きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.10.15 箱根・湿生花園のコウホネ




2007.11.9(金)


 拙詩集の第39回横浜詩人会賞を祝う会を、仲間内で開いてくれました。夕方から小田原の居酒屋で5人が集まってという小さな会でしたが、心がこもった集まりで嬉しかったです。5人のうち4人が40年近く、一人は30年ほどの付き合いになりますけど、いずれにしろ古い仲間です。今は休刊になっていますが、同人誌も一緒に発行してきました。私が詩らしきものを書き始めたころの、最も原型に近い頃を知っている人たちで、当初から生涯の付き合いになるだろうという予想はありましたが、それが現実になっているという思いを強くしました。

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 一人一人のスピーチは、第1詩集から今回の第6詩集まで知っている連中ですから、かなり手厳しく、かなりのめり込んで、かなり甘く、他ではなかなか受けられないものだと思いました。実はこの人たち、私が以前勤めていた会社の仲間でもあります。仕事の内容もそれなりに判った上での話ですからね、おもしろかったです。
 地元で呑んでいるという気もあって、したたかに酔いました。帰宅はもちろん午前様。良い時間をもらいました。皆さん、ありがとうございました!



季刊詩誌『タルタ』3号
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2007.11.30 埼玉県坂戸市
千木貢氏方・タルタの会発行 非売品

<目次>
田中裕子…虫 2              柳生じゅん子…大豆 4
峰岸了子…ながれる 7           伊藤眞理子…旁のなかま 10
千木 貢…家守 12
エッセイ 伊藤眞理子/猫の名前 15
 *
現代詩のいま 米川 征…言葉/具象 18   柳生じゅん子…詩を読むよろこび 21
 *
峰岸了子…それが言いたくて 24       田中裕子…少女たちの十代 28
柳生じゅん子…にんじん 32         伊藤眞理子…誕生日の贈り物 34
米川 征…水郡線 36
詩論 千木 貢…虚構としての詩の現実 40



 水郡線/米川 征

座らせていただいてよろしいでしょうか
二輌だけで侘しい田舎の風景の中をディーゼルカーは走る
過疎化がつづいていて乗客は老人が多い
朝夕はそれでも通学の高校生で座席はほぼ埋まっている

空席がようやく見つかって
声をかけるとお婆さんは空いているのに物を寄せるような手付きをした
息子がいま便所に行っておりやんして ここは座るんでやんす
お婆さんは八十を越えた私の母よりひとまわり歳をとっているように見えた
息子は胃が悪くて戦地に行ったんでやんす そんなもんで痩せていやんして
車輌にはトイレも付いている

全線には四十一の駅がある その三分の一くらいは無人駅か小さな駅である
朝夕以外には乗降客が少なくなって無人駅が次第に増えている
こんなところに移ってきても勤め先が見つからないだろう
定年を目前にした夫婦が車窓から過ぎていく緑を見ていた
その夫婦もお婆さんもドアの開閉ボタンを押していなくなる

眠り込んでふと気がつくと駅に停まっていることが多い
数年前 すでに葉桜になっている頃なのに
満開の大きな木が目に入った
鉄道のすぐ向こうに低くブロック塀で囲われた墓地があって二、三墓石が見えた
大きな桜の木もお墓のなかに立っていた

桜は百年くらいで枯死すると聞いているが
七十年くらいの樹齢で 七十年前に誰かが死んで植えられたのだ
やはり戦争でだろうか と思った
その桜の木が立っていたのはまぼろしだったかのように
その日以来 目につかない
沿線の風景にときどき墓が出てきたりはする

長くても十分くらいの間隔で次の駅になる
おむすびのような形の山の手前に田んぼがひろがって
遠くに民家が見える
何を基準にしているのか
十数軒の民家が みな同じ方角に屋根の向きをそろえて並んでいる

目を覚ますと切妻の三角が並んでいて
世界遺産にでもなったらいいと思うくらい十数軒の家の屋根がきちんと揃っていた
今はなくなってしまった真面目に生きているものの姿を目にするようだった
北から南に進んで県境が近づくあたりで
人の数がいっとき殆どなくなる
一人きりの乗客になってしまい 眺めていたことがある

 *水郡線は茨城県の水戸駅と福島県の郡山駅を結ぶ単線の鉄道。

 「
水郡線は茨城県の水戸駅と福島県の郡山駅を結ぶ単線の鉄道」という註釈があって、思わず地図帳を引っ張り出してしまいました。「二輌だけで侘しい田舎の風景の中をディーゼルカーは走る」様子が目に浮かんできます。作品は、その水郡線に乗ったときのことを淡々と描いているだけですが、作者の視線の確かさが感じられます。「息子は胃が悪くて戦地に行った」と説明する「お婆さん」や「七十年前に誰かが死んで植えられた」と見る「桜」に、作者は「戦争」の影を見ています。「みな同じ方角に屋根の向きをそろえて並んでい」、「世界遺産にでもなったらいいと思うくらい」の「十数軒の家」には、「今はなくなってしまった真面目に生きているものの姿」を見ています。「沿線の風景」を詠むだけでも作者の思想が現れるという好例でしょう。しばらく作品と地図を見比べながら、そんな想いに捉われました。



個人詩紙『おい、おい』49号
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2007.7.6 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品

<目次>
ふるさとの家
摂理
元祖フリーターの伝(六)



 摂理

バカばっかりの世の中!


