きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.9.9 東京・浅草




2007.10.29(月)


 昨日の神奈川新聞に私の記事が出ていました。横浜詩人会賞を受けるにあたってインタビューされた時のものです。文化欄に写真入り5段抜きの記事で、こんなに大きく新聞で書かれたことはたぶん初めてだと思います。

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 著作権の問題もありますので、あえて文字は読めないように転載させてもらいましたが、担当の桐生記者の好意的な記事に感謝しています。私の好きな獺祭という日本酒にかこつけたクダラナイ話だったんですが、まるで見違えるような文章になっていて、さすがはプロだなと驚いています。機会のある方はご覧になってくださると嬉しいです。神奈川新聞社さん、桐生さん、ありがとうございました!



アンソロジー『ポエム横浜』'07
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2007.10.14 横浜市西区 横浜詩誌交流会刊 1200円+税

<目次>
記念写真 浅野章子(青い階段)…6      魚
(うお)の目 新井知次(獣)…8
記憶 荒波剛(横浜詩人会議)…10       男・女・香・花 石原妙子(地下水)…12
鳥になって いむらようこ(横浜詩人会議)…14 隣の猫は何をする猫 いわたとしこ(象)…16
神曲「現代の」あけぼの 植木肖太郎(詩のパンフ)18 インスピレーション うめだけんさく(伏流水)…20
九塞溝 小沢千恵(青い階段)…22       手と手が 加瀬昭(象)…24
初夏 方喰あい子(地下水)…26        浦上天主堂幻景 木村和(紙碑)…28
朧なる道 木村雅美(地下水)…30       縁日 小林妙子(地下水)…32
皿 坂多瑩子(青い階段)…34         妖桜−ミニ詩劇− 坂本くにを(地下水)…36
誤差 佐藤裕(象)…38            南十字星 志崎純(掌)…40
伊勢ブラ 篠原あや(象)…42         電車の窓から 進藤いつ子(よこはま野火)…44
無辺の眼 菅野眞砂(よこはま野火)…46    いい気分なのは、どちら? 鈴木どるかす(青い階段)…48
大きく立派な丸木舟 高橋みよ子(地下水)…50 微笑みさがし 谷内庄司(地下水)…52
脛 田村くみこ(じゅ・げ・む)…54      鳶よ 池子の森よ 鳶恒二(横浜詩人会議)…56
つるもどき 西村富技(アル)…58       春の夢 林柚維(地下水)…60
夜の闇の中で 馬場時世(よこはま野火)…62  今昔の信長 半澤昇(掌)…64
一枚の写真 はんだゆきこ(よこはま野火)…66 家U 廣野弘子(青い階段)…68
ウーウー ヂャンヂャン 府川清(横浜詩人会議)…70   表札 福井すみ代(青い階段)…72
教師最後の年 古久保和美(横浜詩人会議)…74 砂丘 保高一夫(地下水)…76
鉛筆<他三編> 堀井勉(掌)…78        欲しいものは 真島泰子(よこはま野火)…80
鏡 松岡孝治(よこはま野火)…82       国道十六号線 宮崎聡(地下水)…84
梅ジャム作りの頃 森口祥子(青い階段)…86  帰郷 林
(リン)(ウェンボー)(じゅ・げ・む)…88
赤レンガ倉庫 米原幸雄(横浜詩人会議)…90
▽加盟誌プロフィール            ▽横浜詩誌交流会二年間の歩み
▽執筆者一覧                ▽ミニアルバム
▽思い出のアルバム             ▽ポエム横浜バックナンバー
▽横浜詩誌交流会講演一覧          ▽横浜市詩誌交流会役員一覧
▽あとがき
<表紙デザイン>今井喜久麿 <表紙絵>津島亜喜



 記念写真/浅野章子

シャッター商店街の映像が写されている
古い商店が閉店してゆく
さみしい風景だ

遠い記憶の中に
ガラス戸ごしに古びたカーテンを引いた
売る物のない商店街が浮かんできた
中心街からは離れていたが
ただ一軒だけ開いていた処があった
写真館「大正」だった
戦争も末期のころ
女学生だった私達はよく写真を撮りにいった
(必勝)と染め抜かれた鉢巻きをしめた一枚
なぜか四人が同じ所を見ていない

両側の二人は爆死した
私の手元には 少女のままの
数枚の写真が まだ残されている

記念写真は旅の写真がいい
青い海や青い空
白い雲が浮かんでいればなおいい
広々とした高原がいい
そんな風景のなかに彼女たちを映したい

         八月十五日が来ると

 横浜市内で発行されている詩誌の集まりとして
横浜詩誌交流会というグループがあります。市単位では全国的にも珍しい組織ではないかと思います。目次のお名前の次の( )は所属詩誌を表します。2年に一度アンソロジーを刊行して30年、今回は15号ということでした。
 紹介した作品は現代の「シャッター商店街」と「戦争も末期のころ」の「売る物のない商店街」がうまく対比されています。しかし「戦争も末期のころ/女学生だった私達はよく写真を撮りにいった」のですが、それは「(必勝)と染め抜かれた鉢巻きをしめた一枚」。しかも「両側の二人は爆死し」ています。最終連の「記念写真は旅の写真がいい」、「そんな風景のなかに彼女たちを映したい」というフレーズは作者の実感でしょう。そこが現代と繋がらないことを祈るのみです。
 このアンソロジーは五十音順ですから、紹介した詩が巻頭作品として意識して載せられたわけではないでしょうが、巻頭を飾るにふさわしい作品だったと思います。



