きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.9.9 東京・浅草




2007.10.20(土)


 午前10時から、日本詩人クラブのオンライン現代詩作品研究会を開始しました。メーリングリストを使っての研究会です。作品提出は9名9作品。いつもより少なめですが、それだけ議論が深まれば良いなと思っています。明朝10時までの24時間、参加者の皆さまの活発なご意見をお待ちしています。



大塚欽一氏著
『美神に木乃伊れた詩人たち[U]』
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2007.8.31 茨城県水戸市 風樹社刊 1143円+税

<目次>
序にかえて 3
早すぎた天才詩人・トマス・チャタトン(一七五二〜一七七〇) 9
断頭台の露と消えた抒情詩人・シェニエ(一七六二〜一七九四) 23
デーモンと刺し違えた詩人バイロンの憂鬱(一七八八〜一八二四) 37
革命的情熱の詩人・シェリー(一七九二〜一八二二) 51
美神に魅入られた詩人・キーツ (一七九五〜一八二一) 65
永遠の青春の代弁者・ハイネ(一七九七〜一八五六) 81
ロシアの偉大な国民詩人・プーシキン(一七九九〜一八三七) 95
プーシキンを継ぐ者・レールモントフ(一八一四〜一八四一) 109
何ものにも縛られない詩魂・エミリー・ブロンテ(一八一八〜一八四八) 123
偉大な紙ばさみ詩人ディキンスンの生き方(一八三〇〜一八八六) 137
倦怠と厭世の詩人・ラフォルグ(一八六〇〜一八八七) 151
奇行と挫折の幻視者・カンパーナ(一八八五〜一九三二) 167
ラーゲリに消えた詩人・マンデリシュターム(一八九一〜一九三八) 177
不死鳥の抒情詩人・ツヴェターエワ(一八九二〜一九四一) 193
謀殺(?)されたマヤコフスキーの栄光と挫折(一八九三〜一九三〇) 205
スペインの魂を詠った詩人・ロルカ(一八九八〜一九三六) 219
死のかなたに、永遠の相を求めた現代詩人・ディラン・トマス(一九一四〜一九五三) 233
主な参考文献 247
後書 251



 それならばキーツの詩業を支えて来た思想とは何なのだろうか。「想像力が美として捉えたものは、真実にちがいありません。それが以前から存在していようと、いなかろうと。というのは、情熱は愛と同じもので、それがまったく崇高なものになると、本質的な美を創造することになると思うのです。」(一八一七年、ベイリーヘの手紙)と述べているが、彼は詩的想像力によって存在そのものの中に高い思想性を見ようとする。すなわち新鮮さ、珍しさ、堂々さ、あるいは荘厳、神聖を。それらは〈すべての物の創造主に達して熱烈な囁きの中に消えてゆく〉(「睡眠と詩」)。それゆえ彼は〈赫々と燃える壮麗な太陽やあらゆる雲のかたちをかつて眺め偉大な神の姿をはっきりと悟り心が清らかになるのを感じた人は、わたしが何を言っているのかわかり、あるいはまた生き甲斐をも感じよう〉と詠う。

 疑いもなくここには一貫したロマン主義的思想がある。そこでは質的に高められていく自己反省によって、より高次の自己実現が計られ、そして究極の所、絶対的存在に吸収され同化されていく。明らかに彼の求める〈美〉のかなたには〈神〉がいるのである。そしてその高次の自己反省から現実を見つめる時に、〈消極的受容力〉と呼ばれるカトリック的受容・受苦の思想が生まれたのである。

 彼は一八一八年のレノルズヘの手紙で「ぼくたちも蜜蜂のように忙しく飛びまわって、蜜を集めるようなことをしないようにしよう。到達すべきものを知ろうとして、いろいろとあちこち飛びまわるようなことをしないようにしよう。花のように花びらを開き、受身で受容することにしよう」と述べているが、〈消極的受容力〉とはこの悲惨で不条理な現実にあっても〈不確実とか不可解とか疑惑の中においても、事実や原因を究明していらいらすることがない状態〉(弟への手紙、一八一七)を指す。それは死の不安の中で〈……この広い世界の岸辺にただ独り立って、愛も名声も無となって沈み行くまでわたしはもの思う〉という時の「自己滅却の精神」や、〈詩人というものは、この世に存在するものの中で、いちばん詩的でないものです〉と言う時の「詩人の非個性論」、そして無思想の幼児の部屋の奥に、暗い廊下に通じる処女思想の部屋――光と愉しい驚異と永遠の悦楽に満ちているようだが同時に悲惨と失望と病苦と抑圧に満ちた ――があって、そこで秘儀の重荷を感じるという現実認識「人生多室説」などを包摂している。彼のこの現実認識こそが、彼の〈消極的受容力〉というロマン主義思想を支えているのである。

 わびしい夜のように暗い十二月/幸せなあまりに幸せな小川よ/おまえのせせらぎはアポロの夏の日差しを/なにひとつ憶えていない。/でも快い忘却のなかで/せせらぎは水晶の波立ちを凍らせたまま、/氷結の季節に決して決して/不幸をこぼさないでいる。(「佗びしい夜のように暗い十二月」 一八一八)

