きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.10.15 箱根・湿生花園のコウホネ




2007.11.28(水)


 午後から小田原市民会館で、地元の文芸団体「西さがみ文芸愛好会」の<5人の出版を祝う会>が開かれました。この1年ほどで5人の会員が歌集・句集・詩集・エッセイ集などを刊行しましたので、それを祝ってくれるというものです。私が昨年暮に出した詩集も含まれていて、そのお仲間に加えさせていただきました。

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 30人ほどがお集まり下さり、地元新聞社の記者も取材に見えて、小さな会としては盛大でした。5人それぞれについての解説、本人のスピーチなどが続き、終始なごやかな会でした。写真は花束を贈呈された著者たちです。提供はO氏、ありがとうございました。改めて見ると、私一人がなーんも考えずにジーンズで、浮き上がってしまいましたね、すみません。
 2次会も同会館のレストランで開いてもらって、楽しく過ごしました。企画していただいた皆さん、お忙しいところをおいで下さった皆さん、ありがとうございました!

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 で、ただいまの時刻。2008年1月1日午前9時00分。新年おめでとうございます(^^; とうとう1ヶ月以上も更新が遅れてしまいました。まだ年賀状も書けていません。これから頑張って1ヶ月分を読んで、いただいた年賀状に返信します。
 本年もよろしくお願いいたします!



合同句集『みなみ』3集
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2007.10 神奈川県南足柄市
みなみ俳句協会発行  非売品

<目次>

熊谷草   飯由  愛 4         扉     泉地 勝郎 6
弟を悼む  磯崎 藤子 8         花吹雪   岩楯恵津子 18
肩に花びら 岡田 典代 12         花みかん  小澤  栄 14
河鹿笛   加藤かほる 16         旅 寓   加藤 富江 18
初 夢   加藤 幸子 20         雛の夜   加藤れい子 22
欠席一番生 川上けんじ 24         花の三年生 川上 靖子 26
霜の華   小瀬村信子 28         風と光   斉藤  静 30
天邪鬼   坂元 一義 32         一片の葉  実方 一公 34
父の樹   芝田 好人 36         櫂の音   芝田みち子 38
初 茜   鈴木ひさえ 40         神の庭   瀬戸 堤波 42
白あやめ  武井婦久恵 44         涼風千里  出沢 早苗 46
夏つばめ  豊田 幸枝 48         月の椅子  行谷 新水 50
五穀豊饒  原田 武志 52         橋涼し   松下 康雨 54
富士山   松橋紀代二 56         竹人形   松橋みつえ 58
三平汁   向平しげる 60         潮 騒   山口 千代 62
初紅葉   湯川 素子 64         落し水   吉沢 文江 66
木の香   渡部久美子 68



