きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.10.15 箱根・湿生花園のコウホネ




2007.11.17(土)


 この半年ほどナンプレ(ナンバープレイス)にハマっています。1から9までの数字を升目に埋めるという単純なゲームで、以前から新聞や雑誌に載っているものをやっていました。最近は本も出ていますので、それを買って取り組んでいます。
 普段は文章を相手にしていますから、疲れたときに始めたものですが、右脳と左脳の切り替えが出来るようで、おもしろいなと感じています。文章に飽きたらナンプレ、数字にうんざりしたら文章、そんな二重生活≠楽しんでいます。退職してからは理科系の頭をほとんど使わないので、その代替なのかもしれません。
 ナンプレは夢中になると何時間でも続いてしまいますから注意しています。皆さんからいただいた本を読む時間が少なくなってしまいますし、ベッドで始めると眠られなくなります。頭の切り替え程度に使うのがちょうど良いようです。



関はるみ氏詩集『呼び止められて』
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2007.11.30 大阪市中央区 澪標刊 1600+税

<目次>
呼び止められて
頭はどこへ行った 6            柳の下で 8
声が届かない 10              海が騒ぐ 12
誘われて 14                毛糸だま 18
老人と白木蓮 20              空に降る雨 22
呼び止められて 26             吹き溜まり 28
言葉にしてはなりません 30         鳴龍は病んでいる 32
深泥池の雷神 36              焼き付ける 40
停滞していたもの 44            弓なりの 48
すぼむ唇
雲散するようで 52             くり抜かれる 54
見えないもの 58              見収めて 60
天満宮 64                 すぼむ唇 66
花筏に載せて 70              阿弥陀寺へ 74
藪椿 78                  繋がりから 82
うつろ 84                 手袋 86
あやかしの樹 90
あとがき 92                装幀 倉本修



 呼び止められて

隙間なく埋められた紫陽花の群れの中
通り過ぎる私に
水色の蕾がそっと開き
ためいき一つ
薄桃色のささやき一つ
小さな声が呼び止める
西の谷に行きたい

鮮やかなブルーは無常の化身
花片を散らし私を惑わす
羽化した蝶のような柔らかさで
肩寄せ合って連なって
愚痴も積もって顔を伏せる
家々の窓が閉じられて
明かりも消えた
花はねむりに就いただろうか

 第1詩集です。ご出版おめでとうございます。ここではタイトルポエムを紹介してみましたが、「あとがき」では次のように書かれています。

<振り返れば何時も誰かに呼び止められたように思え、それは人であり、花であり、森であり、海であったりと、その都度あたらしい世界に案内されたようです。そうして詩は、私の人生に豊かさを与えてくれました。これからも言葉を杖として続けることが出来ればと願っております。>

 「何時も誰かに呼び止められたように思え」るというのは、この詩人の特性のように思います。素晴らしい感性です。紹介した作品にもそれを感じることができます。「ためいき一つ/薄桃色のささやき一つ/小さな声が呼び止める」感受性、「花はねむりに就いただろうか」というやさしさを持ち続けていただきたいものです。今後のご活躍を祈念しております。



詩誌WHO'S106号
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2007.11.1 東京都八王子市
樫村高氏方・WHO'Sの会 発行 500円

<目次>

早春の葉山の海の渚で…水谷 清 2     秋の水辺…高橋優子 4
命の灯…中村不二夫 6           落ちるとき…小池輝子 9
アカルイミライ…高橋英司 11        虹の夢(他2編)…市川 愛 14
動詞百態…樫村 高 20
翻訳 自動的に飛ぶ鳥たち…ジャック・レダ〈訳〉水谷 清 24
エッセイ 半島の旅…市川 愛 26
あとがき
表紙 福田都基子   目次カット 網島蛍子



 早春の葉山の海の渚で/水谷 清

 いつものよう砂地に腰をおろし 漣が岸辺に純白のレー
スの敷物をひろげ 束ねてゆく波の繰返しを眺めている
と 長者が崎の方角から 犬に紐で引攫られるように走っ
てきた中年の男 ぼくの前でぴたりととまり
 「これ差上げましょう」と手渡してくれた小さな貝殻。
亀のかたちの親指ほどの大きさ 頭部に小指の爪の先端
ほどの小さな貝の破片と それに黒いゴマ粒ほどの目玉
が付いている。
 裏返せば四本の貝殻の肢が接着剤で固定された見事な
ミニアチュア芸術である。
 ぼくは想う 今宵 宿に戻って一夜明ければ 眠って
いるあいだ 巨大な亀に変じているかも知れぬと。
 ぼくの青春時代 ジュール・ヴェルヌ(註)と海底の
森をさまよった夢の記憶。痩せた岩礁のあいだ ゆらめ
く藻草のあいだを縫って妖しい鱗光を放って遊泳する大
小さまざまな魚たち、水死した難波田史男の霊魂。
 また幼児 祖母からきかされた浦島太郎の物語。亀の
背に乗って竜宮にゆき 乙姫から玉手箱をもらうが 陸
に戻り 蓋をあければ一筋の煙たち昇り 黒い頭髪はた
ちまち白髪の老人となってしまうというお伽ばなし。
 貝殻をさりげなくぼくに与えてくれた中年の男、生き
ることに倦きてこんな玩具をつくり ぼんやり海を眺め
ているぼくを自分の仲間と思い贈ってくれたものと思う。
 渚に沿って潤んだ早春の空の下 御用邸の方角へとい
まは点となって消えて行ったその男の姿を目で追いなが
ら 今宵もあの男も自分と似た夢をみるのではないかと
思ってみるのだった。

