きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.12.29(金)
その2 その1へ
○月刊詩誌『柵』169号 |
2000.12.20
大阪府豊能郡能勢町 詩画工房・志賀英夫氏発行 600円 |
しあわせ/小島禄琅
少年のころ
しあわせは榾火のようなものだった
とろとろと燃えて眠気をさそい
戸外で雪が囁きを積み上げていた
二十五歳のころ
しあわせは一種の匂いを伴った
それは娘に逢うことによって感じるものだった
絣の襟元から
飛びたつ蝶のようなものが見えた
青い果物いろの首筋が
素朴な紺の襟に包まれていた
四十のはじめ
しあわせは探し回っても見つからなかった
夕日を見れば孤独が増し
飲みながら唄を歌えば泪の零れるおそれがあった
七十代
しあわせ探しに飽きたが
今はたいていのものがしあわせに見える
あの世へいくのも楽しみのひとつで
パンを食べるのも
味噌汁を啜るのも
沢庵を齧るのも
しあわせに思う
くしゃみをすれば
たまっていたしあわせのかけらたちが
思い余って飛びだすような気分だ
各年代の「しあわせ」を表現していて、味わい深い作品ですね。「四十のはじめ」までは私も経験していますから判りますが「七十代」はさすがに理解の範疇にはありません。「今はたいていのものがしあわせに見える」という心境は、これから向う者としては安心できるフレーズです。早くそうなりたいものです。それにしても「くしゃみをすれば/たまっていたしあわせのかけらたちが/思い余って飛びだすような気分」というのは不思議ですね。まだまだそこまで到達していません。
失礼な言葉になりますが老いのしあわせ≠ニいう言葉が頭に浮かびました。これから老いていく私たちには、おそらく年金も少なくなっていくでしょうし経済的には苦しくなると予想しています。それなら経済なんて考えないで、老いていく幸せを追求するしかないかな、と。その模範をこの作品から教わった気がします。
○阿部堅磐氏詩集『訪れ』 |
2001.1.10
名古屋市中区 愛知書房製作 2000円 |
訪れ
私の住む社は杉木立の聳える森の中、境内
を小さな小川が流れておりました。その小川
を人々は石川の瀬見の小川と呼んでおりまし
た。ある夏の日の午後、私は侍女の楓と二人
で、川中に入って川遊びをしておりました。
岸辺の園生には蔓藤袴の紫の花が咲き乱れ、
鳩が数羽、遊んでおりました。川風が渡り、
心地よく、そんな中で、楓と私はお互いに衣
も濡れるのも厭わず、川水を浴びせ合って燥
いでおりました。すると川上から一本の矢が
流れてまいりました。それは丹塗矢でした。
不思議に思ってその矢を取り上げました。水
に濡れた矢は日の光を受けてキラキラと輝き
ました。私はそれを私の室内の床の邊に挿し 室内(へや)、邊(へ)
その夜のことです。私が眠っておりますと
<ひめ、ひめ>と私を呼ぶ声がするのです。そ
の声に目覚め、 瞳を開け、 身を起こして、
周囲を眺めますと、妻戸のあたりに黒い影が 周囲(あたり)
私を見つめているのがわかりました。影は妻
戸を静かに押し開き、私を誘うように勾欄の
下に降り立ちました。白い月光を浴び、その
姿が明るくなりました。私は恐さを忘れて簀
子のところへ歩み寄り、 その姿を見ると、
庭には神々しいばかりの一人の若者が優しく
微笑んでおりました。私が <あなたはいった
い、誰。>と尋ねますと、その若者は<私は丹
塗矢の本姿、天上の神。>と名告りました。少 本姿(むざね)
女が成長し、うら若き乙女となると、その乙
女のところに、男の訪れがあると話には聞い
ておりました。それが今宵、我身にもおこっ
たのだと私なりに得心しました。虫の音も絶
えた深夜、その若者は手を差し伸べ、私を抱
き寄せ、いつも天上から私を見つめていたこ
とを私に話してくれました。私は嬉しさに胸
がいっぱいになり、その若者の厚い胸に頬を
寄せ、瞳を閉じました。庭の木立を風が抜け、
夜露も降り、肌寒くなると、若者は軽々と私
を抱き上げ、室内へと歩みを運びました。そ
れからどのくらい経ったのでしょうか。気が
つくと若者の姿はありませんでした。私は夢
でも見ていてのでしょうか。
そんな夜があってから数ヵ月が経ちました。
私は身籠もり、やがて元気な男の子を生みま
した。その子が成長して大人になる時、私の
外祖父さまは、八尋屋を造り、すべての戸を 外祖父(おおぢ)、八尋屋(やひろや)
閉じて祭事に斎みこもり、八腹の酒を醸みて 斎(い)、八腹(やはら)、醸(か)
神々を集め、七日七夜樂遊なさいました。そ 樂遊(うたげ)
して、その子に <おまえの父と思う人に、こ
の酒を飲ませよ。>とおっしゃいました。する
と、その子は酒杯をささげて、天に向かって
酒を祭り、屋の甍を分け穿ち、天に昇ってゆ 甍(いらか)
きました。その姿が見えなくなってから、し
ばらくの後に、神々しい神の御姿が彩雲に乗 2000円彩雲(くも)
って現れました。それは、あの夏の夜に訪れ
たあの若者の姿に似ていました。それを私が
認めるとまもなく、一瞬にして御姿は消え、