オレもそんな世の中に生きてるんだから
そんなバカの
一人

 摂理とは、万象を支配する法則のこと、と辞書にあります。この作品をそれに当て嵌めて読むと、「オレ」も含めた「世の中」は「バカばっかり」で、それが万象を支配する法則なのだ! ということになりますね。うん、当たってる。
 こんなことは説明しなくても判ることなのに、作品の何倍もの文字数を使って書いている私は、本当に「そんなバカの/一人」だなと思います(^^;



個人詩紙『おい、おい』50号
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2007.8.6 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品

<目次>
どうなってんだ
ここ
元祖フリーターの伝(七)



 どうなってんだ

土曜の朝の
五反田駅ホーム
今のところ穏やかな
休日のトーキョーの景色をながめ
この地球の
ずっとどこかでは
そうではない
うえた子供たちや
ぎゃくさつされる人たちがいて
世界って一体どうなってんだ
と珍しく二枚目的なことを考え

土曜の午後の
石川台のある部屋
「これからこの女
(ひと)を口説くから岩本君はもう帰ってくれ」
とマジ顔で
人払いされ
世界って一体どうなってんだ
と同じ日の朝に考えていた高尚なことも忘れ
人的情けなさに
全く以て憤慨させられている私がいる

ホン卜
世界って一体どうなってんだ

 「土曜の朝」に「珍しく二枚目的なことを考え」ていたのに、同じ日の「午後」には「人的情けなさ」を味わった、という作品ですが、二枚目的な考え≠熈人的情けなさ≠煖、におもしろい詩語だと思います。そして、そんな、謂わば個人的なことを「世界」に結び付けているところに、作者の常日頃の姿勢があるとも読み取りました。
 なお、原文では第3連の7行目は「考えていたいた」となっていましたが、誤植と思って訂正してあります。ご了承ください。



個人詩紙『おい、おい』51号
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2007.11.6 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品

<目次>
富山
元祖フリーターの伝(八)



 富山

金沢から直江津へ抜ける途中
少し時間があったので
私は富山の駅で降りた
富山の街へ来るのは
私が19才の時だったから(1972年)
33年ぶりのことだ
私はその時駅前近くのビルの片隅で
私家版のガリ版刷り詩集の店を広げた
そのうすっペらい、裁断もいい加減な詩集が
三冊売れた
みんな女の人が買っていってくれた
大正の米騒動の発祥の地ということからも
やはりここは女の人が元気なのかなと
その時思った
一人のおじさんが
路上に座っている私にアンパンをくれた
詩集には全く興味なげに
アンパンを一つくれた
「これ食べなよ」と一言
その夜は公園で眠った
路面電車の朝の音で目が覚めた
いま私はその街に33年ぶりにやってきて
詩集を売っていた場所を確認し
ああ、ここ。ここ。この辺り……
夜を過ごした公園は
あ、ここ、この辺り……県庁前公園というのだと
初めて分かった
ベンチに腰掛けタバコを一服していると
係のおじさんたちが朝の掃除をしている
あの時もここでこうやって目覚めの一服したのだろう
あの時も
さまよい中
今も 33年たっても
さまよい中
さまよい中にやってくる街 富山なのか

駅前には
置き薬売りのおじさんとおまけの紙風船をもらった子供
二組の銅像がある
私も子供の頃、昭和三十年代はああだった
あの紙風船は楽しい思い出の一つ
その銅像がある。
どこかの街のように
その街が生んだ有名人の像ではなく
名もない薬売りの人たちを銅像にする
その人たちの地道ながんばりに敬意を表す
その姿勢に好感を持つ、熱いものが背中を走る
あの時アンパン一つくれたおじさんも
富山の薬売りの人たちの
地面につながる地道な活動をよく
こころえていたのだろう
富山
富山
富山
知ってる人は一人もいなくて
知ってる人が一人もいないからこそなのかもしれないが
(言葉が上手く通じない外人さんたちとの方が好感のまま別れられるように)
富山
富山
富山

 この作品にも作者の生きる姿勢がよく出ていると思います。作者にとって「さまよい中にやってくる街 富山」と言われては、富山の人は身も蓋もないでしょうが、作者の視線は「名もない薬売りの人たちを銅像にする/その人たちの地道ながんばりに敬意を表す」ところに注がれています。「富山の薬売りの人たちの/地面につながる地道な活動」という詩語も良い言葉です。そして「(言葉が上手く通じない外人さんたちとの方が好感のまま別れられるように)」というフレーズが特に佳いですね。ああ、そうなのか、と思わず納得してしまいました。



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