きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.10.15 箱根・湿生花園のコウホネ |
2007.11.12(月)
午後から日本橋兜町の日本ペンクラブ会館で電子文藝館委員会が開かれました。今日のトピックスは国立国会図書館です。
国立国会図書館ではデジタルアーカイブポータル(PORTA)を構築中で、電子文藝館にも協力要請が来ています。それを受けるかどうかが議論になりました。
PORTAは国会図書館がアクセス総合ポータルサイトになる、つまり、電子文藝館や青空文庫など、図書に関するHPの入口になってあげましょう、というものだと理解しています。それなら国家予算で勝手にやってよ、と言いたいところですが、どうもそれでは済まないようなのです。登録・維持するには文藝館側の相応の負担もあるようですし、扱われ方によっては貧弱なイメージを与えかねません。それではマズイので、我々が出向いてPORTA担当者に説明してもらおうということになりました。本日、初参加の担当理事・松本侑子さんが幸い、国会図書館に知り合いがいるとのことですから、初仕事として橋渡しをお願いしました。来年1月頃の訪問になりそうです。
委員会が終わったあとで、委員長・副委員長、事務局、文藝館のHPを制作している業者さんとで大事な話がありました。業者さん側から、本業が忙しくなったので、好意でやっていた制作を打ち切りさせてもらいたいという申し入れがあったのです。もともとHPを専門に作っている会社ではなく、文藝館立ち上げ当初の経緯から今まで無理を聞いてもらっていました。費用も世間相場からは信じられないくらいの値段でしたから、いつかはこの日が来るだろうなと私は覚悟していましたけど、とうとうその日を迎えてしまいました。とりあえず今日は業者さん側の話を聞くというだけで終わりにしてもらいましたが、早急に対応しなければなりません。もちろんこれは一副委員長に過ぎない私が決める立場ではなく、事務局、理事会の決定に基づかなければいけない話です。が、創館当初からの一員としては相当な協力をしなければならんだろうなと思っています。拙HPのような個人のものなら簡単なことですけど、日本ペンクラブのHPですからね、ややこしくならないように、スッキリと移行させたいものです。
○一人誌『粋青』51号 |
2007.11 大阪府岸和田市 後山光行氏発行 非売品 |
<目次>
詩
○夏の夕暮れ印象記(4) ○尻(6)
○草草の主張(9) ○時間に乗って(10)
○石塊のように(12) ○漂流する朝・8(14)
スケッチ (8)(17)
エッセイ
●絵筆の洗い水【27】(16) ●発表記録ノート(18)
●舞台になった石見【41】詩人 松本淳三(20)
あとがき
表紙絵:2005年9月 ユリ
漂流する朝・8 (通行人のイメイジ)
14
平成も二十年になろうとする今
男はなつかしい昭和を想い出している
物が無く貧しい時代であったけれど
もしかしたら
平成より豊かであったのかも知れない
物が無く購入する金も無かった
だから自分で工夫してつくるしか
方法が無い時代だった
何よりも工夫することに豊かさがあったのではなかったか
例えば中学生の頃だったけれど
やっと回ってきた兄のお下がりの机に
孟宗竹と板を切ってスイッチを買ってきて作った電気スタンド
裸電球の熱の熱さに閉口したが
たまに教科書を開くには充分だった
針金を使って作ったカバーには苦労した
更に小学校の頃の事だけれど
まだ子供だった男が一日で持って帰れぬ程の
たくさんの副賞をもらったという
県のスケッチ大会の賞状
手作りの額縁にセロファン用紙を
貼って作ったのだからすぐ破れて
今残る賞状は
煤で汚れてもう字も読めないほど真っ黒だ
誰に見せるでも無く
自分へのご褒美をやさしく包むように
工夫したものである
男が想い出すだけだが
何か大きな豊かさがそこにあったように思う
