きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.10.15 箱根・湿生花園のコウホネ




2007.11.15(木)


 夕方から新宿区天神町(神楽坂)の日本詩人クラブ事務所で、第2回「詩の学校」が開催されました。講師として、はるばる北九州市から九州大学名誉教授の秋吉久紀夫さんがおいで下さり、講義は「穆旦(ムータン)と丸山豊―ビルマでの彼我の戦い」でした。ビルマ(現ミャンマー)の自然と歴史から始まり、日本軍のビルマ侵攻作戦と穆旦と丸山豊との関わり、現在のミャンマーの状況などを丁寧に解説していただきました。

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 写真で、ホワイトボードに地図が貼られていることがお分かりいただけると思いますが、手元にもミャンマーの地図が配布され、地形を想像しながら穆旦と丸山豊の行動に思いを馳せました。ミャンマーの歴史では、現在も幽閉されているアウンサン・スーチーさんの父上についても言及され、世界史がより身近なものに感じました。
 出席者は28名。30人ぐらいまでは収容できますけど、このくらいがちょうど良いですね。懇親会はいつもの白木屋。半分以上の人が秋吉先生を囲みました。



詩誌『ぶらんこのり』4号
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2007.11.20 横浜市金沢区
坂多瑩子氏・中井ひさ子氏編集発行 300円

<目次>
Poem
坂田Y子  元くノ一と今くノ一−2 散歩の時間−5
坂多瑩子  先へ進めない−9    ふり−12
中井ひさ子 いったりきたり−14   何処に−16
Essay <演歌>
坂多瑩子  何処へ帰るの 海鳥たちよ シベリアおろしの 北の海−19
中井ひさ子 スナック『ドラマ』−22



 いったりきたり/中井ひさ子

昨日のコトバを切りきざんで
八階のベランダから
さようならする
ひとすくいの風にのって
あっけらかんと飛び散るのに
目をそらすと

マンション横の
大木の繁みの小さな森に
時々現われる クジャクが
羽をひらく練習をしている
見てはいけないものを見たように
目をつむると

瞳孔の片隅には
昼の月がいて
さりげなく
むかしむかしのお話を 語りだす
まばたきもせず
聞き耳をたてたけれど
先が見えなくて
目をあける

つむじ風も吹いていて
揺れる木立の中から
しんとして
少し汗ばんで 引き返してくる
短い行列

 「いったりきたり」しているものは何か、ということはいろいろ解釈できると思いますが、私は「目」ではないかと思っています。「目をそらす」「目をつむる」「目をあける」という行為が作中人物の心理を現しているように思うのです。では、それはなぜかと考えると、「昨日のコトバを切りきざんで」という第1連1行目に行き着くのです。すなわち「少し汗ばんで 引き返してくる/短い行列」も「コトバ」であると採れるのです。したがって、この「いったりきたり」は「目」であると同時に「コトバ」でもあるのでしょう。そこから翻って、実は「いったりきたり」しているのは、作者の思考・思想を謂っているのではないかと思いました。



月刊詩誌『歴程』545号
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2007.11.30 静岡県熱海市
歴程社・新藤涼子氏発行  1000円

<目次>

秋の花/粕谷栄市 2
テーブルの上のひつじ雲 テーブルの下のミルクティーという名の犬/相沢正一郎 4
くり返されるオレンジという出来事(6月)/詩と写真 芦田みゆき 6
雷の落し子/浜田 優 8
雷の鳴る夜/酒井蜜男 10
難解な自転車/野村喜和夫 12
エッセイ
天の酒のむべ{第四十二回天山祭り}/黒岩 隆 15
〜特集 2007年歴程夏の詩の学校〜 18
版画 岩佐なを



