きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.12.18(月)

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 葬儀が続いています。今日は職場の後輩の母君が亡くなって、通夜です。喪服を着るのも面倒になり、仕事が終わってから平服で行きました。驚いたことに、私以外は全員喪服。ちょっと恥かしくなって、香典だけ置いて焼香もせずに帰ってきました。今度からは真面目に職場に喪服を持って行って、着替えてから行かなければと思いましたよ。後輩には失礼なことをしたと思っています。それにしても葬儀が続くものです。そういう年代になったのかとも思います。



詩誌『杭』35号
kui 35
2000.11.1 埼玉県大宮市
杭詩文会・廣瀧光氏発行 500円

 笑う/篠崎一心

風のたよりに
蛍が末期ガンになったと聞いた
びっくりして さっそく見舞いにかけつけたよ
林の中の木の葉のベッドで 青白くやつれて
それでも 眼があうと
いたずらでもみつかってしまったように
照れ笑いして

内臓がふたつほどやられているというから
ついつい説教を垂れてしまったよ
まずはそのふたつに申し訳なかったと心からあやまんなさいと
あやまったあとは
ガンバッテルそのふたつに
よくやったなってお礼をいえよと
それに ガンにもありがとうを忘れないようにと
つけくわえた

まだやりたいことがいっぱいあるんだ
そういう蛍のことばに
ならば大丈夫だといってやったよ
蛍はニッコリ笑った
いつもそうやって笑っていろよ
と念には念をおして別れた

この世で起こる出来事は
わけがあって
みんな必要なんだとわかってはいても
いたみやくるしみはつらくてかなしくて
笑ってなどいられないが……

それから半年ほどして蛍は奇跡を起こした
ちゃんと実行したんだ
すっかり元気になって……
蛍がますます好きになったよ

 非常に含蓄のある作品ですね。「そのふたつに申し訳なかったと心からあやまんなさい」という視線はすばらしい。さらに「この世で起こる出来事は/わけがあって/みんな必要なんだ」という発想は、最近読んだジョン・アーヴィングの『オウエンのために祈りを』のテーマとも通底するものがあって、納得しながら拝見しました。
 相手が「蛍」というのもいいですね。具体的な人名だったら、読者は違う感情で読んでしまうと思います。うまく計算されていて、高度な感覚をお持ちの詩人と拝察しました。



外村文象氏エッセイ集『癒しの文学』
iyashi no bungaku
2000.11.30 東京都板橋区 待望社刊 2000円

 7冊の詩集を持つ著者の、初のエッセイ集です。詩誌『人間』、情報誌『高槻倶楽部』等に発表したエッセイをまとめたものです。小説家を志したというだけあって、きちんとした文章をお書きになっていますが、やはり詩人の眼を持った文章だなと思いました。優れた詩人は優れた文章を書く、という典型と言えましょう。
 近江商人の家庭に生まれながら、その道を継がずに文学を志したようです。しかし近江への愛着は強く、こんな文章に出合いました。
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 五個荘町には白壁の倉がいくつもあり、板塀や土塀で囲まれた大きな屋敷がたくさんある。東京や大阪、京都で店を構え財をなした近江商人の家であった。彼等は信心深く神社や寺院の寄進を重ね、先祖を大切にした。近江商人の商道として「三方よし」ということが念頭に置かれている、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」である。納得づくで取り引きをしてそれが社会の繁栄にも貢献するというものである。地味ながら堅実な商法である。「近江商人の歩いた跡には草木も生えない」とか「近江泥棒」などの悪口も耳にせぬでもないが、それは偏見であることを知って頂きたい。(「幼い日の原風景」部分)
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 私も偏見を持っていたのかもしれません。関東の片田舎に住んでいますから、近江商人のことは言葉として知っている程度で、具体的なことは何ひとつ知りません。しかし、どうもその言葉は世間ではあまりいい印象で言われているわけではないな、と思っていました。それが「三方よし」ですからね、これには納得させられます。ちょっと見方を変えました。世間がみんな「三方よし」でいったら、どんなに住みよくなるかと考えさせられます。含蓄に富んだ視線が心地良いエッセイ集です。



アンソロジー『大宮詩集』23号
omiya shisyu 23
2000.12.3 埼玉県大宮市
大宮詩人会・宮澤章二氏発行 1300円

 七つボタンと白衣の青春/ささき ひろし

「君のお父さんは死ねと教えなかった」
一瞬 戸惑う強烈な言葉
関西転勤時に 突然の老紳士二人の訪問を受ける
父の海軍予科練時代の教え子という

「敵は間近 自爆よりも玉砕よりも 最後まで
諦めるな いまこそ戦友愛を持て」と記述された
黄ばんだ日記の日付は 昭和十九年二月二十三日
「この力強い一言で生き延びられた
 何かあれば いつでも力になる」と

多くを語らぬ父 戦争で弟を失い
親の死に目にも会えなかった軍隊生活
戦友を失い 教え子は蕾のまま散っていった
「二度と中国へは行けぬ」と呟くのを聞く
日本軍の残虐な行為の只中にいたのだろうか

戦争を知らぬ団塊世代の私たち
平和な時代だからいえるきれい事
小説『人間の條件』の主人公のように
極限下でも人間の良心を失わずにいられようか

都会の喧騒に混じり
薄れゆく北国の父の面影
いつかは語ってくれるだろうか
それとも封印のまま旅立つのだろうか

父の苦しみを少しでも和らげたい
酒を酌み交わしながらでも
そして もっと知りたい
暗闇に光る七つボタンと白衣の看護婦
亡き母との熱い函館港での出逢いを

 作者は私と同じ年代の方のようです。私の父も生存していて、やはり戦争については多くを語りません。「いつかは語ってくれるだろうか/それとも封印のまま旅立つのだろうか」という思いは私にもあります。
 この作品では父上の人間像がよく描けていると思います。「父の海軍予科練時代の教え子」が「何かあれば いつでも力になる」と言うことに象徴され、何より「二度と中国へは行けぬ」という父上の言葉に重いものを感じます。
 『人間の條件』は私も何度も読み、映画も何度も観ています。やはり「平和な時代だからいえるきれい事」という悩みはあり、「極限下でも人間の良心を失わずにいられようか」という思いは常についてまわります。戦争を知らない私たちがどうやって次の世代に引き継いでいくか、考えさせられる作品です。



 
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