ちた二メートルにおよぶ真竹の粗朶
干潮にあわせてざぶざぶ汽水域にはいりこんで、打ち立てたものだったが
いまはクレモラとよばれる幅一二〇〇ミリ長さ十八メートルの化繊の網
耐用性に富むし軽くて丈夫なクレモラを杭に水平に縛りつける。
海苔は満干潮の間に成育するので水平の欠点もあるが
なんといっても立体のものに比べて面の強さはスリリングだ。

海苔はことほど左様におもろい成育過程をもつ植物で
あるときは菠薐草に似て陽をあび夜の闇を吸引し、闇に干しあげられ
栄養塩類に揉みしだかれ、あるときは冬の冷床におごそかにあまんじて冬眠せず
あくどく温床をはばんで、春眠も夏眠もむさぼるふりをするだけで杳渺と遊弋し
太陽と月の引力に順応して狐高にただよい
旅館の朝の食事に味噌汁とともにあらわれて
ちょっぴり潮騒をはこびこみかすかにひびく。
いま今一色では四十軒が海苔づくりをやっている
五十鈴川の真ん中から北っ側は、伊勢市の河川で大湊では脱海苔宣言をしてしまった。
浅蜊のほうが儲かるようだが、こやつ一二〇〇万円の乾燥機と
エンジン付きの二艘の船がいとしくてね
河口のハタケは組合が決め毎年移動するからみんなジプシーみたいだ。
一番茶がうまいのと一緒でなんといっても冬至芽が一番よい味で
二番目の寒の芽や三月三番目の馬鹿芽は駄目芽だねと
ナカムラさんはいう。

海苔の幼苗はクレモラのところどころに
帆立貝に付着したままの物も糸に胤づけした物も結わえつけられ
十一月、ようやく水槽から本ものの河口、汽水域に放たれ
浮遊、遊泳し本格的に成長を強めていくが
ナカムラさんのハタケにとどまらず逃げていく奴もあるであろう。
霞と靄でみえない北東の知多半島のように
海苔男の前途、杳としますます多難であり
漁業センサスは漁業従事者高齢化と漁場確保投資の
肥大化を告示してやまない。

  *栄養塩類=生物が正常な生活を営むために必要な塩類のこと(岩波生物学辞典)

 植物について書かれた詩集は、例えば花などで多く出版されていますが、この詩集は一味違います。まさに味=A食べられる植物を栽培や食品という観点から書かれた詩集で、おそらく日本唯一ではないかと思います。Tでは海草、Uは茸、Vは蕨という具合に、それぞれの食品の特性や栽培について、ちょっとハスに構えた視線が魅力です。
 紹介したのはタイトルポエムで、かつ巻頭作品です。海苔養殖の現在が生き生きと描かれながらも「若い養殖業者」がいなくなり、「儲かる」方に向かってしまう問題点も表出させています。
 この作品にはそれほどハスに構えた視線が出てきませんが、これ以降に生殖を絡めた作品が多く出てきます。おもしろいですよ。お薦めの一冊です。



隔月刊詩誌『叢生』152号
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2007.10.1 大阪府豊中市 島田陽子氏発行
400円

<目次>

ベンチ/原 和子 1            手紙の断片/藤谷恵一郎 2
女性/福岡公子 3             ヨダレなんか落ちてくるんや/麦 朝夫 4
白状するが/毛利真佐樹 5         夏日の誕生/八ッ口生子 6
ここに/山本 衞 7            守るもの/由良恵介 8
手から手のひらへ/吉川朔子 9       あだな/竜崎富次郎 10
五歳児の絵/秋野光子 11          水蜜桃/江口 節 12
花/姨嶋とし子 13             偕老/木下幸三 14
神戸山の手の下町から/佐山 啓 15     階段/島田陽子 16
お盆/下村和子 17             背広/曽我部昭美 18

本の時間 19                小径 20
編集後記 21                同人住所録・例会案内 22
表紙・題字 前原孝治            絵 森本良成