私は作者と同年代ということもあって、共感する作品です。たしかに昭和は「自分で工夫してつくるしか/方法が無い時代だった」ように思います。「電気スタンド」をはじめ、鉱石ラジオ、真空管アンプなんてのまで作った覚えがあります。その中で「工夫することに豊かさがあった」と感じていたのだと思います。判らないながらも理屈を勉強して、モノを作り上げていく楽しみ。高度成長期という時代にもマッチしていた行為だったのかな、と今にして思います。そんなことを感じさせられた懐かしい作品です。
○詩誌『山形詩人』59号 |
2007.11.20山形県西村山郡河北町 500円 高橋英司氏方編集事務所・木村迪夫氏発行 |
<目次>
詩●僕の顔は/島村圭一 2
詩●ミョウバン先生・イスアの地/山田よう 5
詩●小品二篇/平塚志信 11
詩●うさぎの魂のアプリカシオン/近江正人 13
詩●俳と詩のコラボレーション(其の二)/阿部宗一郎 16
評論●超出論あるいは美という幻――吉野弘詩集『消息』論/万里小路譲 21
詩●他万喜/佐野カオリ 28
詩●わたしらの里子/大場義宏 34
詩●ジャンへの手紙/高啓 36
詩●再生/木村迪夫 39
詩●中締め/高橋英司 42
論者●(承前)詩人としての真壁仁論デッサンの試み――『日本の湿った風土について』のあたりで――/大場義宏 45
後記 51
声/平塚志信
――あなたはいつもそうやっですぐに背中を向けたがる
声が聞こえた
いましがたまで
虹を見ていて
背中を向けた
山の上の
その空のあたりから
「小品二篇」中の1篇を紹介してみました。小品≠ニ謙遜した言い方をしていますが、内容には深いものがあります。「虹」という美しいもの、好ましいものを見ていることで「背中を向け」ざるを得なかったものがあることを、この詩は教えてくれているように思います。さらにそれを諭す「声」があることも。そこに気づく感性がなければ、詩人としては失格なんでしょうね。小品≠ヌころか大きな作品だと思いました。
○個人詩誌『魚信旗』41号 |
2007.11.15 埼玉県入間市 平野敏氏発行 非売品 |
<目次>
月祷 1 極上な日 2 別れの弁明 3
ひまわり 4 夏の地平線 6 迷い人 7
秋刀魚 8
後書きエッセー 10
迷い人
市役所の拡声器が迷い人を知らせている
聞けば住所氏名忘れた年寄り
保護してからもう五時間経っている
庭鳥になってこの日はちょっとその辺までが
帰り道が消えてしまっていたのかどうか
行く道しかない世のならわしに従っただけなのか
咲き始めたコスモスに惹かれながら
宇宙(コスモス)漫歩と洒落込んだか
いずれにしても住まいも名も忘れて歩くこと千年
五時間の現(うつつ)を千年の夢(ゆめ)に変えて
千の風を千切りながら
見たことのある街並み
歩いたことのある路地裏
行きつ戻りつもしたようだ
人生の復習をしたかったからでもあろうか
いちど記憶は全部消してから
気に入った思い出だけを胸に秘めて
澄んだ青空を眺め
雲になって迷いもなく
流れに従って真実一路
消えてしまおうと思ったことであろう
住所氏名そんなものは市役所の市民課が大事に保存しているだろう
なんで迷い人というのだ
自分のことを忘れてたまにはぼけーっとしていたいときがあるだろう
遠く迷い人の知らせを聞き流しながら
青い空を庭鳥が羽撃いているようだ
私の住む地域でもたまに「市役所の拡声器が迷い人を知らせている」ことがあります。私はそれを何となく聞き流しているだけなのですが、作者は「行く道しかない世のならわしに従っただけなのか」、「人生の復習をしたかったからでもあろうか」と採っています。この彼我の違いを考えさせられました。同じような事象を、人間という範疇では同じような人が見ていて、受け止め方はまったく違うという好例でしょう。そして「行く道しかない世のならわし」という詩語に、人生の本質をも教わったように思います。日常生活のありふれたことを見事に切り取った佳品だと思いました。
なお目次中の「祷」は原本では正字ですが、表現できませんので、ここでは略字とさせていただいております。ご了承ください。
(11月の部屋へ戻る)