 〈註〉ジュール・ヴェルヌ(一八二八−一九〇五)
    「海底二万里」(一九七〇)などの空想ロマンを書いた仏の作家。

 「貝殻をさりげなくぼくに与えてくれた中年の男、生き/ることに倦きてこんな玩具をつくり ぼんやり海を眺め/ているぼくを自分の仲間と思い贈ってくれたものと思う。」というところに、男同士の、臭いを感じあう様が出ていると思います。これは説明しにくいのですが、そういうものが男同士にはあって、いわゆるウマが合う≠ニはちょっと違って、臭いとしか言いようのない種類のものです。女性同士にもあるかのかもしれません。それを書いた詩に初めて出会いました。
 最終部の「今宵もあの男も自分と似た夢をみるのではないかと/思ってみるのだった。」も秀逸です。書かれていないことが如何にあるか、それを教えられた作品です。



詩誌『木偶』71号
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2007.11.15 東京都小金井市
増田幸太郎氏編集・木偶の会発行 400円

<目次>
夜空/荒船健次 1             怠惰/野澤睦子 3
つぎは八柱霊園でと/中上哲夫 5      ふほう/川端 進 7
飢餓の教室/田中健太郎 10         ナラタージュ 外一篇/藤森重紀 13
犬名川/広瀬 弓 17            秋の夜に/落合成吉 19
十五時間の/天内友加里 21         解けない方程式/土倉ヒロ子 23
飢語抄/仁料 理 25            思い出提灯/沢本岸雄 27
きわめて散文的な一日/乾 夏生 30     三つの声/増田幸太郎 33
受贈誌一覧 37



 きわめて散文的な一日/乾 夏生

小生 本日 朝八時に拙宅を出て
新宿は社会保険中央病院にて
半日人間ドックを受け申し候
例年と違いしは
腹周りを巻き尺にて測られしことなり
いわゆるメタボリック症候群の検査なりやと
看護師に問いたれば
さなり 最近追加されたのヨと
五十年配の看護師は微笑む
小生 ホールドアップして
白髪混じりの腋毛そよがせ
膨れたる腹部を測らしめたり
八十センチ OKよ!
看護師はとく 事務的にメモリたり
記憶によみがえりしは
腹の膨らまし較べをしてパンクした
イソップ寓話の蛙なり
小生は六十二歳の腹周り八十センチの蛙的物体なのであって
もはや 生きるに華やぎなく
されど 生きているのだと思ったなり

社会保険中央病院を出ると
抒情的に雨が降っていた
人生において 雨は常に抒情的だ
新大久保駅前のマツモトキヨシの隣の
ジュベールなる喫茶店に入り
僕はランチサービスの海老ピラフを貪り食った
検診は絶食で受けねばならず
ひどく 空きっ腹だったのだ
空腹は常に散文的で
汚れた下着のようにリアルだ

人生とは何か
(ト やや浮薄に!)
老年とは何ぞや
(ト かなり切実に!)
もはや 帰るべき場所なく
遠い焚き火に似た 若き日々への
回帰願望ばかりが急なのが
老いなのだ
女店員はアジア系外国人らしく
アリガトウゴザイマシタと片仮名声に送られて
僕はジュベールを出て
JR中央線に運ばれて
八王子盆地の拙宅に帰り着いた

それから
コールタール状に刻は流れ
すでに夕暮れである
夕闇のコールタールに鴉のように溺れつつ
僕はこの詩を書いているのだが
(ああ 何と月並みな比喩だ!
 老年の感性は カカトの皮膚みたいに角質化する
 軽石で血が出るまでこすっても
 再生しそうもない)
いっそ 死にたい
淋しや
セキレイのごとく尾を振る淋しさよ
でも ほんとうはまだ死にたくない
きわめて散文的な一日の終わり
狂おしや

 「きわめて散文的な一日」として書かれた作品ですが、詩人が描く散文的≠ニいうのはこういうことなのだと納得します。「抒情的に雨が降っていた」、「空腹は常に散文的で/汚れた下着のようにリアルだ」、「遠い焚き火に似た 若き日々への/回帰願望ばかりが急なのが/老いなのだ」、「コールタール状に刻は流れ/すでに夕暮れである」、「老年の感性は カカトの皮膚みたいに角質化する」、「セキレイのごとく尾を振る淋しさよ」などのフレーズに接すると、詩人の一日に散文≠ネどは無いのだと思ってしまいます。候文調で書かれているのもおもしろく、「きわめて散文的な一日の終わり」の締めが「狂おしや」には思わず笑ってしまいました。楽しませていただきました!



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