きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.11.19(日)
連続5日のお休みも今日でおしまいです。もっといろいろできるはずだったんですけど、けっこう積み残しがありました。ペンクラブの秦理事からはご自身のHPに私の詩を投稿するように言われていました。この5日で何とか選び出そうと思っていましたけど、ちょっと無理そうです。でもまあ、詩人クラブの名簿の校正が飛び込んできましたけど、それは完了したから良しとするか、と思っています。しかし校正に延べ8時間かかりましたから、正直なところ驚いています。822名という人数はそういう時間で測れるのかと思いましたね。
名簿にミスがあったとしたら、そういうわけですから私の責任です。相当自信を持っていますけど、11月30日頃に名簿を受け取ってミスを発見したら教えてください。広報の「詩界通信」に訂正記事を載せ、来年の名簿に反映させます。
で、体調ですが、良好です。もう4日も酒を呑んでないっていうのにね。一週間の禁酒はなんとか守れそうです。でも精神的には酒恋しいですよ。まずいことに地酒のうまいヤツが開いている。あと五合も残っているんだよなあ。誘惑に負けそうなんで睡眠薬に頼ってます。
○詩誌『RIVIERE』53号 |
2000.11.15
大阪府堺市 横田英子氏発行 500円 |
いい若いもんが/石村勇二
三十 四十は鼻たれ小僧
五十代のいい若いもんが!
そういって叱ってくれる
伴さんはもういない
お父さんは年中疲れている
娘にまでそう思われるようになっては
気をつけなくっちゃ
痛む足をひきづり
それでも音をあげなかったひとよ
もうろうとした意識のなかにありながら
それでも意識のあるあいだ
ほこりを捨てなかったひとよ
妻が秋物のシャツを二着も買ってくれた
それでも昨夜は少しもうれしさを感じなかった
幻聴も近ごろ多くなっているし
被害意識や孤独感も強くなっている
いつのまにか
死んだら楽になれるだろうなどと考えている
いつも飲んでいる短期型睡眠薬エバミール二錠に
中間型睡眠薬ユーロジン一錠をブラス
十二時間ぐっすり眠った
今日は妻のさりげない愛情が感じられる
三十 四十は鼻たれ小僧
五十五歳になってもまだ鼻たれ小僧
おい 石村 大丈夫か?
あの世からの伴さんの声か 幻聴か
弱音を吐けない性格ならば
死ぬまで演技しつづけろ
久しぶりに伴勇さんのお名前を見て、感無量です。伴勇さんは元『月刊近文』社主、『RIVIERE』の産みの親でもあります。個人的なことですが、私が『山脈』に17年前に入れてもらったのは伴勇さんの指示によります。そんな伴さんに石村さんも可愛がられていたようで、この作品からも窺い知ることができますね。
最終連は伴さんの言葉でもありますし、そのまま現在の石村さんの決意でもあります。人は自分の身長分だけしか生きられないものですから、それはそれで良しとしなければなりません。でも、どこかで弱音を吐いて、演技を中断する場面もあるのではないでしょうか。この作品からは、それは「十二時間ぐっすり眠」ることであり「今日は妻のさりげない愛情が感じられる」ことではないかと思います。そうやって石村さんもうまくバランスをとっているんだと感じます。
○谷口謙氏詩集『望郷』 |
2000.10.31
東京都文京区 出版研刊 2095円+税 |
谷口さんは開業医です。その傍ら警察の依頼で検視も行っています。扱った死体についての作品を集めた詩集です。おそらくこの2〜3年の検視なんでしょうが、この詩集のタイトルだけで51件ありました。中には検視から戻る途中で電話が入って、というのもありますから、実数はそれ以上です。死亡時に誰もいないと変死扱いになるようですから、世の中はそれだけ一人で死んでいく人がいるということになります。驚くべき数字です。
