きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.11.10(金)

 15時から日本ペンクラブの電子メディア対応研究会、18時からは日本詩人クラブの理事会がありました。電メ研の目玉は、新入研究員の牧野弁護士による電子出版に関する報告です。電子出版の形態と特徴・問題点などが10頁に渡る資料にまとめられて、さすがは弁護士と感心しました。それに法律上のことはすぐに回答が得られて、ある研究員に言わせると「オレたち、今まで何やってたんだろうね」(^^;;
 たしかに、法律問題になると専門家はいなかったわけですから、そこから先の話は進まないというのが実情でした。やはり我々のような研究会には法律の専門家が必要で、これからずいぶん楽になると思いましたね。牧野弁護士の報告は近々さらにまとめられて、ペンクラブのHPにアップされます。一度ご覧になっておくとよいと思います。
 その他としては、ペンクラブのHPにリンクされている「会員のHP」の審査を行いました。電メ研専用のノートパソコンがありますけど、今までは私が持っていたり秦座長宅に置いてあったりしました。それを今回からペン事務局の会議室に置くようにしたんです。もちろんインターネット接続済みです。それを使って「会員HP」の審査となった次第です。その結果、お二人のリンクをお断りすることにしました。理由はご自身の会社の宣伝のみのHPだからです。
 今までは事務局が適当に判断してリンクしてきました。今回から電メ研が審査してリンクの許可・不許可を出そうということにしたんです。まあ、電メ研の仕事の一つと考えられますから、私も賛成しました。許可の基準は「自己の文学者としての思想なり表現がされているか。自己の出版物の宣伝があるか」という程度のものです。従って会社の宣伝だけでは不可となります。会社のHPでも構いませんけど、ご自身の頁を作っていただいて、その頁へのリンクは可としましたから、これからペンクラブにリンクしたいと思っている方はご一考ください。

 日本詩人クラブの理事会は、なごやかでしたね。先月の理事会は東京詩祭の準備ということで、ちょっと殺気立っていましたけど、大きなイベントが成功裡に終ったあとですから、皆さんにこやかでした。今回から新設された評論集・訳詩集を顕彰する「詩界賞」を含めた3賞の選考スケジュール、「詩界賞」正賞のブロンズ像作家の決定などを行いました。東京詩祭のVTRは山脈同人の三上透さんが撮ってくれましたけど、希望者にはダビングして安く販売することも決まりました。新入会員は3名。そんなところかな。
 19時半には終って、懇親会も22時頃終了。明日は月例会ですからホテルを予約していました。どんなに遅くなってもよかったんで、徹底的に呑もうかと思っていましたけど、狙った相手が懇親会も欠席してアテが外れました。まあ、23時には就寝で、骨休みというところですね。

常木みや子氏詩集『石が伸びる』
ishi ga nobiru
2000.10.31 東京都目黒区 あざみ書房刊 1500円+税

 海をながめる動物たち

きつねと鳥は肩を組み
コンクリートの堤防に腰をおろして
海をながめている

海の中には色とりどりの魚が
自由に泳ぎまわる
でも
きつねのふさふさの尾は根もとから断たれ
鳥は片方の羽しか持っていない
砕け落ちたそれぞれの断面は乾燥して
白い紙粘土の繊維を
むき出しにしている

それでも
きつねも鳥も肩を組み
海を安心してながめている

ちぎれている尾や羽にボンドをつけ
黙って元の位置に
置いて
みる

 最初は何の寓意かと思いましたけど「紙粘土」の「きつねと鳥」だったんですね。おそらく海浜公園の中にでもあるものなんでしょうか、風景が具体的に浮かんでくるようです。実際にやったかどうかは別として、最終連では作者のやさしい心根を感じます。4連目の「海を安心してながめている」というフレーズにもそれを感じますね。
 自分だったら壊れた「きつねと鳥」をどうするか。おそらく廃棄処分にしてしまうでしょう。「ちぎれている尾や羽にボンドをつけ」なんてことはしないと思います。それをやる、あるいは考えるという作者に、詩人として持っている本質的なやさしさを感じます。作者とは詩人クラブの例会で何度もお会いしていますけど、そういう人だと納得できます。

現代詩の10人・アンソロジー『山田隆昭』
anthology takaaki yamada
2000.10.25 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2500円+税

 山田隆昭さんがこれまでに出版した『風のゆくえ』『鬼』『うしろめた屋』の三冊が網羅されたアンソロジーです。『うしろめた屋』は第47回H氏賞を受賞した詩集として有名で、私もいただいていますが、前の二冊は目にしたこともなく、そういう意味でもこのアンソロジーは貴重です。1981年の第一詩集『風のゆくえ』には山田詩の原点が覗え、1986年の『鬼』では成熟の課程を知ることができます。ここでは『鬼』より次の作品を紹介します。

 鬼 W ---恐山

三途の川原に積まれた石
これは我が子が積んだもの
あれは隣町の水死した子が積んだもの
それらを突き崩して歩く
宿坊の引き戸
卒塔婆の陰で
悲しげな眼が叫んでいる
ここは地獄じゃない
早く家に帰れ
そこが 地獄だ
責めなくてもわかっている
家にはなまあたたかい鬼がいて
夜ごと
わたしは石のように崩されるのだ

 これはキツイ作品ですね。「ここは地獄じゃない/早く家に帰れ/そこが 地獄だ」というフレーズを見たときには思わず身震いしてしまいました。言葉通りに受け取る必要はないのでしょうが「家」のために働いて、「家」のために死んでいくのが人間の生活というものかもしれません。この作品はそんな単純なことを言っているのではなく、「これは我が子が積んだもの」から想像すると、亡くされたご次男が念頭にあったのだと思います。それをベースに書かれているのではないでしょうか。
 山田詩は範疇はかなり広くて、一言で述べるのは危険ですが、私にはこの『鬼』の時代の作品が根幹を成しているように思えます。『鬼』の中でもこの作品が根底にあるのかな、という印象を受けました。『うしろめた屋』の華々しさが取り沙汰されがちですけど、『鬼』は山田詩の研究には欠かせないものと言えそうです。



 
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