 肩に花びら/岡田典代

一丁目の白梅二丁目の紅梅

たんぽぽを千切る君らしい選択

肩に花びら弱虫でいいから

てのひらに孤独のカケラ風光る

一夜だけ蛍になろう充電す

何もかも十薬のせい白き花

蚊を叩くあなたが悪いわけじゃない

目覚めても夢の続きを水中花

コスモスの素直に折れて風が好き

名月を映す私が見あたらない

月やさし地球生まれの私に

飛げ込めば折れる子もあり大花野

今朝は別人人参的美意識

冬星座全部集めても二番目

枯野原笑えば五体満足す

 前出の<5人の出版を祝う会>の席上、頂戴しました。地元も地元、私が居住する南足柄市の句誌です。40年も続いていて、本合同句集は20年ぶりの刊行だそうです。句誌名は以前見た記憶がありますが、実物を手に取るのは初めてです。ありがとうございました。
 俳句は全くの門外漢ですから、紹介の任ではありませんけど、現代詩に近いもの、無いものを感じます。例えば表題が採られている「肩に花びら弱虫でいいから」は、その背景に気弱な子を思う親を感じます。現代詩ならここから10行ぐらい膨らましていくところでしょう。それを17字で凝縮してしまうところに俳句の凄さがあるように思います。
 「蚊を叩くあなたが悪いわけじゃない」のあなた≠ヘ蚊であり、叩いた人間であるのでしょう。この二つを同時に言ってしまうところも、現代詩ではなかなか真似できないでしょうね。「コスモスの素直に折れて風が好き」の好き≠ヘ、素直に折れるコスモスと、折ることさえも素直に感じさせる風の二つに採れますし、「冬星座全部集めても二番目」は、あなたが一番!ということなのかなと思います。また「枯野原笑えば五体満足す」の感情を現代詩で表現した詩人はいないのではないでしょうか。
 俳句を通じて現代詩を考える良い機会を与えていただきました。もっと俳句も勉強しなければいけないなと感じさせられました。



詩誌『しけんきゅう』149号
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2007.12.1 香川県高松市 しけんきゅう社発行
350円

<目次>
<詩作品>
千の夜を…水野ひかる 2          ギルモアの宝石(2)五剣山物語…笹本正樹 6
パンドラの雪…葉山みやこ 8        てふてふさん(ネットコーナー)…Nao 10
エウロパ北域、第5間氷期の終り…秋山淳一 12  トンボ…くらもちさぶろう 14
秋色…かわむらみどり 16
<書評> 水野ひかる著『恋の前方後円墳』を読む…山本 衞 17
<評論> エンプソン『あいまい の 7つ の かた』を よむ
    し に おける あいまい…くらもちさぶろう 20
<創作> 不都合な僕(ナルシスへの伝言シリーズ)…さやまりほ 25
<エッセイ> 宮沢賢治と時を駆ける子供達…さやまりほ 30
広場(すくうぇあ)…32



 エウロパ北域、第5間氷期の終り/秋山淳一

いつになったら乾いた青空が現れるのだろうか。
今日も細やかな雨がささやくように降っている。
外へ出て遊びたいけど
みんなみんな、家の中

どこかの家の格子戸が開いて
手鞠が雨の中に転がって来る。
灰色に煙った路地に、ぽんぽんと弾む手鞠
金糸銀糸茜色が縫い込まれた鮮やかな手鞠
かすかに少女たちの泣き声が聞こえて来る。
しくしくしく……姿は見えない。

空を見れば
疑似太陽がぶわぶわ揺れる。
海の底から見るように揺れている。
いい匂いのする乾いた時代はどこに行ってしまったのだろうか。

……刈り取りを終えた麦畑
地平線までゆるやかに続く麦畑
青ガラスの空が少しずつ橙色に変わっていく頃
遠くから風に乗って聞こえてくるのは麦笛か。
静かな大地に吹き渡る……

もう、そんな穏やかな夕暮れはどこにもない。
みんなみんな、水の底

(コメント)
 雨の降らないのも難儀ですが、地球温暖化で雨が降り続いて陸地が水没するのも困ります。温暖化した縄文時代には(誰も車に乗っていないのに)、関東平野の半分は海の下に沈みました。あの時代が、もう一度やって来るのでしょうか?

 SFのような作品ですが
(コメント)について考えてみました。確かに縄文時代には関東平野の半分は海の下に沈んでいたようですね。当然、(誰も車に乗っていないのに)。現在の地球温暖化防止策にまったく反対する気はありませんけど、これも一つの見方だと思います。ヒステリックな単眼にならないことが科学者の素養だと思っていますから、こういう研究も改めて必要なのではないかと感じた次第です。後世に「もう、そんな穏やかな夕暮れはどこにもない。/みんなみんな、水の底」なんて世界を残さないためにも、あらゆる可能性を研究してもらいたいものだと思い至った作品です。



季刊文芸同人誌『青娥』125号
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2007.11.25 大分県大分市 河野俊一氏発行 500円

