きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.11.15(水)

 大腸ポリープの摘出手術を受けました。手術と言っても内視鏡の先に付いているリングでポリープを挟んで、電流を流してチョン。30分もかからないものでした。しかし2個と言われていたものが3個あったそうで、良かったのやら悪かったのやら…。それに検査の時と違って麻酔も強めにしたようで、術後2時間ほど寝てしまったのには驚きました。検査の時は1時間も寝なかったのに…。麻酔には強い体質のようなんですが、今回ばかりはグッスリ眠ってしまい、看護婦さんに起されなければ覚醒しなかったというのは、自分としては不覚(^^;;
 会社の付属病院ですから、入院施設がありません。今日から三日間の休暇をとって自宅静養するようにという医者の言葉。土日を入れると五日間の自宅静養ですから、これはうれしい。たまっている仕事が片付くというものです。通常の入院ですと、この程度の手術でも一週間かかるそうですから、なんか、儲けた感じです。本をいただいた方にはだいぶ不義理をしていましたけど、ようやく取り戻せそうです。



植木信子氏詩集『つぐむ日』
tumugu hi
1999.10.20 東京都千代田区 沖積舎刊 2500円+税

 一つの家族の肖像から

私たちの肖像は
はっきりと輪郭をとらない
ゆるやかなカーブを曲がっていく
古い血の滞る形態は拭えきれない像を据える
私は十一月の雪山で地窖を見た
不毛の原野に沼が点在している
鬼が耕す田という
人の世界を追われた者が餓えをしのいで雑穀を植える沼という
枯れた白い木が疎らに立っている手つかずの広い原野の沼は
楕円やまるや四角が変形していて水をたたえている
鬼は泣いている 鳴っている寒い風に吹かれて
世間を追放されて裸で泣いている
私たちの家族の一人や二人が鬼になりにそこへ行く
私たちはすべてを抱えられなくてその時代の鬼をつくる
私にかって
異母姉妹の姉がいて
姉と私のどちらが鬼だったのだろう
私たちの家族に潜む寂しさ
父の納骨の印象が甦る
本山の寺の扉を抜けて
ずっと続いているように思えて
姉は隣を見るように見つめて私たちを促した
閾の窓を開けて声をかけるように
姉は間近い死を知っていたのだろうか
姉は鬼の役目を引き受けていて
父の死んだ後は終わりというように逝ったのか
この国の古い血がこびりつく家族の肖像が壊れていって形態だけが残る
地窖
鬼の田に今も追われたものがやって来る
風が吹き
長い草が薙ぎ
地窖の水はどれも澄みきっている
粘土質や火山灰の積もる荒れ地の沼に澄んだ水が湧く
姉の幸せは短く少なかった
姉が死んで誰が悲しむというのか
時間とともにそれさえ薄れていく
私はこの国に残る古い血を思う
母であり夫であり妻であり子供であり父であり
形だけとはいえないイエだったりする
私に生まれながらに姉がいた
姉は何を求めていたのだろう
杏の木の下にたって当惑したような顔の晩年の姉を思い出す
姉はいつも先へ先へと急ぎ
私はいつも引き返した
私たちの家族
その肖像は曖昧だ
姉が泣いていたのを思い出す
暗い隅でいつまでも泣いていた
なぜ私は声をかけなかったのか
私に姉への言葉がない
何を語ればいいのかわからない
私たちは姉妹で生まれながらに母が違っていた
姉は死んで母のない子を残していった
ハハは悲しんだ
はじめから
姉と私は姉妹だった

 ちょっと長い作品ですが、全文を紹介しました。ご覧のように分割して紹介できるような作品ではありません。しかも長さに意味があることも判ります。むしろ「家族の肖像」を描くにはこれだけでも足りないのかもしれません。
 この作品のポイントは13、14行目の「私たちの家族の一人や二人が鬼になりにそこへ行く/私たちはすべてを抱えられなくてその時代の鬼をつくる」というフレーズだと思います。特に私たち自身が「時代の鬼をつくる」という指摘は重要です。それが家族にもあるという視点は、家族という本質をとらえているように思えてなりません。硬質な詩集ですが、その質は非常に高いと言えましょう。



