きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.9.9 東京・浅草




2007.10.15(月)


 小田原地方でぶらり訪ね歩き≠ネどをやっている「木ごころの会」というグループがあって、誘われて初めて参加してみました。毎年春秋にそんな活動をしているようで、今回は「秋の野草とススキ原」と銘打ち、箱根湿生花園と仙石原台ヶ岳ススキ草原の散策でした。17名がクルマ5台に分乗しての、ちょっとしたドライブ。何とか機会を作っては運転したい私も、率先してクルマを出して、秋の箱根路を楽しみました。

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 写真は箱根湿生花園にて。花を撮る目的でマクロレンズしか持って行きませんでしたので、それで撮っていますから、ちょっと無理がありましたけど、まあ何とか見られるかな。冬枯れ間近の水辺で、ふと足を止めて語らう女性お二人。やはり華がありますね。
 箱根湿生花園の東屋で昼食を摂って、そのあとは仙石原台ヶ岳ススキ草原に繰り出しました。まだ青いところがあって、時期的にはちょっと早かったようですが、久しぶりにススキ原の真っ只中に入って爽快でした。ここを訪れるのは何十年ぶりだろ? おそらく20年ぶりぐらいだろうと思います。ちょっとしたハイキング気分も味わって、のんびりさせてもらいました。

 お酒を呑むわけではなく、夕方には帰宅という健全≠ネ遊びですけど、たまにはいいものだなと思います。ヒトが集まると酒びたり、という悪い癖が修正されそうです(^^; 誘ってくれた皆さん、お世話して下さった幹事の皆さん、ありがとうございました。次回も楽しみにしています。



都月次郎氏詩集『くらやみの猫』
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2007.10.15 東京都中央区 OFFICE KON刊 1500円

<目次>

生きもの 10                さびしい 12
るすばん 15                サンマ半分 16
袋を開ける 18               潮どき 20
物語り 23                 九十九里の猫 24
傷つける 28                ミョウガの味 30
もうない匂い 35              神津島のおやじ 36
空 40                   ホームセンター 41
泡 42                   枯れる 43
言葉
幸福の条件 46               赤い口 78
ホコリ 51                 花の名前 52
夕陽のかけら 54              陽に当たれば 58
傷跡の空 60                ペちゃんこ 63
朝ぐらぐら 64               笑顔で行こう 66
猫のように
くらいところでは 70            猫の策略  72
詩の書き方 73               猫ぶら下げて 74
猫かぶり 76                猫と電子レンジ 78
猫は猫なり 81               猫の侵略 82
夜の鉄塔
冬の訪問者 86               冬の子守歌 88
よるの音 90                夜の子守歌 92
風を見る  94

くらやみの言葉たち 一九九九 98      くらやみの言葉たち 二〇〇〇 100
くらやみの言葉たち 二〇〇二 102
.     くらやみの言葉たち 二〇〇三 112
くらやみの言葉たち 二〇〇四 120
都月次郎の詩・近野十志夫 126
あとがき 129
.               イラスト・倉橋達治 装丁・近野十志夫



 袋を開ける

一つずつ袋に入ったせんべいを開けるとき
おふくろは小さなハサミを使った。
センベイも手で開けられないのか。
若いぼくは哀れに思い
手で開けられなくなったら
自分は死のうとそのとき決めた。

ハサミどころか
箸もうまく使えなくなり
布団より軽くなっておふくろは死んだ。

老眼鏡のほしい歳になって
ぼくも手で開けられない袋がある。
開けられなければハサミを使えばいい
ハサミも使えなければ
開けてもらえばいい。
それでも生きていたほうが良かったと
いま おふくろの写真に話しかける。

 8年ぶりの第3詩集だそうです。著者は猫好きのようで、猫に関するおもしろい作品がたくさん載っていましたが、ここではもう一つのテーマと思われる肉親を扱った詩を紹介してみました。若いときに感じたことがトシを取ると変わるのは当然のことでしょうが、「ハサミも使えなければ/開けてもらえばいい。」とまで居直るところはさすがです。そうやって回りにいっぱい迷惑をかけながらでも、「それでも生きていたほうが良かったと」回りの人たちは思ってくれるでしょうし、自分もそう感じるものだと思います。これは「若いぼく」では考えられないことでしょうね。「いま おふくろの写真に話しかける。」ことが痛いほど伝わってくる作品です。



詩誌SPACE76号
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2007.11.1 高知県高知市
大家氏方・SPACEの会発行 非売品

<目次>

初秋/あきかわ真夕 2           モニュメント/葛原りょう 4
目薬/葛原りょう 6            十五夜/かわじまさよ 8
風鈴/いずみしづ 10            台所詩(14)/中上哲夫 12
思い出の/中口秀樹 13
 §
雲の間に間の恥かしさ/豊原清明 30     ヒポクラテスの肖像/南原充士 32
ブランコ/山川久三 36           日々/内田紀久子 38
処暑/山崎詩織 42             査然の道/さかいたもつ 44
回り灯籠の絵のように(2)/澤田智惠 46
 §
黒い太陽/ヤマモトリツコ 70        荊/ヤマモトリツコ 71
たかまっていく/近澤有孝 73        お赤飯/秋田律子 76
コメディエンヌ/秋田律子 77        おばあちゃん先生へ/秋田律子 78
届いている/弘井 正 80          五丁目電停札所/萱野笛子 83
山峡を行く/山下千恵子 86         翻訳/大家正志 87
蕪村句を読む/指田 一 90

