きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.10.15 箱根・湿生花園のコウホネ




2007.11.19(月)


 午後から鎌倉に行って、夕方からは市ヶ谷に出向きました。
 鎌倉は詩友の個展です。小町通り奥の小さなギャラリーでの、出品数も限った展覧会でしたが、以前の画風からはちょっと変わっていて驚きました。明るくなっていたのです。彼女の絵をそれほど多く観ているわけではありませんけど、内面の変化が感じ取れました。
 彼女は詩人でもあり画家でもあるのですが、ここしばらくは詩作品を見ていません。お話しを伺うと、やはり絵に重心が行っているようです。しかし詩を捨てたわけではなく、その証として横浜詩人会会員も続けているとのこと。これには安心しました。感覚的な詩作品を書いていましたので、詩も絵も両立させてほしいものだと思っています。

 市ヶ谷では「ホテルグランドヒル市ヶ谷」で開かれた「会津赤べこ会」に出席してきました。会津ゆかりの在京者の集まりです。日本ペンクラブの委員会でご一緒している人から、お前も会津にゆかりの者だから出席せよ、と誘われたものです。会津ゆかりとは言ってもね、私は會津支藩の平藩、その下級武士の末裔です。戊辰戦争では真っ先に負けちゃった先祖を持つ身としては、會津容保公には頭が上がらないのです。でも、ただの呑み会だから、お酒はいっぱい出るから、という誘惑に負けてしまいました。どうせ負けるならこっちの方が良い(^^;

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 お酒ばっかり呑んでいて、写真はこれ1枚しか撮りませんでした。遠くで挨拶しているのは会津若松市長だと思います。250人ほどが集まって盛大なものでした。実業界の実力者ばっかり。みんな福島県の片田舎から東京に出てきて頑張っているという雰囲気でした。同じテーブルに着いた人は初めて会った人ばかりですが、すぐに打ち解けて差しつ差されつ…。いわゆる県人会に近いものだと思うのですが、そういう面では良い経験をさせてもらいました。お誘いいただいたOさん、ありがとうございました!



白井知子氏詩集『秘の陸にて』
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2007.10.31 東京都新宿区 思潮社刊 2400+税

<目次>
T ハクトウワシの托卵
ハクトウワシの托卵 10           ミレニアム解剖透視図 16
魚の夢 20                 羊を牽いていく 24
羊とともに 28
U カーリー女神の寺院で
シシュババンの青空 36           カーリー女神の寺院で 42
見てはならない 彼らはヒジュラだ 50    ホテル・マグパイの窓にはりついたまま 56
水の墓場 62
V タシケント 晩秋の裏通り
黄色い花 72                タシケント 晩秋の裏通り 78
フィルーザさんの旅鞄 88          ウラジミールさん 98
ソグディアナの地 サマルカンド 106
タシケント 夜明けのチャイ(あとがきにかえて) 114
カバー・彫刻=白井保春「求道」



 ミレニアム解剖透視図

なめらかな十字にそって
胸をめくり 四隅をピンでとめたヒト解剖透視図
長いこと黝ずみ ほころびかけた臓器の
ほつれを ひっくりかえして摘みだす

寒々とすき間だらけになったところへ
植えこまれたのは
クローン牛 羊 豚 赤毛ザル ネズミの真珠色の臓器
遺伝子操作をうけた闖入者

たがいの不慣れな凹凸を擦りよせては
うらやんだり 蔑んだり のぼせあがった各臓器
神妙な体位で こっそりパートナーを物色しにかかる
が 落ちぶれたおのれの不恰好さにくじかれ
ののしりあう始末だ
なだめにかかるヒトの脳は
狂いだした免疫系で拒絶され 笑いものになるばかり
ついには こぞって凶器になりはて 共喰がはじまる

切りさかれた十字
ファスナーを引きあげるように合わされ
艶めく後姿が 枯れた森に吸いこまれていった

愛らしい脳とクローン獣の内臓が
ピンクの血だまりに均された翌朝
ヒトの図案の臍あたり
バーコードのオブジェが水草のように透けてくる
ヒトゲノム
いのちのからくりを読みとったつもりの 冷酷な 祈りの迷路

 8年ぶりの第3詩集です。詩集タイトルの「
秘の陸にて」という作品はありません。インド、バングラデシュ、タシケントなどを旅行した作品が多く、それらが秘の陸≠ニいう意味なのだろうと思っています。
 ここでは前世紀から大きな問題である「クローン」を扱った「ミレニアム解剖透視図」を紹介してみました。「ヒト解剖透視図」を通して見る臓器移植に慄然とします。最終連の「バーコードのオブジェが水草のように透けてくる/ヒトゲノム」は名言です。「いのちのからくりを読みとったつもり」でいても、人間の叡智≠フ浅さを思わずにはいられない作品です。



秦恒平氏著『湖の本』エッセイ42
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2007.11.15 東京都西東京市
「湖(うみ)の本」版元発行  2300円