前原武氏詩集『人はみな草のように』
hito wa mina kusa no yoni
2000.10.25 千葉県館山市 黒豹社刊 1000円

 師走に (ある飲み屋のおかみのひとりごと)

盆も 暮もないわ
昨日があり 今日があり あしたにつづくだけ

そりゃ 暑さ寒さはあるけど

暑い 寒いは いやね
でも 春 秋は いくぶんいいわ
春には 桜が咲き
銀杏が散るのは 秋

みんなつながっている ふしぎね

そうして 雪
ギラギラの夏

でも はやく しんと静かになりたいわ

 最後の一行がとてもよく効いていますね。正月を迎えての「しん」なのか、人生の終わりを迎えての「しん」なのかは判りませんが、捨て鉢な言葉の中にも卓越したモノ言いを感じて、好感の持てるおかみさんだなと思います。作者も同じように好感を持って見ているのが判ります。「みんなつながっている ふしぎね」というフレーズにも、おかみさんの純心さが出ていて、こんな呑み屋さんなら私も行きたくなりますね。人物像がうまく描けている作品だと思いました。



詩誌『展』54号
ten 54
2000.11 東京都杉並区
菊池敏子氏発行 非売品

 曼珠沙華/河野明子

鮮やかな赤
彼岸の頃に咲く花だから彼岸花
死人花とも呼ばれている
葉はなくて いきなり花の不思議さだ

おびただしい赤なのに
なぜか爽やかな色なのだ
血の色でなくて良かった-----と
思わせるような赤なのだ

葉のないぶんだけ
ためらいや気取りがなくて
まっすぐ本音をぶつけてくる
そんな激しさが燃えている

花は風ぐるまに似ていて
不確かなものを見極めようと
細いしべを伸ばしている

秋の彼岸の頃に咲くから彼岸花
そんな安易な呼び方はやめて
梵語のままに
曼珠沙華と呼んでほしい

 何と言っても三連目がすばらしいですね。余分なものを持たない生物の強さ、とでも言うのでしょうか、それを見ぬく作者の眼に感嘆します。物事はこうやって見るのか、と教えられた気がします。それに「彼岸花」という呼び名より「曼珠沙華」が良いとする意見にも賛成。詳しくは知りませんが梵語の良さを私も感じます。「死人花」という言い方は私が少年期を過ごした静岡県東部地方にもありましたけど、私の目にした曼珠沙華はほとんど田圃の土手に生えていて、不思議な気がしていました。刈り入れの終わった田圃の土手に、すっきりと立つ曼珠沙華を思い出しています。



五喜田正巳氏小論集『一葉の雫』
麥の会叢書第61編
ichiyo no shizuku
2000.11.3 千葉県山武郡芝山町 LD書房刊 500円

 400字詰原稿用紙1枚に収められたエッセイ、50編を集めた小論集です。主に短歌雑誌に書いたものをまとめたようです。その中から次の一編を紹介します。

 批評
 大分前になるが朝日新聞の「時評」で佐佐木幸綱氏は「短歌は作者だけのものではない。よき鑑賞者と出遇ってはじめて一つの世界を完成するのだ……他人の歌の欠点をあげつらう類の <批評> は歌の世界ではごく低次元の啓蒙的効果しか持ち得ない……」と言っている。対象となる作品から評者によって誘導される世界が、作者とはじめて一体となるようなもの、そうした批評なり鑑賞の姿勢が好ましいものであるが、はじめから「あげつらう」事を目的とするような評者にかかっては可能性どころか折角の実験的意味すら消されてしまう。特に依怙地や羨望によって作者の芽をつまむなどは低次元以外の何ものでもない。
 わたしは、日常尊敬の念を抱いていた人がこのような批評をすると、交わりはもう終りだと思うことすらある。いずれにしても、評者は作品に対して愛情を持たなければ単なる「あげ足とり」になろう。批評というものは、まことに恐ろしいものである。

 まったくその通りで、これ以上なにも言うことはありません。ただ、このHPもある意味では批評≠ニとられかねないので、蛇足ながら述べておきます。このHPでは批評≠しているつもりはありません。いただいたご本の紹介と、私なりの感想です。それが自分にとっては勉強になるんですね、三日やったらやめられません(^^;;



 
   [ トップページ ]  [ 11月の部屋へ戻る ]