きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.9.9 東京・浅草




2007.10.31(水)


 10月最後の日記を12月1日に書いています。あーぁ、とうとう1ヶ月遅れが解消できませんでした。嘆いていてもコトは進みませんから、コツコツと読んで書くだけですけど、礼状が遅れていて、本当にすみません。今日も一日、がんばって拝読します!



詩と評論『惟』創刊号
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2007.10.24 神戸市須磨区
紫野京子氏編集・月草舎発行 非売品

<目次>
<詩>
雨宮テイコ/夏の言葉 1  楠の若い枝 3
古田嘉彦/言葉 6
朝倉 勇/ある日の芭蕉 8
紫野京子/空を飛ぶ蛇 11  船出 12  堕天使のように 13
<評論> 紫野京子 風の起こる処 16
la petite pensee 41



 船出/紫野京子

霧が晴れるのを
待たないことにした
重いかたまりを 風船のように
空に放り投げる

絶望 という二文字
世界がまっしぐらに 突き進んでいく破壊

知らない間にどこかにあたって
青黒く色が変わった脛が
何だか世界地図のように見えてくる

不安と 懐疑の塊のように
羅針盤の針が小刻みに震える
二千五百年前に漂着した無人島に向かって
再び 舵を取る

 紫野京子さんが発行していた良質な詩誌『貝の火』が16号で終刊になったのは、今年の3月。その後継誌ともいうべき詩誌の創刊号です。ご創刊おめでとうございます。長く続くことだけが良いことかどうかは判りませんが、紫野さんが納得いくまで続けられることを願っています。
 紹介した作品は本誌の船出≠喩えているわけではないと思いますが、やはりその意識で読んでしまいます。「霧が晴れるのを/待たないことにし」て船出した本誌は、決して前途洋々としたものと捉えているわけではないようです。「絶望 という二文字」があり、「不安と 懐疑の塊のよう」でもあります。文学とは本来そういうものなのでしょう。しかし目標はあります。たとえ「二千五百年前に漂着した無人島」であっても、そこは文学者が回帰する処。それがあればこそ続けられるのではないかと思っています。今後のますますの深化を祈念しています。



詩誌『青芽』546号
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2007.11.5 北海道旭川市
青い芽文芸社・富田正一氏発行 700円

<目次>
作品――
文梨政幸/リァリズムへの道 4       佐藤 武/長崎で 他 6
吉村 瞳/残された一つの課題 7      森内 伝/ふうせん 8
本田初美/記憶 9             沓澤章俊/工場風景 10
四釜正子/センテナリアン 11        浅田 隆/レブンアツモリソウ 他 12
宮沢 一/キョウセイか? 他 14      堂端英子/雨宿り 15
菅原みえ子/雪や雪 16           佐藤潤子/プリズム 他 17
武田典子/月星海 18            荻野久子/集う 19
◇詩集『ニオ』(荻野久子)を読んで/山本 丞 20
◇小森幸子詩集「くもり時々雨」を読む/文梨政幸 22
◇詩見・時言・私見
村田耕作 24 文梨政幸 25 小林 実 25 佐藤 武 27 佐藤勝信 28 浅田 隆 29
四釜正子 30 山田郁子 30 堂端英子 31 千秋 薫 32 沓澤章俊 33 本田初美 34
倉橋 収 35 荻野久子 36 小森幸子 37 富田正一 37
作品――
横田洋子/途中 40             小森幸子/妖怪人間 41
倉橋 収/秋彩・風飛び立つ 他 42      小林 実/わが日がな一日とその果て 43
千秋 薫/祖父と孫・じゃがいも 44     能條伸樹/五年目の厄 45
オカダシゲル/雪虫ですか 46        現 天夫/国民の審判 他 47
仲筋哲夫/孫悟空への道 50         岩渕芳晴/慢性グウタラ症候熱 他 51
村田耕作/神の御手 他 52         富田正一/たよりないタヨリ 他 54
◇荻野・小森両詩集出版祝賀会報告記/四釜正子 38
◇連載
青芽群像再見 第六回/冬城展生 59     青芽60年こぼれ話(3)/富田正一 64
青芽プロムナード 56            寄贈新刊詩集紹介 56
告知 57・58・67              寄贈誌深謝 67
目でみるメモワール 68           編集後記 72
表紙題字 富田いづみ
表 紙 画 文梨政幸
扉・写真 富田正一