<目次>
梁塵秘抄 小序…4
一章 梁塵秘抄の成り立ち そして巻第一…5 二章 後白河院の執念 そして法文歌…32
三章 十二世紀の今様 そして四句神歌…64  四章 御口伝と五条乙前 そして雑の神歌…91
五章 源資時と平曲 そして雑の神歌…211
.  六章 歌謡の流れ そして二句神歌…154
撰抄「梁塵秘抄」百三十八首…186
.      わが「島」の思想と文学…198
私語の刻…211
.               湖の本…221
<表紙> 装画:城景都 纂刻:井口哲郎 装幀:堤ケ子



 次に、三五五番。

★鵜飼は可憐
(いとを)しや万劫年(まんごふ)経る亀殺し また鵜の首を結(ゆ)ひ現世は斯くてもありぬべし後生(ごしやう)我が身を如何にせん

 鵜飼は鵜のえさに亀の肉を使ったそうです。「鵜飼はいとをしや」というのを、鵜飼は気の毒だ、と、よそ事に解釈している人もいますが、ちょっと気遠い。鵜飼の身になって「鵜飼も可哀想じゃないか」と、自分で自分に言う感じに読みたいものです。
  鵜飼ってのも可哀想じゃないか。万年も生きてきた亀を殺してさ。鵜の鳥の首に紐をかけてさ。現世はそれでもやってけるよ。だけどそんな殺生しててそれで後生
(ごしようはいったいどうなる。まったくの話がよ。えー。
 私はなぜかこの嘆息まじりの「うた」に惹かれるのです。殺さねば、奪い取らねば生きていけない現世です。鵜飼ならずとも殺生しないでやってはいけない。顧て投げ出すということも許されていない。しかし「後生
(ごしやう我が身を如何にせん」というつきつめた思いに、人間は、古代人も中世人も、現代の私どもも、一生に一度は突き当たる。「後生我が身を如何にせん」とそう省る時がきっとある。年とってからとは限りませ人。若い人にも有ることなんですね。

 鵜飼は可憐
(いとを)しや 万劫年経る亀殺し また鵜の首を結ひ 現世は斯くてもありぬべし 後生我が身を如何にせん

 幼い子どもの自殺が多いですね。痛ましいことです。彼らは「後生我が身を」とも思わなかったのでしょうか、それとも思った末に死をえらぶのでしょうか。『梁塵秘抄』の歌声を、ただ遠い昔の声とばかりは聴けない思いです。
 次はいよいよ、三五九番を読みます。

★ 遊びをせんとや生まれけむ 戯
(たわぶ)れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ

「遊び」を遊女の読みや別名と取る、もって回った解釈をする人があるが、愚かなはなしです。これこそ註釈の必要のない、ただ真心で読めば共感しない人はない「うた」、遊ぶ子どもの愛らしさを真正面から見て歌った「うた」です。
 先の鵜飼の歌は、いわば老いし古代の大人の、苦悶の声です。
 これは、中世の曙を身に浴びた子どもの未来に健やかな光を垣間見たい、やはりこれも、古代の親の思いです。と同時に、決して人間は、遊びをしに、戯れをしにだけ生まれてくるのでない、もっともっと重い業苦を担いながら、長い、暗い、辛い、道のりを歩んでいかねばならない存在であるということを、熟知している大人の歌声です。そうと知っておればこそ、嬉々として連び戯れる子どもの声の可愛さに魂を絞られ、思わずこもごもの思いに身をふるわせてしまう大人の、歌声なんですね。
 こういう「うた」は、ひたすら読むことです。声に出して何度も口遊
(くちずさ)むことです。字句の一つや二つに拘泥することはない。真心こめて読めば、私どもの心に古代人の思いがまっすぐ響きあってきます。

 遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ動
(ゆる)がるれ

 いつとなく真珠のような大粒の、大人の、親の、涙が眼に見えてくる。幼い子、育ち盛りの子を死なせたくありませんね。元気な未来を、なんとしても健やかに生きていってほしい。そう、いつも、私も、心から願っております。

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 「梁塵秘抄 信仰と愛欲の歌謡」という副題が付いています。初出は1978年3月21日刊のNHKブックス『梁塵秘抄 信仰と愛欲の歌謡』(日本放送出版協会)。その前に1977年10月2日より11月6日まで、毎日曜日、6回にわたってNHKラジオの文化シリーズ「中世の歌謡」のうち『梁塵秘抄』として放送したそうで、それを本としてまとめて出版したものです。
 ここでは「四章 御口伝と五条乙前 そして雑の神歌」から、有名な遊びをせんとや生まれけむ≠ノ関連する部分を紹介してみました。軽妙な語り口のなかにもポイントを押さえたエッセイだと思います。私も若い頃はこのうたを深く読んではいませんでしたが、さすがにこのトシになると「決して人間は、遊びをしに、戯れをしにだけ生まれてくるのでない、もっともっと重い業苦を担いながら、長い、暗い、辛い、道のりを歩んでいかねばならない存在である」と判るようになったと思っています。
 他にも『梁塵秘抄』のおもしろさが満載された、お薦めの1冊です。



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