詩記 山崎詩織 40
エッセイ
スリットドラム/山沖素子 26        やってきたクサギ/さたけまさえ 28
タンポポ農園雑記U/片岡千歳 29
【朗読と音の器】齋藤友彦 16
リレーシナリオ 大家正志 18・22      豊原清明 20・24
評論 
連載\『<個我意識と詩>の様相』〜日本人の自我意識と詩(9)〜/内田収省 52
編集雑記・大家 92
表紙写真 無題・指田一 (70×40×30) 枝、着物地ほか



 台所詩(14)/中上哲夫

とんとん俎板をうつ音と
かさかさ紙がこすれ合う音

ふたたび穴から這い出すと
世界には光と食物の匂いがあふれていて
寝間着のまま茶の間に入っていくと
料理が並べられた卓袱台を囲んで
母と兄と妹と弟とが
しきりに箸と口とを動かしていた
父の席にはめずらしく父がすわっていたけれども
料理には手をつけず
ひろげた新聞に顔を突っ込んでいた

裏庭で鶏が大声で鳴いた
蝉時雨がふりしきっていた

(きっと、死の間際に思い出す風景)

 「きっと、死の間際に思い出す風景」というのは、こういうものだろうなと思います。「とんとん俎板をうつ音」と「卓袱台」に、私たちの子供の頃の朝の風景が甦ります。「ふたたび穴から這い出すと」、つまり起き出すと「世界には光と食物の匂いがあふれてい」た。世界≠ネんて大袈裟な、なんて思いません。蒲団から抜け出すと、そこはもう世界≠セったのです。子供の頃の感覚をうまく掴んでいると思います。最終連を( )に入れたのも良いですね。あまり大きな声では言えないけど…、という風に感じ取れました。



詩誌『鳥』49号
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2007.10.10 京都市右京区
洛西書院・土田英雄氏発行 500円

<目次>
土田英雄/白昼夢 2            中東ゆうき/境界線 4
中東ゆうき/向日葵 6           植木容子/にっぽんの夏 8
エッセイ 旅の事件簿/植木容子 11
竹山 香/現代的若者哀歌 12        岩田福次郎/飴ニモマケズ 18
岩田福次郎/雨ニモマケズ 20
エッセイ 白衣の大文字/岩田福次郎 23
元原孝司/顔 24              元原孝司/飛び込み 26
元原孝司/車窓 27             佐倉義信/宮脇昭著『鎮守の森』からのメッセージ 28
エッセイ 我が「読書ノート」抄/佐倉義信 33
なす・こういち/暗闇にライトを向けて 34  なす・こういち/ある結末 36
エッセイ
記憶に帰るための7年間/なす・こういち 39
美術館で「見る」ということ/内部恵子 40
作家の自殺を考える 川端康成(前)/鬼頭陞明 44
セミドキュメンタリー「2007年激暑激写」/土田英雄 48
表紙・カット 田辺守人



 暗闇にライトを向けて/なす・こういち

彼岸花のように乱れて
赤い顔を光らせ
人々が並んでいる

やがてホームに
終発の電車が入ってくる

乗り込むと
ふっと
安らかなまとまりに
なる

風に吹かれ
帰る先は
それぞれに違うが
方向は なぜか
一つ

 最終連が良く効いていると思います。確かに、1本の「終発の電車」に乗り込むと、「帰る先は/それぞれに違うが/方向は なぜか/一つ」になりますね。途中の駅で人々は降りていくわけですけど、終点までは同じ方向です。あまりにも判りきったことで、普段は気にもしていませんでしたが、改めてこう書かれると不思議な思いに捉われます。終電に「乗り込むと/ふっと/安らかなまとまりに/なる」というフレーズも良いですね。「安らかなまとまり」という感覚に作者の豊かな人間性を見る思いです。



個人通信『萌』21号
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2007.秋 山形県山形市 伊藤啓子氏発行 非売品

<目次>
姫沼伝説       海岸通り・秋     迷い鳥



 迷い鳥

見慣れない白い鳥が
畑を行ったり来たり
羽を痛めているのか
飛ばずに つつぅと歩いている

普段なら視線をそらすのに
あんまり弱々しそうにしているから
つい目で追ってしまう
手入れの悪いぼうぼうの畑だけど
みみずもいるよ
なめくじもいるよ
どうぞ なんでも食べて
早く元気になって飛んでいって

三日もすると
ふらふら低空飛行をはじめ
夕方には飛び立っていった
いまも畑に出ると
つい あの鳥を探してしまう

気づいていた?
亡きがらを見たくない
死ぬなら別のところにして
そればっかり願っていた
鳥ぎらいの
つめたい眼差し

 「どうぞ なんでも食べて/早く元気になって飛んでいって」というのですから、気持のやさしい人なのだなと思いましたら、なんと「鳥ぎらい」だったのですね。作者が現実にそうなのかどうかは別にして、意表を突かれました。確かに、鳥が可哀想だ、だけでは詩になりませんからね。見事です。第2連の「視線をそらす」と、最終連の「つめたい眼差し」もうまく対応していると思いました。



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