きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.10.15 箱根・湿生花園のコウホネ |
2007.11.13(火)
夕方から渋谷に行ってきました。ある男の仲間内での詩集出版記念会です。彼とは数年前に一度会ったきりですが、その人柄や詩風に惚れてしまいましたから、何度も再会したいと思っていました。しかし、その機会がなかなか訪れず、今回の話になって、スッ飛んで行ったという次第です。彼の詩集は今回で2冊読ませてもらったことになりますが、年代が同じということもあって共感しています。
集まったメンバーは5人。そのうちのお二人は詩人ではなく、彼の職場の同僚と退職した先輩。そんな人選にも彼らしさが出ているように思います。お二人とも気さくな方で、すぐ打ち解けて、楽しく語らうことができました。
写真は二次会のカラオケで。酔っ払って携帯でテキトーに撮ったので、見苦しくてごめんなさい。選曲がおもしろかったです。この歌は現代詩より優れている、これは駄目だ、などと評価しながら歌いました。さすがは詩人のグループ、というところでしょうか。終電近くまで呑んで歌って、楽しい夜でした。お呼びいただいた皆さん、ありがとうございました!
○文芸誌『兆』136号 |
2007.11.5 高知県高知市 林嗣夫氏方・兆同人発行 非売品 |
<目次>
堀ろく女(落穂伝・3)…石川逸子 1 埋めてながして…石川逸子 14
遊ぼう(ほか)…山本泰生 16 青雲カラオケ店(ほか)…清岳こう 20
It's true …大崎千明 24 水の町界隈雑記…増田耕三 27
詩集のあとで…林 嗣夫 30 おおきに…小松弘愛 32
花の非花的側面、ということ――後記にかえて…林 嗣夫 35
<表紙題字> 小野美和
おおきに/小松弘愛
「ありがとう」
子供の頃には使った記憶がない
いつも「おおきに」だった
蜜柑畑の多い村の中学枚を出て
高知市内の簿記学校に通い
貸借対照表(バランスシート)の作り方などを習った後
繁華街でマネキンなんかを置いて
洋装店を開いていた伯母の店へ
住込店員として入り――
「おおきに」は消えてゆくことになった
「ありがとうございます」
「ありがとうございました」
消えていったのは「おおきに」だけではなかった
高校は学区外の定時制(夜間)で
なじみの顔はなく
蜜柑の村で身につけていた方言
の使用率は大幅に低下していった
十年ほど前であったか
京都御所で
紫宸殿の前の「左近の桜」「右近の橘」
の写真を撮りたくなって
何とか門の近くの売店まで引き返し
使い捨てのカメラを買った
そのとき
紺絣の売り子さんから
京アクセントで「おおきに」と頭を下げられ
わたしの心の底に沈んでいた「おおきに」に
ぽっと火がともったようになったけれど
きょう
「新解さん」と呼ばれたりする辞書*
を手にして
たまたま目にすることになったのは
おおきに(感)
〔各地の方言。特に関西で好んで使う〕ありがとう。
せっかく
国語辞典に入れてくれてあるのに
「各地」の一つである高知では
「好んで使う」ことにはならず
言葉のバランスシートは崩れてしまった
わたしの
「おおきに」は
もう
蜜柑畑の草陰に落ちたみかんのように
土にかえってゆく定めかもしれない。
*『新明解国語辞典』(第五版・三省堂)
(「続・土佐方言の語彙をめぐって」44)
私は関西に住んだことがなく「おおきに」は使ったことがありませんけど、関西に旅行した折などに聞くと、ずいぶん柔らかな良い言葉だなと思っていました。しかし「高知市内」の「繁華街」では「消えてゆくことになった」言葉なのですね。それは「洋装店」という客商売だからではなく、「高校」でも「蜜柑の村で身につけていた方言/の使用率は大幅に低下していった」というのですから、方言を消し去ろうという意識的な行為だと採れます。この詩の眼目はさらに京都と高知との対比にあるわけですけど、「バランスシート」の遣い方の妙にも魅了されました。そして、やはり豊かな方言が消えていく一因を突きつけられた思いのする作品です。
○詩誌『北の詩人』60号 |
2007.11.10 札幌市豊平区 100円 日下新介氏方事務局・北の詩人会議発行 |
<目次>
