きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.11.25(土)

 12月2日〜3日にかけて開催される『山脈』合宿の下見に行ってきました。昨年と同じ伊豆高原です。昨年、下見をすましていますから、本来ならもう行く必要はないんですけど、今年はちょっと事情があります。3日に宿を出たあとは皆さんを近くの名所にお連れして、昼食後解散の予定です。いつもは私がご案内してということになりますけど、今年は私だけ早朝に宿を出なければなりません。午後1時から日本詩人クラブの3賞推薦依頼状の発送があるんです。
 総務担当で、新人賞の書記局担当ですからね、抜けるのも気がひけて、詩人クラブを優先することにしました。『山脈』の方はどなたかに案内をお願いして、となると事前の下見が重要になります。今回は遊覧船で城ケ崎海岸を海から見てもらおうかと思います。

001125
富戸港で乗船待ちする遊覧船

 実際に乗ってみましたけど、小さな船です。定員50名というところですかね。けっこう揺れます。船に弱い人には無理かなあ。30分1300円で、船内で観光案内もない、というのも気になります。要相談ですね。港までは宿からタクシーを使うようだし…。悩んでます。



詩と評論誌『日本未来派』202号
nihon miraiha 202
2000.11.15 東京都練馬区 西岡光秋氏発行 800円+税

 照る日曇る日--ソネットもどきの独白/福田陸太郎

 となりはリヴァサイド・ホテル

不景気の声を吹きとばそう
皆で気勢をあげて街をもりたてよう
とやっきになっているまわりの人たち。
私の二間のあるアパートは近頃
バッキンガム・マンションと改名した。
前をどぶ川の流れている隣りの旅館は
リヴァサイド・ホテルになった。
うちの横の道は田んぼを越して夕陽の眺めが
いいのでサンセット・アヴェニューと呼ぶ。
そこから駅へ行く途中の賑やかな通りは
この間から五番街を名乗っている。
外国の友人にこの辺の通りや建物の名前を
手紙で知らせてやったら何と言うかしら。
はたしてこの私を見直すかしら。

 もう1編「そこら中でオープン」という作品があって、2編で独白≠成しています。こちらもパチンコ屋のオープンやらオープンスペースやら、議論をオープンにと何でもかんでもオープン≠使うことを皮肉っていておもしろいのですが、ここでは「となりはリヴァーサイド・ホテル」を紹介します。
 ご覧のように一目瞭然で、大先輩詩人の作品につけ加えることはいっさいありません。このまま楽しんでいただければよいでしょう。あなたの近くにもありませんか?リバーサイド・ホテル=B私がいつも利用しているローカル線からもリバーサイド・ホテル≠ェ見えます。おそらく井上陽水のリバーサイド・ホテル≠ェヒットしたあたりから増えたのではないかと思います。
 それにしてもバッキンガム・マンション≠ノは恐れ入りました。「二間」とは言ってもとてつもなく大きな二間なんでしょうね(^^;; きっと「この私を見直す」と思います。
 どうしてこうもカタカナに弱いのかなと考えこみます。そういう私もついつい漢字で書くべきところをカタカナにしてしまったりしていますから、あまり大きなことは言えませんが…。いずれカタカナは格好が悪いという時期が来るんでしょうか。本来の日本語をもっと大事にしろと教わった気がしています。



月刊詩誌『柵』168号
saku 168
2000.11.20 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏発行 600円

どうして今日は/堀内みちこ

父は戦争に行った
父は映画を撮った
父は女と遊んで母を泣かせた
父は子供たちを存分に愛した
子供たちの我儘は全部かなえてくれた 母の頼みは拒否した
昔の映画監督は脚本を旅館で書いた 自宅のある都内ででも
完成するまで帰宅しなかった
ワタシはそういう環境で母に厳格に育てられた
だから いま 自由でいたい 無責任でいたい

母の望みは女中を置くことだった
たまに父が家にいると お客が多くて 接待が大変だったからだ
「家の中に他人がいるのは嫌だ」父は三歳の時父親が死んだ
医者の祖父に育てられた「おじいさま」と父は祖父を呼んだ

父は長男に期待しながら いつも 影で助けていた
長男はワタシのおとうと
男だからと弟は父の期待を背負わされていた
女だからとワタシは甘やかされた

父は映画全盛期を生き衰退し始めた頃 死んだ
いい時に死んだと人々は言った
五年後 弟が死んだ 誰もいい時に死んだとはいわなかった

なぜだろう 今日は死んだ人ばかりが現われる

 堀内みちこさんは『山脈』の同人ですから、こうやって紹介するのはイヤなんですけど、いい作品だと思って紹介することにしました。父上が映画監督だったことはご本人から聞いたか作品で拝見したかで、知っていました。しかし人物像までは知りませんでした。この作品によって父上の人物像が判った気でいます。私は写真フィルム会社の技術屋として生活しています。以前は映画用のフィルムも担当していました。その折、映画監督の生活も聞いたことがあります。父上の様子とダブッてきています。
 それはそれとしてこの作品で重要なのは、堀内みちこという詩人がご自身の家族を語り始めたということです。小説の分野ではよく言われることですが、自分の恥や家族を語れない者はダメ、ということは詩人でも同じだと私は思っています。おそらく芸術家すべてに言える言葉でしょう。そういう意味で堀内さんが語り始めたことは重要です。
 そして彼女を詩人たらしめているのは最終連の1行でしょう。このフレーズによって前のすべての連が生きてきて、堀内さんの心境の深さを知ることができます。同人だからというエコ贔屓もあるかもしれませんが、こういう作品を彼女はもっと書くべきだと思いました。



 
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