青々とした天空には風が光っているばかりで
した。 参考 『山城國風土記』逸文
ちょっと長くなりましたが途中で切るわけにもいきませんので、全文紹介しました。またルビは、私のFTPソフトではうまく振れませんので、以前、パソコン通信の詩のフォーラムでやっていた手法を改良して、上記のようにしました。合わせてご了承ください。
あとがきによりますと著者は「教派神道の教会の神官」のご子息だそうです。そして一連の作品は「原典が四割、創作が六割くらいのところで成立している」そうです。私は神道のことはまったく判りませんが、こういう作品があってもよいのではないかと思います。神道の悲劇は国家神道となったことによるもので、個々の神道はそれはそれでよいと思っています。
現に私の居住する地域にも神社はあって、自治会役員たる私も関わざるをえません。当初は観念的な反発がありましたが、実際に祭事に関わってみると、地域の人にとってはただの行事なんですね。単なる集合場所であったりします。神主もいない神社ですから、祭事について地元の人があいまいで、逆に私が「ここまでは祭事、これ以降は俗事」と発言するほどです。
そんなわけで作品の中身にはあまり踏み込めませんが「原典が四割、創作が六割」というのはいいバランスなんではないでしょうか。あくまでも著者の詩作品として拝見しました。
○杉谷昭人氏詩集『小さな土地』 |
2000.10.31 宮崎県宮崎市 鉱脈社刊 1800円+税 |
デパート前
こどもの人権を守りましょう
弁護士会の街宣車の声だ
いやなことばだ
それはおのれがこどもたちと向きあったとき
おのれの胸に黙って問い聞かせることばだ
愛国心を育てるようにしましょう
選挙カーの連呼の声だ
大きなお世話だ
それはちちははの思い出をこどもたちに語るとき
わずかによみがえるなつかしさなのだ
日が幅ひろく道を打ち
その照り返しが空を打ち
車の群れがまた日のありかを乱し
饒舌な風景のなかで
ひとがいっそう寡黙になるとき
そう 八月のデパート前の喧騒には
単純なことばこそふさわしい
たとえば ヒロシマ ナガサキ 敗戦記念日
それから 二十三日
妻の一年忌……とか
声高に饒舌にしゃべるのではなく「単純なことばこそふさわしい」とする著者の姿勢に共感します。「おのれの胸に黙って問い聞かせることば」「わずかによみがえるなつかしさ」という指摘は、様々な社会現象を考える際の、行動する際の指標となるものでしょう。詩人のあり方をも考えさせられます。
そして「それから 二十三日/妻の一年忌……とか」には胸を打たれます。それのみか奥様の死を「ヒロシマ ナガサキ 敗戦記念日」と同列に置く視線は、著者の思想の深さを感じさせます。日本の詩にとって、この一年の成果とも言うべき詩集、と思います。
○鈴木孝氏詩『泥の光』 |
2000.12.24
東京都新宿区 思潮社刊 3200円+税 |
詩とは、詩人そのものである、という思いが私には強いのですが、この詩集≠ヘまさに、著者そのものが詩であると言えるでしょう。注意してほしいのは、この『泥の光』は詩集ではなく詩≠ネのです。238頁に及ぶ、おそらく著者の半生を描いた、一編の詩です。ちょうどロートレアモンの『マルドロールの歌』のように。
ここでこの詩集の一部を取り出して紹介することは不可能です。全編を読み切らなければ『泥の光』を読んだことにはなりません。それをあえて強行しようとすれば、私は躊躇なくUの1の冒頭を選びます。
そうかい…
死肉の泥にくるまれた俺の髑髏よ…
おまえは…
思い出したいことでもある幸福者とでも思っているのかい…
この俺はありとあらゆることを思い出したくもないのだ…
おまえの思いが俺の脳天で天女の舞いを舞うのだ…
俺などは生まれた時からの劣等種族だ…
あらためて言いふらすこともないし、皆が知っていることなのだ。
生まれた時から死ねばいいと思われる赤子もいるということなのだ。
今風に言えば子供なんて二人で十分なのだ。
二人以上の子供はお寺さまに捧げればいいという三人目の余分な子
供、それも銭金にならない男の子であった俺なのだ…
四歳の時の突然の両眼失明、不幸という神が舞った…
一年余の入院…
自宅の一室を空けて入院させてくれた目医者の先生…
つきっきりで看病してくれた母よ…
時間を見つけては来てくれた父よ…
奇跡的に光をみた俺…
だが、生まれて間もなく死んでいった二人の妹達…
父よ、母よ、健康児だった二人の兄達よ…
五歳の俺が何を感じ何を思い生きていたかあなた達にわかるか…
おまえは指圧師にでもなって生きていけばいいんだよ…
何度も聞かされた母の言葉…
今も俺の耳に染みついている言葉… (以下略)
おそらくこれが著者の原点になっていると思います。ここから63歳の現在までの波瀾に富んだ人生が描かれています。まさに生き方、生きてきた軌跡そのものが詩と申せましょう。一読に価します。
なお、一行の部分は原典では斜字になっていました。現在の私のパソコンでは表現できません。ご了承ください。
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