 階段/島田陽子

昇るときは
昇るということについて
心とからだを真剣に一致させる
ほかのことは考えない
上体をやや前傾し
かかとは宙に残したまま
一段ずつ数えながら昇ってゆく
リズムを崩さない
決してあせらない
急ぐひとはどうぞお先へ
ただし ぶつからないよう願います

降りるときは覚悟をきめる
断崖を見下ろし
必ず片手で手すりを握る
その手は何があっても離さず
ゆっくり片足を下ろす
膝に痛みのないときは交互に足を下ろすが
少しでも懸念のあるときは
一段ずつ両足をそろえてから
また次の下降を始める
決して急がない
降りる方が辛いのは人生と同じです

 最後の1行がよく効いています。私も60歳に手が届くようになって、人生も「降りる方」に入ったと思います。「決して急がない」でやっていきたいものです。
 加えて、晩節について考えてみました。晩節を汚さないということをです。閣僚などでも最後の最後に悪事が発覚して、自殺してしまった人がいますけど、そうはなりたくないですね。引き際の良さ、と言い換えてもよいかもしれません。そういう意味でも人生は「降りる方が辛い」のでしょう。「必ず片手で手すりを握」って、「一段ずつ両足をそろえてから」でもいいからゆっくりと行きたいものだと思いました。



季刊・詩と童謡『ぎんなん』62号
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2007.10.1 大阪府豊中市
島田陽子氏方・ぎんなんの会発行  400円

<目次>
おばけ こわい/青い空…むらせ ともこ 1
あいうえおはよう…もり・けん 2
トカゲのこども/チャリリーン(募金箱)…森山久美子 3
いくこ先生(1)/いくこ先生(2)…ゆうき あい 4
すすき道を通って…池田直恵 5
キキョウ/ツユ草/あさがお/秋のひまわり/ツワブキ/お茶の花/せいたかあわだち草/月見草…いたい せいいち 6
からす/かげ…井上良子 7
夏休み/こみゅにけいしょん…井村育子 8
居留守の日/正しいスイッチ…柿本香苗 9
果て…かわぞえ えいいち 10
「つ」/バカにしないで…小林育子 11
りん/握手…相良由貴子 12
ケータイ…島田陽子 13
かくれんぼ/日没…すぎもと れいこ 14
オランウータンのモモちゃん/なすび…冨岡みち 15
お母さん/わかってきたこと…富田栄子 16
走る犬/読みかけの本…中島和子 17
「にく」…中野たき子 18
鹿の鳴き声/西瓜とおじいさん…名古きよえ 19
ウミショウブの花/はびこる…畑中圭一 20
もうムリ/まほうびんのふた/きれい…藤本美智子 21
かんかん夏日の真っ昼間/オオタカのうた…前山敬子22
しんぱいだなあ/ぼくのわすれもの…松本純子 23
約束/眠り…萬里小路和美 24

本の散歩道…畑中圭一・島田陽子 25
かふぇてらす…池田直恵・柿本香苗・中野たき子 27
INFORMATION 28
あとがき 29
表紙デザイン 卯月まお



 なすび/冨岡みち

母さんにしかられて
ムシャクシャ クシャッてしてたんだ
―母さんなんか 大きらいだっ

だまって聞いていたおばあちゃんがね
―あっくん きてごらん って
二かいのベランダにつれてきた
おばあちゃん なすびとトマトを作ってる

なすびの苗にむらさき色の花がさいてた
―あのね 親のイケンとなすびの花は
 千に一つのむだがないって 知ってる
―どうゆうこと
―なすびの花はさいたら全部 実になるの
―ふーん 
ヽヽヽ
―母さんのこごともよ

そして おばあちゃんは
―トマトが元気がなくて 心配
と 言った

 「親のイケンとなすびの花は/千に一つのむだがない」という格言は昔聞いたことがありますけど、今は聞かれなくなりましたね。子供の頃は、そういう分別臭そうな大人は好きではなかったのですが、今にして思うと貴重だったのかもしれません。格言も言わない、知らなくて言えない私たち大人が現在の様々な問題の元凶なのかな、と思うこの頃です。
 最終連の「―トマトが元気がなくて 心配」というフレーズは「二かいのベランダ」のことですが、叱られた子の象徴のようにも思いました。



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