 じゃがいも/千秋 薫

いもを掘る
いもを拾う
集めて運んで選別して
いもの行く末が決まる瞬間だ
丸くて中位の大きさのいも達が
ていねいに箱詰めされる
大きすぎ 小さすぎ 変形は
大きな袋に投げ入れられる

人の人生と一緒だ
同じ箱詰めでも
ABCとランク付けされ
袋に入ったらクズとして澱粉工場行き

ひとつとして同じいもはないのに
最後は見た目で一派ひとからげ
むなしさも共に詰めて出荷しょう

 「じゃがいも」を「出荷」する側の立場で書かれた作品ですが、「ひとつとして同じいもはないのに/最後は見た目で一派ひとからげ」にしてしまわなければならない「むなしさ」がよく伝わってきます。それは「人の人生と一緒」ではないかというところに作品の重みを感じます。「ABCとランク付けされ」「いもの行く末が決まる瞬間」に立ち会う作者の無念に、消費者である私も考えさせられてしまいました。



隔月刊会誌Scramble90号
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2007.10.28 群馬県高崎市
高崎現代詩の会・平方秀夫氏発行  非売品

<おもな記事>
○言葉の限界と現代詩…福田 誠 1
○私の好きな詩 佐藤正子・詩「影」…平方秀夫 2
○鈴木宏幸詩画集『すてきな時間』を読んで…田口三舩 3
○会員の詩…5
遠藤草人/透明な空             渡辺慧介/ナンクルないさぁ!
武井幸子/ベランダという場所        吉田幸恵/歩く(五−四)
芝 基紘/哀しい眼             横山慎一/曼珠沙華
○INFORMATION 朗読会案内/まほろばPS 8
○編集後記…8



 
ひがんはな
 曼珠沙華/横山愼一

いなご取りの帰り道
稲田の角の窪地に咲く彼岸花
茎の頂で天をささえるおしベ
シナつくりが菩薩の指先を思わせて
一輪咲いていた

キツネバナ シビトバナ ステゴグサ
不吉な呼名が幾十とあって
鱗茎のドク素をきらったはなし

鱗茎のリコリンは稲田を守り
晒し流しては人々の餓鬼を救った
里にだけ咲く実をもたない人恋花
時には親を失った子どもがいた
時には子どもを失った親がいた
古来隣国から流れついて呼名を伏せて
赤い哀しみの宿命を背負ったのだろう

川のほとりで真っ赤な群生をみた
覗けば一輪一輪屈強に咲いている
鱗茎から栄養増殖した彼岸花
永い日々をついやして市民権を得て
空の青 雲の白 草の緑に映えて
座り込んだ目の高さで赤く燃え立っている
残暑の陽に赤陽炎となって燃え立っている
からからと触れ合う華音の向うに
ふんわりとした幻想風な薄雲越しに
黙って立ち尽くす泉下の息子が見える
しばらくと言っても聞こえはすまい
悲しい思い出と花言葉に言うが
一緒に歩いた短い道のりには沢山の思い出がある

川の流れに沿って赤い群生を横切ると
おまえも並んでついてくるが
父さんはだいじょうぶだ
今 たそがれ時の光の中にいる

  ※リコリン=鱗茎(球根)の毒名

 「会員の詩」の中の1編です。「不吉な呼名が幾十とあ」る「曼珠沙華」ですが、「鱗茎のリコリンは稲田を守り/晒し流しては人々の餓鬼を救った」こともあったのですね。さらに作者にとっては「黙って立ち尽くす泉下の息子が見える」場所でもあるようです。「子どもを失った親」が「赤い哀しみの宿命を背負った」花に寄せる思いが胸に迫る作品です。最終連の「父さんはだいじょうぶだ」というフレーズにも感動しました。



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