きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.12.18(月)

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季刊・詩の雑誌『鮫』84号
same 84
2000.12.10 東京都千代田区
<鮫の会>芳賀章内氏発行 500円

 と も
 詩友へ/飯島研一

蒼空を泪が走る
時間の軛から開放され
生も死も
流転の果ての夢のように
泪が走り始めた

壮絶な舞台を
さわやかに舞い終え
水々しい余韻が
禊さながらに漂い
言霊が呼びかける
 何をしてきたのだ
 何をしたいのだ
潔よすぎる響き合いが
果てし無くたなびく 蒼空

老いてある己の今の中に
あなたに呼応するだけの力が残っているのかどうか
すぐそこに終りの無残が近づいている
うべない難くても
それがわたしの真実
惜別をいえる不思議さも真実

戦火に注いだあなたの青春の熱さが
散華のあなたの詩の心が
しなやかに歌っているあなたの声が
こと問う確かなよすがとして聞こえてくる
止むことなく

今年の空のかつてない蒼さに
ただ泪するだけの送る想い

 鳴海英吉さんが8月31日に77歳で亡くなりました。今号では「追悼・鳴海英吉−反骨の詩人」として特集を組んでいます。この作品は冒頭の追悼詩です。「今年の空のかつてない蒼さ」というフレーズに作者の万感の思いが込められていると思います。
 鳴海さんには可愛がってもらいました。3〜4度しかお会いしていないはずですが、出版記念会などでお会いするたびにニコニコと話しかけてくれました。『山脈』の筧槇二代表とは懇意だったようで、そのおこぼれで私にも近づいてきてくれたようです。「反骨の詩人」と言うにふさわしい風貌と物腰の方でした。作品も軍隊経験に裏打ちされた、反権力を貫いた詩人です。教えてもらいたいことがたくさんあったのに、残念です。ご冥福をお祈りいたします。



詩誌『銀猫』6号
ginneko 6
2000.12.8 群馬県前橋市
飯島章氏発行 250円

 秋の気配/中里諒子

一つ箱がある
カラッポの箱だ
箱のまわりを熱していくと
箱の中の空気が暖まり
ふくらんでいく
次は箱を冷やしてみる
箱の中はヒンヤリと
寒々しい空間が広がっていく

これは私の心だ
夏の暑さに
満たされていた心も
秋の風にさらされて
心の隙間を思い知る

 「心」についてこれほど具体的な作品は見たことがありません。「箱」と規定することで、まわりに左右されやすい「心」を見事に表現していますね。「秋の風にさらされて」で、「秋の気配」というタイトルもピシッと決まりました。小品ながら秀作です。
 池田瑞輝さんの「少年の日」という作品は13頁にも及ぶ大作で、とても紹介しきれませんが「ミヤモトさんち」に打ち込んだボールをめぐっての次の部分は傑作です。

 「ぼくが打ちました ごめんなさい」
ゴツン
 「いてっ」
 「今日は ばあさんの誕生日だから この
ぐらいで許してやるか ん せんべいでも食
うか?」
 それからぼくは知ることになる 一人で行
くと あの 頑固で むやみに声が 大きく
て 盆栽好きで ぎょめ目の怖いミヤモトの
おじいさんの家では いつも誰かの誕生日だ
ってことを

 こんなおじいさん、昔は確かにいましたよね。今はみんな変に小利口になってしまったように思います。そういう自分も含めて…。



増田耕三氏詩集『バルバラに』
barubara ni
2000.10.20 高知県高知市 編集室きらら刊 1500円

 バルバラに

 ----思い出せバルバラ
   あの日ブレストは
   ひっはりなしの雨降りで
   おまえはその雨のなかを歩いていた
   ぬれて 光って

ジャック・プレヴールの「バルバラ」の詩の一節を
ときおり思い出す
多分こんなフレーズであったと

今から四分の一世紀も前
東京の古本屋で売った
世界の詩の全集にこの作品は入っていた
赤い表紙の豪華な造りの本だった

以来
バルバラの詩は
他の訳者の作品をいくつか読んだが
どこか私にはぴんとこない
そこには別のバルバラが歩いているのだ

訳者名も覚えていないが
あの作品をもう一度読みたくて
探しつづけたが
二度とお目にかかることができなかった

若かった私の
言葉の雨のなかを歩いてゆくバルバラ

東京で生きていけなくなって
身の回りの品を
できるだけ軽くするほかなかった私は
そんなバルバラの姿さえ
無造作に人手に渡した
もう二度と
会えないとも知らないで

 浅学にして「ジャック・プレヴール」も「バルバラ」も知りませんが、作者の思いは伝わってきます。私も「もう二度と/会えないとも知らないで」「無造作に人手に渡した」ものの多さは枚挙にいとまがありません。それが「若かった私」だったのでしょうね。
 この詩集の根底に流れるテーマは、それだと思います。昔の女性らしき人が何度も出てきますが、それは「無造作に人手に渡した」ものの象徴としてとらえることができます。作者は1951年生まれとありますから、私より2歳年下になります。お互い、50になって見えるものがありますな、と思わず言ってしまいたくなるような詩集です。同時代を共有した詩人の姿を感じます。



 
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