<目次>
詩 坊主頭/河野俊一 2
  わが町/河野俊一 6
  蜜柑の木/田口よう子 10
随想 「詩学」に寄せて/河野俊一 13
「青蛾」三十年記念短期連載 「青蛾」思い出の作品6/河野俊一 16
青蛾のうごき 24
編集後記 24
表紙(宮川の雪景色・岐阜県高山市)写真 河野俊一



 坊主頭/河野俊一

背番号がない
野球の練習用ユニホームが土台の
三つの坊主頭が
降り出した雨の中
横断歩道で
右見て
左見て
また右みたり真正面見てたり
てんでばらばらな
天体の自転のように

でもトラックは止まらない
緑のワゴンも赤い軽も
右がよければ左がくる
もう
切れることなど
永遠に
ない
としたら
永遠の運動をせまられたように
くるり
またくるり
見ているだけで
風邪ひいて
くしゃみが出そう

ここからだと
三つの坊主頭は
小指の爪より小さいので
つまんで
道路の反対側まで
持っていってやりたいくらいなのに
こちらの気持には
おかまいなしに
天体ったら
雨になじんで
右見て
左見て
顔を
見合わせて

地球は丸い
こころも丸い
三人の誰かがいつか
何かを思いつく日まで
向う側に渡れないような
でも
どこか楽しそうな
坊主頭

 よくある光景です。私も日常的にクルマを運転しますから大きなことは言えないのですが、横断歩道は人がいれば自動的に一時停止しなければいけない場所だということを忘れ去られているようです。いちいち停まるのは面倒くさいし、ディーゼルトラックは一度停まると再びスピードを上げるのに苦労するということは知っていますが、「天体の自転のように」「永遠の運動をせまられたように」させて、「何かを思いつく日まで/向う側に渡れないような」状態にしてしまっては、大人は教育問題を語れないでしょうね。
 救いは「でも/どこか楽しそうな/坊主頭」というフレーズです。これに甘えてはいけないのでしょうが、子ども達の逞しさを願うばかりです。日常の一場面、誰もが体験している場面だけに考えさせられます。



個人誌『パープル』31号
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2008.1.16 川崎市宮前区
パープルの会・高村昌憲氏発行 500円

<目次>
 秋の小丘…開 あきこ(2)       日の出に…高村昌憲(3)
散文詩 家郷…中平 耀(5)        人間は言葉によってのみ人間である…よしかわつねこ(8)
書評 詩は味わうもの −齋藤全集−…高村昌憲(12)
エッセイ 追悼の想い あれこれ…堀口精一郎(14)
      −死とはただ居なくなること秋ざくら 博
評論 初期プロポ断想(その14)…高村昌憲(18)
編集後記(24)  執筆者住所録(24)
誌名/笠谷陽一  表紙デザイン/宿谷志郎  カット絵/高村喜美子



 日の出に/高村昌憲

遠い水平線の向うから
私の名前を呼ぶのは誰ですか
たった独りの叫び声でも明るく
ショパンのワルツのように軽い

あなたの声を眼で見るように
どこまでも続く三連音符のように
あなたの声は濡れた岩肌へ染み込み
うす黒かった山並が赤く転調する

あなたの声は樹木も変える
汚れた空気を肩に担ぎながら
灰色に濡れていた葉陰の中から
明日のことが気にかかる若葉が笑う

小さくなった過去が大地に落ち
けっして戻ることがない悔恨と
消えることがない記憶の二重奏
独りで砂浜にいるから二人になれる

あなたの声が私を呼ぶから
黙っていても沢山の存在が見える
砂丘の上の白い月に気づいたから
すべてが戻ってくるような気がする

 「あなた」とは太陽と採ってよいでしょう。「あなたの声を眼で見るように」「あなたの声は樹木も変える」などのフレーズに魅了されます。「悔恨と」「記憶の二重奏」という詩語も佳いですね。「独りで砂浜にいるから二人になれる」は、「私」が独りで砂浜にいるから太陽と二人になれる、と採りました。「日の出」を見ながら読んでみたい作品です。



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