ある青春
午前二時 友人に電話
いろんなことがあったなあ
元気で暮らせよ
友人は
慌てて聞き返した
おい お前 もしもし
公衆電話からだった
すでに切れていた
午前七時五〇分
国営農地横の農道
いつもの赤の本田ツディー車
仰向けになって男の死体は発見された
運転席と助手席の間にロープを置き
右後方窓から出してマフラーにつなぐ
車内にブロバリン錠と焼酎一本封のまま
遺書はなかった
----警察假霊安室
鮮紅色の死斑が印象的
心臓血採取 府警に送る
一酸化炭素 八四パーセント
典型的な排気ガス中毒死
二四歳
こういう遺体を毎日のように見て、それをきちんと作品として残す作者に敬服しています。
○鬼の会会報『鬼』343号 |
2000.12.1
奈良県奈良市 鬼仙洞盧山・中村光行氏発行 年会費10000円 |
連載の「鬼のしきたり」(32)で県音≠ニいう字が目に飛び込んできた、ん?と思いました。
ご存じ県音
県花、県鳥、県木があるなら県音があっても好い筈。実はあるんです。千葉・成田空港のジェット機の音。東京・パンダの鳴き声。神奈川・横浜港出港の音。山梨・水晶研磨の音。愛知・仏法僧の鳴き声。三重・海女の磯笛。京都・舞子さんのポックリ音。大阪・商人のソロバンの音。奈良・若草山の野焼きの音。和歌山・潮騒。兵庫・甲子園の球音。鳥取・砂丘を渡る風音。広島・平和公園の音。
なるほど。そういえば神奈川の横浜港の音というのは聞いたことがあります。京都も奈良・兵庫もいい音ですね。たしかにその県を代表する音と思います。しかし、それにしても千葉はかわいそう。千葉県民が選んだのか、他からの押しつけか知りませんがジェット機の音とはねえ。単なる騒音にしか思えないんですけど。ところで沖縄は何なんでしょうか。まさかジェット戦闘機の音なんてことはないでしょうね。
○松尾静明氏詩集『都会の畑』 |
2000.11.25 広島市東区 三宝社刊 2100円 |
都会の畑・桜
酒の酔いがまわり
パンツを脱いでいくほどに
生がほどけていく青年がいる
桜の花の紅の下で
こういう風景はいつの時代もあった
けれどもパンツを脱ぐ時代はなかった
脱ぐのは本音だった
薄紅色の花片の向こう側を廻って出かけて
ついに戻ることのなかった予科練青年の時代には
脱ぐ志があったから
志がなくなって
脱ぐものがなくなって
パンツを脱ぐ
というのではなくて
愛も憎しみも持たない僕らは
愛や憎しみから急いで飛びたつのだ
それらのぬめりに
からめとられる前に
苦悩や飢餓を持たない僕らは
苦悩や飢餓を笑って脱ぐのだ
それらの大きい声に
かこい込まれない内に
傷も信仰も持たない僕らは
傷や信仰も急いで見逃すのだ
それらの高みを
見てしまわない内に
このやさしい発狂を笑うな
桜の下でパンツを脱ぐ
時代のひっそりとした
とてつもない発狂を
現代を的確に現した作品だと思います。正確には現代を生きている私と同世代の現実を的確に、と言った方がよいかもしれません。私よりもっと上の年代や、今の20代、30代の子供にあたる年代の人たちは違う感覚のようにも思いますので…。松尾さんのお歳は判りませんが、作品から察するにそう違いはないように感じます。
第2連に共感を覚えています。この作品の核になる部分で、まったくその通りです。たしかに私が高校生の頃は「脱ぐのは本音だった」はずです。今の高校生はどうなんでしょうか。
そしてポイントとして押さえなくてならないのは最終連でしょう。作者はそんな現代に対して捨て鉢になっていません。あくまでも「このやさしい発狂を笑うな」という態度で接しています。現実をきちんと分析し、しかも真正面から包み込んでいる作品、詩集だと思います。
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