きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.11.3(金)

 詩誌『地球』の創立50周年を記念した「世界詩人祭2000東京」というイベントが、半蔵門のダイヤモンドホテルでありました。今日から3日間の連続という大変なものです。とりあえず今日は時間がとれたので行ってみました。200名ほどは集まったんではないでしょうか。世界詩人祭の名にふさわしく、韓国、台湾のアジア勢を始め、アメリカ、グァテマラ、ドイツ、イタリア、コンゴなど10カ国ほどの外国人もお見えになりました。

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アレス・デベリアク氏(スロバニア)の講演
 
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韓国国営放送(KBS)伝統音楽合奏団の演奏

 アレス・デベリアク氏は石原武さん訳の詩集『不安な時刻』の作者で、まさか会えるとは思ってもいませんでしたから、うれしかったですね。英語で熱のこもった講演をしてくれました。KBSの演奏も良かった。久しぶりにチマ・チュゴリ姿を拝見して、30数年前に後輩宅で姉君が着てくれたことを思い出し、なつかしくなりました。民族衣裳というものは、どこの国のものでも美しいものですね。
 ほんとうは今日だけの参加のつもりでした。明日の分科会では一色真理さんのコーディネートで「情報化時代と詩」というものがあることが判っていましたが、午前中はPTAの美化作業、夕方は自治会役員会が入っていますんで、諦めていました。しかし、一色さんにも中村不二夫さんにも「来ないのか!?」と言われてしまうと、考えてしまいますね。結局、自治会役員会はサボって参加することにしました。どんな話になるやら、楽しみです。


水谷なりこ氏詩集きたじょういっちょうめ
kitajo iccyome
2000.11.1 大阪市北区 編集工房ノア刊 2100円

 秋萌え

風が吹きすぎると
こころもち冠をゆさぶって花はすくって立っている

自転車を押して帰ってくる主婦と目が会うと
神の贈り物は目をしばたく

  ここから少し離れた東方の村では ウラン加工施設から
  多量の放射能がもれ 小学校の児童は校舎内に
  閉じ込められたという
  一夜明けても 窓は開けられず井戸水は飲めず
  野菜も放射能雨に打たれて食べられない

宇宙へも人間が出かけるようになって
人間は人間を越えてしまったのだろうか
人が人としての誇りをなくしたのかもしれない
五十四年前の広島の惨状が甦って息苦しい

ここではまだ町がいい年の重ね方をしているのか
盛夏をすぎた緑の土手の斜面が 再生復活をくり返して
三三五五ひがん花が咲き 揚羽蝶が舞っている

毒花といわれても
細長くそり気味に突き出した花片に生命を滲ませて
空間に朱紅の色彩が満ちる

 詩集のタイトルの「きたじょういっちょうめ」というのは、作者のお住まいになっている地名です。「北条一丁目」と書くようです。そこに住んで40余年が経った、とあとがきにあります。ご自分の住んでいる町をじっと見つめた詩集、と言ってもよいでしょう。隅々にご自分の町への愛情が出ています。この作品もそんな中の一品です。
 しかし作者は自分の町にしか興味のない、狭量な詩人ではありません。茨城県東海村へ、ご自身も軽い原爆症になったという広島へ、そして宇宙へと視線は広がって行きます。その広がりと、再び自分の町へ視線を移して彼岸花を見つめる、その動きがこの作品の魅力だと思います。思考の停滞がないところに作者の精神的な若さを感じました。
 「自転車を押して帰ってくる主婦」というのは、作者の自画像ではないでしょうか。そうだとすると、この慎ましい自己顕示に驚きます。詩人と呼ばれる人の中でも、オレがオレがという人が多くて辟易していますが、こんな表現のし方もあるんですね。作者の品性の高さを感じました。


詩誌『梢』24号
kozue 24
2000.10.20 東京都渋谷区
宮崎由紀氏発行 300円

 集中治療室の妻/井上賢治

妻が入院して十日
心臓の手術して三日目
集中治療室に横たわる妻に
五分間
面会ができる。

体には
前後数本の管が繋がれ
体内のデーターが
上方盤面に数字によって
示され。

 “ 血圧も安定していて
  根本的には異常ありませんから……”

主治医T先生は
私の目のあたりに視線をやり
隣の患者の方へ
消えた。

妻は目を閉じうとうとと
声をかけるが
何か喋っているがききとれない。

 “ 切開(肋骨を切って)した個所が
  ときおり痛むようです……”

看護婦の話だったが
五分間の時間ははやい……。

明日また来るからと言ったら
妻も目を開けて
うなづいていた。

 *心臓の病気 僧帽弁並流症、三尖弁並流症とのこと  二〇〇〇年六月二日

 淡々と書かれた作品ですが、作者の不安な心情が随所に見られます。3連目の「根本的には」という個所、4連目の「私の目のあたりに視線をやり」というフレーズには、医者の言葉や行動から何かを読み取ろうとする患者の家族の心理が表現されています。さりげない表現だけに、よけいに読者に伝わる効果を上げていると思います。
 私にも家族を見舞った経験がありますが、ほんとうに五分間というのは短い時間ですね。手術後のほとんど昏睡状態の中での見舞いですから、顔を見て、点滴の多さに驚いているだけで終ってしまいます。それでも顔を見たということで安心しますから、医者の家族への配慮としては良いことだと思います。奥様のお早い快復を念じています。



 
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