きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.10.15 箱根・湿生花園のコウホネ




2007.11.14(水)


 夜半、うちの室内犬が苦しみだして慌てました。ふらふらと歩いていたかと思うと、急に転倒して四肢をバダつかせて呻きだしたのです。あわてて抱き上げてやって、しばらくしてから治まりましたけど、一時は死んでしまうかと思ったほどです。
 実は一昨日からヘンな咳をしているのです。それも夜中に急に始まって、それ以来いまに到るまで治まっていません。昨日、病院に連れて行って、持病の心臓起因だと言われました。獣医はしきりに処置を勧めたのですが、断って帰ってきたという経緯があります。獣医は「今日明日にでも死んでしまう可能性がありますけど、それでも処置しないのですね」と二度も念を押してきました。それを突っぱねて帰ってきて、その直後の発作ですから、正直なところ焦りました。

 うちの室内犬の心臓病は生まれつきのようで、何度も手術を含めた処置を進言されてきました。その度に断り続けています。なぜかと言うと、高額の治療費にとまどいがあるのと同時に、処置を信頼していないからです。獣医さんや関係者がお読みになっていると申し訳ないんですが、処置をして生命が何倍も延びるとは思っていません。うちの犬は13歳で、まだ死ぬには早い年齢ですが、死んでもおかしくない年齢でもあります。手術をしたからといって無限の生命を与えられるわけではなく、苦しんで永らえるよりは苦しまずに旅立った方がよいと考えています。これは犬に限らず、私自身にも当て嵌めている考え方です。

 幸い、発作はすぐに治まり、今はおとなしくしています。よく観察すると、急に動いたあとなどに咳もひどくなるようです。急な動作が心臓に負担をかけているのでしょう。お前は重病人なんだからね、面会謝絶・絶対安静なんだからね、と言い聞かせると静かにしています。まだ不安はありますが、下手な処置よりは私が生命を救ったという自負もあります。結果的には処置で救えた時間と、私が抱くことによって救えた時間は同じようなものになるかもしれません。それなら後者による方が絶対に良いとも思っています。
 生命、この不思議なものの存在を、愛犬を通じて教えてもらっています。



増田幸太郎氏著『鎮魂 亡き妻に
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2007.11.18 東京都小金井市 木偶詩社刊 非売品

<目次>
はじめに 8
鎮魂 10
平成十八年・晴枝の日々 12
晴枝・入院の日々 15
 四月 15       五月 18       六月 23
晴枝の闘病記 25
 ICU(集中治療室)搬送
 経過 29       七月 44       八月 56
 九月 72       十月 92       十一月 121
 終焉のとき 133
死亡診断書 138
死に至る経緯 143
剖検所見 145
晴枝のこと 148
お身 土に帰る 150
あとがき 158



 鎮魂

鎮めてよ
お身の 魂よ 肉体よ

鎮めてよ
お身 生の呪縛から
お身 病魔の呪縛から
解かれた
おお おお おお

鎮めてよ
お身の夥しい時間を
お身の夥しい言葉たちを

鎮めてよ
お身の 沈黙を

お身 不意の人よ
くやしいな

とめどなくつのる慕情
深い吐息
お身の
無念を鎮める

予期せぬこと
予期すること
お身の
夥しい時間を数え
夥しい言葉を反芻する

わたしの中にお前
お前の中にわたし

お身
眠れる人よ
鎮めてよ

そこにお身の
空を置く

 昨年11月に「七十四歳の生命の重みを解かれ」(「はじめに」より)た奥様の闘病記・鎮魂詩篇集です。定期健診で肺に水が溜まっていることがわかり、急遽入院になって院内感染に罹ったことが原因で長期入院となり、闘病の末に亡くなったという、何とも痛ましい現実を突きつけられました。生前の奥様には一度だけお会いしていますので、そのお姿を思い浮かべながら拝読しました。
 紹介したのは冒頭の詩篇です。「くやしいな」の1行に著者の思いの全てが収斂されているように思います。罹らなくてもよい病が原因で次々と余病を併発していくことに、現代の医療の根本的な欠陥を感じるのは私ひとりではないでしょう。救いは、医療従事者の皆さんに著者が深く感謝していることです。欠陥は欠陥として指摘しながらも、その後の個々の対応は冷静に判断している著者の、高い倫理性にも胸を打たれました。機会のある方はぜひ通読してください。
 奥様のご冥福を改めてお祈りいたします。