写真(遊歩道)詩・心染めて/さとうたけし.1. 茂子 19/阿部星道 2
短歌 秋日を/寺坂美代子 3 わが町にコウノトリ飛ぶ/たかはたしげる 4
公開シンポジウム 自然の順応的管理と社会/たかはたしげる 5
東米里小中学校統合問題/大竹秀子 7 畑は宝/大竹秀子 8
吟遊詩人・絆・心・詩を書こうよ/高柳卓美 9. 信じる自由/かながせ弥生 11
ヌチドウタカラ/たかはしちさと 12 迷子の俊/たかはしちさと 13
地球市民の光りは/釋 光信 15 秋香/内山秋香 16
定年/八木由美 17 中島公園で/八木由美 18
虚構が崩れる時/さとうたけし 19 過去はどう再生されるか/日下新介 20
「靖国」と「愛国心」と/日下新介 21 夜の雨/倉臼ヒロ 21
牛の目/倉臼ヒロ 22 閉じた瞳/倉臼ヒロ 23
<無罪> の子達/倉臼ヒロ 25
エッセイ 昔話/かながせ弥生 26 認識方法 表現方法の基本的方法(1)/松元幸一郎 27
北の詩人59号寸感/かながせ・日下 29 詩人会議を読みませんか 18
ブログ 村山精二 30 寄贈誌紹介 左藤武・日下新介 30
もくじ・あとがき 32
過去はどう再生されるか/日下新介
過ぎた時間 通り去った空間を
再現するには想像力が必要だ
創造力のない人間は
規範意識で新しい時間と空間をつくりだす
例えば ぼくの遠い記憶のひとつ
「少年兵を志願しないものは国賊である」と
教室へ来て怒鳴った校長の言葉は
次のように再生される
「学力テストの誤答生徒にはサインを送れ」
「出来のよくない子は休ませろ」
「いじめっ子は教室から追い出せ」
上意下達の窮屈な職員室の椅子から立ち上がった教師は
これを新しい時代の言葉だと錯覚する
過去の錦の御旗は 子どものいのちを奪った
現代の言葉は 子どもの未来への扉を閉じる
「創造力のない人間は/規範意識で新しい時間と空間をつくりだす」という第2連に驚きました。「規範意識」はなぜ出るのかということは、私の長い間の疑問でもありましたが、「想像力」あるいは「創造力」がないと「規範」に頼るしかないという視点は納得です。だから想像すること、そして創造することが大事なのだなと改めて認識します。私自身にも「新しい時代の言葉だと錯覚する」ことがなかったか、とも反省させられました。
最終連の「過去の錦の御旗は 子どものいのちを奪った/現代の言葉は 子どもの未来への扉を閉じる」というフレーズも名言ですね。いずれも子どもの将来を見据える大人には心すべき言葉だと思いました。
なお2連2行目の原文は「新しいし時間」となっていましたが、誤植と思って訂正してあります。ご了承ください。
○機関紙『コロポックル』15号 |
2007.11.9 札幌市豊平区 日下新介氏発行 非売品 |
<目次>
新聞記事 原爆症 国はなぜ認めぬ 89
詩集評 日下新介詩集『塩せんべいの唄』/沖長ルミ子 90
BooK Review
詩集『塩せんべいの唄』日下新介/長谷川忍 90
藤森光男詩集 91
「新聞記事 原爆症
国はなぜ認めぬ」には札幌
道原水協が6・9行動≠ニの副題があり、原爆症に苦しむ被爆者支援の署名活動の記事でした。その中に次のような部分が載っています。
<「十四歳で少年飛行兵だった詩人です」と自己紹介した、北の詩人会議の日下新介さんはトルコの詩人の詩「死んだ女の子」を朗読しました。核兵器をなくすために、二度と核兵器を使わせないためにと、訴えました。>
その下に日下さん自身の言葉が添えられています。
<この記事の「14歳で少年飛行兵だった」は正確にいえば、14歳で志願、大津陸軍少年飛行学校でに第二次試験にも合格して、訓練を開始していました。ある日。先輩の一人が、窓辺で、「俺はすぐに帰りたい」と言ったことが内務班に広がり、皆びっくりしたことを覚えています。その後、私は結核がばれて帰郷を命じられました。その日、父が迎えにきてくれていました。当初から父は志願には反対だったのです。>
14歳といえば現在では中学2年生。そんな子どもでも兵隊にしていた国に対する憤りが現在の署名活動にまでつながっているのだと思います。さらにそれが日下さんの詩の原点なのでしょう。短い記事の中にも人の一生が込められていることを再認識した次第です。
(11月の部屋へ戻る)