 秋の花/粕谷栄市

静かな秋の日、遠い昔、別れた女に逢いに行った。風
の便りに、この世を去ったと聞いていたが、思いがけな
く、死ぬ前に、一度、顔が見たいと言ってきたからだ。
 永いこと、音信不通で過ごしてきたのだ。逢ったとこ
ろで、何があるわけでもないが、急に、懐かしく、逢い
たくなった。自分も、もう先のない老人だ。
 それができたのは、たぶん、それが夢のなかのことだっ
たからだろう。初めて訪れる町なのに、萩の花の咲く、
彼女の家への細い道すじを、私は知っていたから。
 広い湖の見える一軒家に、彼女は住んでいた。声をか
けても、誰も出てこない。庭にまわると、戸が開いてい
て、奥の部屋の寝台に坐っている彼女が見えた。
 だが、すっかり年をとって、彼女は、全く変わってし
まっている。そう思えば、かすかに面影がないでもない
が、ほとんど見知らぬ老女のようであった。
 そこに上がってゆくと、彼女は、私に気づいた。しか
し、私が、誰か分からないのだ。老いのため、もう何も
かも分からなくなっているらしい。私を見ても、幼女の
ように、ただ、泣くだけだった。
 どんな暮らしをしてきたのか、短く髪を切って、痩せ
て、小さくなっている。両手で顔を覆って泣く、その声
は、深く哀しいものだった。
 私にできることと言えば、黙って、そこに坐っている
ことだけだった。二人、並んで坐って、広い湖とそのほ
とりで、風に吹かれる萩の花を見ているだけだった。
(彼女は、本当に私の昔の彼女だったのだろうか。)
 この世で、人間は、さまざまな時間を過ごすが、こう
して、遥かな日々、睦み合って暮らした女と過ごす、自
分だけの淋しい花のようなひとときもある。
 二人は、いつまでも、そうして坐っていた。日が暮れ、
あたりが暗くなって、遠い夢のなかで、二人が見えなく
なるまで、そうしていた。

 「風/の便りに、この世を去ったと聞いていたが、思いがけな/く、死ぬ前に、一度、顔が見たいと言ってきた」という矛盾は、「それができたのは、たぶん、それが夢のなかのことだったからだろう」という言葉で解消されました。その夢の中で「すっかり年をとって、彼女は、全く変わってし/まって」、「ほとんど見知らぬ老女のようであった」というのは、私の年齢ではまだ実感がありませんけど、いずれ分かるのだろうなという怖さがあります。「遥かな日々、睦み合って暮らした女」がどうなっていくのか、それは逆に私たち男共にも当てはまることですが、それぞれに「自/分だけの淋しい花のようなひととき」を過ごすしかないのかもしれません。老いを「遠い昔、別れた女」に仮託した作品で、タイトルを「秋の花」としたところに救いも感じています。



詩誌『アル』36号
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2007.10.30 横浜市港南区
西村富枝氏発行  450円

<目次>
特集 夢
つかの間の闇のなかで…江知柿美…1     手…江知柿美…5
夢の種…平田せつ子…7           夢飛行…平田せつ子…9
坂道…西村富枝…11             たたらを踏む…荒木三千代…13
夢うつつ…阿部はるみ…15
エッセイ
北村先生の墓参…江知柿美…17        モンドリアン風のハンカチ…阿部はるみ…21
短詩 水の林…西村富枝…23
詩篇
中毒…阿部はるみ…25            秋の蝶…西村富枝…27
うそつき…西村富枝…29
編集後記…阿部・西村            表紙絵…江知柿美



 うそつき/西村富枝

命は大切です
何ものにも代えられません
取り戻せないのです
失っても奪ってもいけません
Teacherだからそう話します
Motherだからそう伝えます
明るいほうへ
健康なほうへ
病人には早く快復するよう励まし
悲しい人を慰めて
途方に暮れている自分のことなど微塵も見せない
私は偽善者です
ぬかるみに足をとられて
右にも左にも上にも下にも
天にも地にも
気がつくと風ばかりなのに
背もたれのない椅子に掛けて
すぐに立てていいと
丸い背中を無理に延ばして見栄をはり
あの世に逝ったらきっと
閻魔さまに舌を抜かれます
そしてきっと
寡黙になって詩でも書きます
今よりももっといい詩を書きます

 最終行が佳いですね。「閻魔さまに舌を抜かれ」て、「寡黙になって」、「今よりももっといい詩を書きます」と宣言するのは、現世では「偽善者」で「見栄をは」っているからなのですが、なかなかこうは言い切れないのが人間なんだと思います。「明るいほうへ/健康なほうへ」と「そう話し」「そう伝え」ることが悪いこととは思いませんけど、その裏にあるものをちゃんと見ているのが詩人なんでしょう。そういう意味では立派に「いい詩を書」いていると思いました。



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