詩と評論『操車場』6号
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2007.12.1 川崎市川崎区 田川紀久雄氏発行 500円

<目次>
詩作品
含羞/長谷川忍 1             メフィストの古時 高橋 馨 2
影のサーカス――23/坂井信夫 4      下手人V/野間明子 5
故郷に帰る/田川紀久雄 6         浜川崎の墓地/坂井のぶこ 10
■ エッセイ
新・裏町文庫閑話/井原 修 12       朗読の認識の欠如/田川紀久雄 14
田川紀久雄詩集『生命の旅』感想/池山吉彬 15 末期癌日記/田川紀久雄 16
■後記・住所録 22



 含羞/長谷川 忍

自分の悲しみを
一方的に打ち明けると
その女性はせいせいしたように
とある駅で降りていった。

その老人は
正義と権利について
朗々と語りはじめた
真摯に拝聴していたのだが
とある乗り換え駅で降りていった。

某宗教がいかに素晴らしいか
その青年は
執拗に勧誘を繰り返す
丁重にお断りすると
ぷいっと次の駅で降りていった。

誰もが
安易に列車に乗り込んできては
めいめいの主張だけを発散し
降りていった。

いくつかの大きな駅を過ぎ
やがて列車は
野の中の小さな終着駅に辿り着いた。

重い荷物を背負いながら
列車のタラップをとぼとぼ降りると
同じように
タラップを降りてくる人がいる。
一緒に居合わせたのが恥ずかしかったのか
それでも
温かな照れ笑いを、私にくれた。

私も、精一杯の笑顔を
その人に返した。

 「めいめいの主張だけを発散」する人が多いなか、「一緒に居合わせたのが恥ずかしかった」と感じてくれる「その人」がいる安堵感、それをこの作品は詠っていると思います。そういう者同士で分かり合える「温かな照れ笑い」と「精一杯の笑顔」。それを「含羞」というタイトルに収斂させたことは見事と云えましょう。私自身が「めいめいの主張だけを発散」側にいないか、反省させられながら拝読しました。



詩と散文『多島海』12号
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2007.11.20 神戸市北区 江口節氏発行
非売品

<目次>
Poem
夏に向かって*森原直子…2          緑色の物語*彼末れい子…6
母音*松本衆司…10              吊り橋*江口 節…14
秘密*M・ノエル…18 江口 節=訳
Prose
中国福建省・武夷山の夜*彼末れい子…20    『自画像の証言』に出会えた夏*森原直子…25
オッチャンとオバチャンが足らん*松本衆司…29 内面の手記*M・ノエル…35 江口 節=訳
同人名簿…39     入り江で…40      カット 彼末れい子



 吊り橋/江口 節

つい忘れる谷である、が

見下ろすと 小さく川が見える
勾配はきつく
もりあがる木の根 たれさがる枝
ぎゅっと掴んで
下る

冷たい流れだ
岩を探る足はすべり 掌はすりむけ
対岸に渉る
見上げれば
蒼いもやが流れる崖

そのように谷をかかえ
向き合うのだと
わたしたち
目を伏せて
ふとい葛を綯い合わせる
ほそい板をわたす
ことばの
吊り橋

ゆらぐ 朽ちる 切れる
切り落とす――

踏みはずすこともある
谷底から見上げる
空の底は
はるかに
遠く

このままでも、いい
しずかに座って

気がつくと
あたらしい葛をさがし
幾重にも綯い合わせ
そこに在る
吊り橋

向こう岸に人がいる
ただ、それだけで

どちらも だまって
葛を綯い合わせ
目を伏せて綯い合わせ
とどくだろうか、と
吊り橋

あの崖を 猿は飛び渡るそうです

 第4連で、この吊り橋が「ことばの/吊り橋」であることが分ります。言葉とは「ふとい葛を綯い合わせ」て「ほそい板をわたす」ことだと定義したわけで、これは見事です。そして「ゆらぐ 朽ちる 切れる」、場合によっては「切り落と」し「踏みはずすこともある」。さらには「向こう岸」の人と「どちらも だまって/葛を綯い合わせ」「とどくだろうか、と」思案します。このように言葉を捉えた作品に初めて出会いました。
 さらに素晴らしいのは最終連です。われわれ人間はそうやって言葉に無理強いしているのに対して、「あの崖を 猿は飛び渡るそうです」。言葉に頼らない自然界の勁さを考えないわけにはいきません。2007年収穫の1作と謂っても過言ではない佳品と思いました。



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