 彼にとってアポロは崇高な美の象徴である。苦悩と不安と焦燥の中で、過酷な現実に〈不幸をこぼさないで〉じっと耐える彼の〈消極的受容力〉のこれは見事な詩化である。

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 5年前に出版された
『美神に木乃伊れた詩人たち(1)』に続く詩論集で、今回は夭折した詩人を中心にまとめたと「後書」にあります。紹介したのは「美神に魅入られた詩人・キーツ」の部分ですが、キーツの「消極的受容力」が解説されていて大変参考になりました。「自己滅却の精神」や「詩人の非個性論」などは現代でもそのまま採用できるように思います。特に〈詩人というものは、この世に存在するものの中で、いちばん詩的でないものです〉という言葉には瞠目させられます。
 正直なところ、ここで紹介されている詩人のうち、名前さえ知らなかった人は半数を数えます。不勉強を恥じるばかりですが、そういう面でも良い切っ掛けを与えられたと思っています。入門書としては高度な内容ですので、ある程度勉強してきた人には参考になる本だと云えましょう。詩人論の一つも書けないようでは、本来の詩人とは言えないのかもしれません。刺激を与えられました。



詩誌『撃竹』66号
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2007.9.30 岐阜県養老郡養老町
冨長覚梁氏方発行所  非売品

<目次>
永らえて…掘 昌善 2           バッタと女流画家…掘 昌善 4
母…前原正治 6              地球…前原正治 9
蝉の抜け殻を自転車の籠に入れて坂道を駆け上がった夏…石井真也子 10
昨今…若原 清 14             まぼろしの縄文杉…若原 清 16
体外離脱…斎藤 央 18           抜け殻の村…頼圭二郎 20
わが晴れ着は…中谷順子 22         茜色の黄昏に…中谷順子 24
蝿…北畑光男 26              夜の河…冨長覚梁 30
野の海のうねり…冨長覚梁 32        撃竹春秋…34



 昨今/若原 清

ほんとうは これから
と言うときに
もういい と
離れる

あれは いつのことだったか

むかしは
ティッシュなどなくて
さくら紙といった

へばりつく
へたりつく
ながいみちのり
だった

打てもしないくせに
あの しびれる
感触をよびおこし

……でもないのに

また
バットの素振りなど
してみせる

 この作品はある程度の年齢にならないと分からないかもしれませんね。しかも女性では実感がないでしょう。一定の年齢に達した男性のみが分かる作品と言ってよいと思います。もちろん私は分かりますし実感もあります。男性の衰えというのは止むを得ないものですが、こう書かれるとユーモアがあって救われた思いをします。そして、男性性というものは肉体的なものばかりではなく精神的なものにもあるのだ、と言ってみたくなりますね。楽しんで拝読しましたが、ちょっと寂しくもありました。



個人誌『風都市』17号
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2007秋 岡山県倉敷市 瀬崎祐氏発行
非売品

<目次>
砂丘物語…瀬崎 祐
駅にて…中井ひさ子
水門のあたりで…瀬崎 祐
写真・挿画・装丁 磯村宇根瀬



 駅にて/中井ひさ子

真昼の大久保駅に
うつむいた陽がおりてくる

ベンチに座って線路の向こうの
大日本図書の看板を見上げる

三日前から
肋骨にぶら下がっている
センテンスがあぶり出され
ひらひらしてうっとうしい

シャッシャッシャッ 音と共に
階段を上ってきた
ジャガーの影が視野に入る

目を合わせてはいけない

それにしても
猫に似ているなと思った
とたん
「なに!」と 鋭い牙
「えっ なにも」 あわてて下を向く

また見つめてしまったんだな
所在無く風を受けながら
ポケットの小銭を財布に入れる

「落ちたよ」
乾いた声を残し
止まった電車の一両目にヒラリ

「ありがとう」 と
十円玉を拾い二両目に

阿佐ヶ谷駅で降り 振り返ったら
ちぎれた景色の中に電車は消えていった

 今号の寄稿者・中井ひさ子さんの作品を紹介してみました。中央線「大久保駅」から「阿佐ヶ谷駅」、「線路の向こうの/大日本図書の看板」という日常の具体の中に訪れた非日常。第1連の「うつむいた陽がおけてくる」というフレーズから妖しい世界です。「ジャガー」は「猫」と採ってもよいでしょうが、そのままジャガーとした方が作品を破綻させない読み方だと思います。あくまでも非日常の世界がテーマですから…。

 作者の意図とは離れると思いますが、作中人物の人間像がよく出ている作品でもあります。「三日前から/肋骨にぶら下がっている」詩の「センテンス」を考え、「あわてて下を向く」従順さがあり、「ポケットの小銭を財布に入れる」几帳面さもあります。そこには善良な市民としての姿勢が感じられますが、それこそが作者が壊したいと思っているものなのかもしれません。壊す具体としての非日常…。そこまで読むのは読みすぎかもしれませんね。「振り返ったら/ちぎれた景色の中に電車は消えていった」余韻を楽しむ作品だとも思います。



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