季刊詩誌『新怪魚』105号
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2007.10.1 和歌山県和歌山市
くりすたきじ氏方・新怪魚の会発行 500円

<目次>
 林 一晶(2)オトコを下げる男の話       寺中ゆり(5)ランボーの詩
(うた)
五十嵐節子(6)夏のこども            山田 博(8)忘れる
曽我部昭美(9)空                水間敦隆(10)宴
 前河正子(12)白日の闇           佐々木佳容子(14)八月の夕暮れ
 岡本光明(16)時間(秋)            上田 清(18)水の歴史(二十七)
中川たつ子(20)きゅるりきゅるり       くりすたきじ(22)朝の日記 2007夏
     (25)編集後記
表紙イラスト/くりすたきじ



 忘れる/山田 博

服には
ポケットがあるのが
あたりまえのようだが
ぼくにも
忘れるというポケットが
あたりまえのように
つくようになった
胸のあたりだが
そのポケットの数が
だんだん増えてゆくのだ
心臓のあたりに一つ
胃の上に一つ
肋骨の両側に一つづつ
肺には二つ
何だか切なくなってきた
真白なポケットだらけの衣装
何とか装束というやつ
かもしれない

 「何とか装束というやつ」は「真白なポケットだらけの衣装」ですから死装束と採ってよいでしょう。死に至る前に「忘れるというポケットが/あたりまえのように/つくようになっ」て、「そのポケットの数が/だんだん増えてゆく」のは痴呆を表していると思います。ものの本によれば、痴呆は死の恐怖への麻酔のようなものらしいので、それはそれで許容しなければいけないのかもしれません。しかしそれにしても、このように書かれた作品には初めて出会いました。ちょっと考えさせられるところはありますが、おもしろい見方です。



詩誌『環』126号
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2007.10.30 名古屋市守山区
若山紀子氏方・「環」の会発行 500円

<目次>
神谷鮎美/みけねこ 2           菱田ゑつ子/やさしいものたちのこえがきこえる 4
さとうますみ/海図 6           東山かつこ/はるかへ 8
加藤栄子/さらさらのさら 10        高梨由利江/待つ 12
若山紀子/眠らない夜 14          安井さとし/寡黙 17
<かふぇてらす> 菱田ゑつ子 さとうますみ 神谷鮎美 加藤栄子 安井さとし 20
<あとがき> 若山紀子 24
表紙絵 上杉孝行



 海図/さとうますみ

木組の格子にいくつかの小さな貝殻を結び
細い竹を何本か不規則に結びつけている
何のオブジェだろう 展覧会場で立ち止まった

小さな貝殻はミクロネシアの島々
しなやかな竹は 音立てて流れる海流
それは 文字を持たない人々が作った海図だった

あたたかい潮 寒い潮 黒い潮 青い潮
海はすさまじいエネルギーがひしめき合う水のるつぼ
三角帆を張ったカヌーをあやつり流れに乗れば
羅針盤がなくてもどこまでも行ける
流れてゆくことと流されることはちがうよ
昼は飛ぶ鳥に水の道を教えられ雲のかたちや色を読み
夜は明るい星を読み
カヌーは波間を飛ぶように進むのだ
水は乗りこなすものだよ

漁は投げ網 しかけ網 追い込み 素もぐり いろいろあって
捕れた魚は等分に分け合う 弱いものにももらえるよ
白い貝殻の島々は宝石のように小さい
涼しい風になって水の声を聴きに行こう

  おまえの父祖はたくみに木舟をあやつり
  迫り来る嵐の先端からきわどくのがれることができた
  おまえの叔父は素もぐりで魚を突くのが誰よりも上手だった
  おまえは潮風に病気を癒された
  おまえも流れてきた一本の海草だよ

そうだった わたしも海の末裔だった
毎年ふるさとに帰るフェリーのベッドで その年のその夜の波に揺られ
潮の香に抱かれて眠る不安定をやすらぎとして
一年の生活の区切りをつけてきた
眠りながら聴いていた 遥かな潮鳴り

大丈夫 流れきて流れゆく者たちの不安を
漕ぎ渡った人々 その日焼けした腕に
きっとつながっているから

 「ミクロネシア」の「文字を持たない人々が作った海図」に驚きます。文字がなくても人間は「小さな貝殻」と「しなやかな竹」で「島々」と「海流」の「海図」を作ってしまうのですね。知恵というものの素晴らしさに改めて感動しました。そこから刺激された作者の「わたしも海の末裔だった」という言葉に安堵を覚えます。自分の出自が何であるかを知る安心感が伝わってきて、読者の私も同化してしまいます。海は「流れきて流れゆく者たちの不安を/漕ぎ渡った人々」に「つながっている」だけでなく、全ての人につながっているのかもしれません。



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