きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.11.12(日)

 日曜日。午前中は蜜柑刈りをやりました。私の家のある場所はもともと蜜柑畑で、畑の半分を宅地にしましたが半分は蜜柑畑として残してあります。裏の畑の蜜柑刈り、というわけですね。ここ何年かは嫁さんの会社の同僚が家族で蜜柑刈りに来たり、キャンプの仲間が来たりしていましたから、家族だけの蜜柑刈りというのは、本当に久しぶりです。皆さんに来てもらうのは楽しいし、労力が省けるのですが、その前後の準備や片付けが大変、という嫁さんの意見で決まりました。
 久しぶりに畑に入って驚いたのは、樹の衰弱ですね。今までならたわわに実っていた樹も、実をずいぶんと減らしていました。手入れが悪いせいもありますけど、かれこれ30年ほどの樹ばかりですから、蜜柑としては寿命かもしれません。強引に肥料をやって、農薬で虐めていますからね、人間の都合で…。
 それに比較して数年前に植えた3本の柿の木は元気です。最初は1個か2個の実しか付かなかったんですが、今ではそれぞれ10個ほどの実を付けるようになっていました。裏の畑も新旧交代の時期のようです。しかし、それにしても収穫した蜜柑箱は重かった。15kgの箱を20箱運びましたけど、腕がパンパンになってしまいました。人間の方も新旧交代かな(^^;; 元気な娘よ、がんばってね!



詩誌『海嶺』15号
kairei 15
2000.10.15 埼玉県浦和市
海嶺の会・杜みち子氏発行 300円

 祭り/杜 みち子

百日紅の花が燃えている
傾いた日射しが
滑らかな幹を赤銅色に染めあげて
季節はもう後ろ姿だ

夕方 今年の馬鈴薯を洗っていると
トトーントトーンと音がした
北の方の公園で
今夜 祭りがはじまるらしい
茄で終わった馬鈴薯を笊にあげるとき /ママ
空の縁が花火で ほとほとと明るむのだった
そのあたりが まるで出口のように

父と母 友だち
好きだった 人たち
出て行ってしまったね

私のときも 夕方で
空の縁がほとほと 明るむだろうか
そして私も出て行くのだろう
何の中にいたのか決して分からないまま

今夜 新じゃがの皮は薄くすーっとむけるのだった

 最初は第2連に注目しました。花火が出口のようだという発想に驚いたからです。それが亡くなった人が使う出口だという発想にも身のひきしまる思いがしました。花火というのは喜びや賑やかさの象徴のようなもので、そこに死者の出口を見るという作者の感覚に並々ならぬものを感じました。それが少しも暗くない。「そして私も出て行くのだろう」「今夜 新じゃがの皮は薄くすーっとむけるのだった」というフレーズには、いずれ我が身、と言ってしまうには即物的すぎるような、一種の透明感さえ感じるのです。
 見過ごしていたな、と再読して思ったのは「季節はもう後ろ姿だ」というフレーズです。季節の移ろいを表現した言葉はたくさんありますが、これほど見事にとらえた言葉を知りません。花火は出口、という発想のみに着目してしまいましたが、詩の言葉としてはこちらの方が数段上だと思います。何気なくこんな言葉を置く作者の力量には感嘆してしまいます。女性4人の、ほんとうに小さな詩誌ですが、杜さん始め力のある詩人が揃った会だと思います。



季刊児童文芸誌『青い地球』35号
aoi chikyu 35
2000.10.20 高知県香美郡土佐山田町
「青い地球」社・江部俊夫氏発行 600円

 秘密………引っ越し 一/陳可樓(台湾) 訳 保坂登志子

引っ越しで古い家具を動かすと
長いことかくれていた薬の包みが
全部跳びだしてきた
父さんははじめてわかった
どうしてぼくと弟の風邪が
いつまでたっても
なおらないのかを

ぼくと弟もわかってきた
お部屋はずうっとがんばって
ぼくらのために
秘密を守ってくれていたんだ
ずっとむかし
病気になった日からずうっと

 これはおかしい。子供はどこの国でも一緒なんですね。苦い薬を家具の後に隠しておくなんて、考えることは同じだなと思います。大人になってからも、隠しこそしないけど、もらった薬の半分以上が余っちゃうんですよね。で、治るものも治らないかというと、そんなことはない、いつの間にかちゃんと治ってる。
 直接的には薬は苦いから隠してしまうんでしょうが、どこか本能として危険なものという認識が働くのかもしれません。子供は特に敏感だから、それを嗅ぎ分けて隠してしまうのかな、とも思います。ある意味では現代の薬漬け医療に対する反抗かもしれませんね。そんなことまで考えさせられました。



乱橋創氏小説集
アインシュタインになれなかった男
einstein ni narenakatta otoko
2000.10.1 東京都文京区 文芸社刊 1300円+税

 「FUGA」「再会」「百万年の孤独」「今日へ同じ一日」「廃墟」「アインシュタインになれなかった男」という6編の短・中篇を集めた小説集です。SFタッチの作品が多いんですが、決して浮付いてはいません。私小説ではないかと思うほどの作品もあって、立っている土台がはっきりして読み応えがあります。特に表題の「アインシュタインになれなかった男」は、19歳で工学系大学の教授になってしまうという男の話で、現在の学校教育を痛烈に批判している作品です。天才と呼ばれた少年の弱点は何か。与えられたことは100%マスターするが、自ら創造する能力に欠けているという指摘は、まさに我々の欠点でもあります。
 小説集でありながら、すべて横書きというのも、なかなかできないことです。パソコンの横書きに馴れてしまった私たちにはあまり違和感がありませんが、もうちょっと上の世代からは反発もあるでしょうね。小説の縦書き横書き、強いては日本語の縦書き横書きについても考えさせられる小説集です。



 
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