きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.12.29(金)

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 同僚の父上が亡くなって、告別式に行ってきました。これで10月からの2カ月で4件の葬儀に出席したことになります。なんとまあ。
 亡くなった方はすべて75歳以上で、そこだけは救われた気持です。今日の父上は83歳。この4件の中では最高年齢でした。平均的に考えると、私もあと25年ほどの命ということになりますね。残された時間で何ができて、何ができないのか、そろそろ考えるようです。



福田弘氏詩集『銹の記憶』
sabi no kioku
2000.12.5 東京都千代田区 花神社刊 2000円+税

 手袋と告発

太いステンレスの原子力用部品が
大会社から発注され 廻りまわって
田舎にある 私の工場に入ってきた
一つ一つの部品には「原子力」と
ラベルを貼り機密保持がうるさい
手袋はポリアミド系合成繊維のものを
必ず使用すること 厳しく注意があった

そんな重要な部品だというのに
私のチッポケな町工場で
どうして加工しなければならないのだろう
休日も祝日もない 夜昼の区別もない
加工賃も安く見積もられる末端の下請け
(発注会社ではマージンが儲かるという)
でも原子力は単価が良いから止められぬ
が 事故が起きれば加工者の全責任

搾取だ 核反対 公害汚染と騒いでも
この仕事で 家族の暮らしを
支えていかなければならない者には
それを告発することは
出来なかった

幸と不幸のわかれめは
あの薄いポリアミドの手袋のように
内と外とのほんの僅かな
差だけだったかも知れない

 難しい、本質的な問題を含んだ作品です。「それを告発することは/出来なかった」と語る著者の心境はいかばかりだったでしょうか。簡単に、単純に「告発」できない問題を突き付けられました。私も化学工場の技術屋ですから、この問題の根の深さは理解しているつもりです。幸い、核や公害に直接結び付く会社ではないので、少し醒めて見ることはできますが…。
 詩集は、60年来、鉄と向き合ってきた著者の集大成とも言うべきものです。産業の基幹を支えている鉄に対しての愛憎が見事に結晶しています。直接、現場の経験した者だけが書ける迫力に満ちています。第一詩集のようです。新しい詩人の誕生を心からお祝いいたします。



酒井佳子氏詩集『二千年の含羞』
2000nen no gansyu
2000.7.14 東京都 飛天詩社刊 2000円

 神秘

ガーデン・イールを見た
水族館で
あれは
瓶詰めになった 幻

月面を見た
スイッチ一つで
三十八万キロの距離

高層ビルの上に 切り取られた深海
お茶の間の 宇宙

いとも簡単に
日常の目の中に滑り込んできた
高貴な 幻
コンタクト・レンズを入れるほどの
苦労もなく

回転椅子をくるりと回わして
後の棚に並んだ
「神秘」の缶詰の一つを
ひょいと日常の中に取り出しさえすればいい
(ちょっとひといき)
なんていいながら
瓶詰めの「神様」まであったりして

正真正銘の本物なのに
インスタントの味 だなんて
ぜいたくを言いながら

新発売の「神秘」も
たちまち 一山いくらで店先に並ぶ
種切れ?
心配御無用
遺伝子組替えだってできることだし
神秘の新製品だって
どんどん できる

(ああ 自然に帰りたい) ですって
何世紀の(缶詰)にします?

 (注)ガーデン・イール=アナゴの類。砂の中から半分身をのり出して、流れに乗ってくるプランクトンを食べる。とても臆病で驚くとすぐ砂の中に身を沈めてしまう。幻の魚と呼ばれる珍しいもの。

 居ながらにしてあらゆるものを手に入れてしまう現代の生活。本来なら多くの困難や多額の出費を覚悟しなければならない、それらの情報が簡単に無造作に扱える生活。それが当然と思っている私たちの生活。それを著者は皮肉っていますが、見落してならないのが「正真正銘の本物なのに/インスタントの味 だなんて/ぜいたくを言いながら」というフレーズです。
 TVなどのバーチャルな感覚でモノを見る癖がついていますから、私たちは「高層ビルの上に 切り取られた深海/お茶の間の 宇宙」を見ても自分の手の中にある現実ではない、と判断してしまいます。その判断から「インスタントの味」は「本物」ではないと思ってしまいます。しかしインスタント食品そのものは「正真正銘の本物」なんですね。「正真正銘の本物」が調理しやすく形を変えているにすぎないのです。その重要なところをこの作品は教えてくれています。
 詩集には、引揚船での水葬を扱った「道標」があります。私たち戦後生まれはバーチャルな体験でしか戦争を知りません。しかしそれは「正真正銘の本物」だったのです。それがあたかも夢まぼろし≠セったかのように最近の日本に不安を感じています。そんなことまでこの詩集から感じさせられました。



堀内みちこ氏詩画集 版画:細野稔人氏
『恋の物語 <旅の画帖から…>
koi no monogatari
2000.11 東京都品川区 N.F刊 非売品

 3つの版画にそれぞれ短い詩が付けられた、小さな小さな詩画集です。恋≠ニは言っても、そこは大人の恋。「シャンパンを飲む黒い猫」と名付けられた版画は、薄いベールを被り猫の面をつけた女性がシャンパングラスを持っている絵で、こんな詩が付けられています。

サンジョルジョマジューレの
 鐘の音に願ったの
  この人を何度目かの
   初恋の人にしてね・・・と

さぁ 二匹の猫になって

  爪をたてたいわ
   あなたの胸に
    たった一夜の
     愛のしるしに

 そう言えば、そんなこともありましたなあ。遠い昔のことです。忘れました(^^;;



詩誌『ぷりずむ』7号(終刊号)
prism 7
2000.11.25 東京都八王子市 原田道子氏発行 500円

 倫/山川久三

ほんとうに そう思っているのですか ----
熟れた桜の花びらに訊かれると
空洞が ひろがるのです

倫という字を
本気で見つめたことが あったのですか

倫とは
あくびが出るほど退屈な二人で
レシピ通りに抱き合って
痛み始めた腰を たたきながら
地平が ひん曲がるあたりまで
手をつないで行くことですか

背負っていると
あなたは 背なかで水を吸い
海綿のようにふくれて
化けものじみた重さに
変わってゆきます

いっそ
追いつめてみましょうか ----
あなたは へその前で両掌
(て)を交差させ
防御の姿勢をとり
けもののように
こころを鳴らすでしょうか

それとも 向き合って
たがいの首に 手をまわし
しだいに力を加えてゆけば
あふれかえる まぶたの血流の向こうに
あなたの ほほえみが
見えてくるでしょうか

 「倫」の反語としてどうしても「不倫」が出てきてしまいます。その解釈でこの作品を見ることも可能ですが、私は3連目の「あくびが出るほど退屈な二人」に絞って見た方がよいように思います。「化けものじみた重さに/変わってゆ」くこと、「けもののように/こころを鳴らす」ことは平凡な中にもあることですからね。「あふれかえる まぶたの血流の向こうに/あなたの ほほえみが/見えてくる」ことも「倫」の一部だと解釈しています。
 ポイントは第1連でしょうね。誰が誰に問いかけているのか、2・3行目は応えなのかひとり言なのか、そこで大きく分かれると思います。
 本誌は7号にして終刊だそうです。力量のある詩人が多い同人誌でしたから、それぞれどこに行っても充分通用すると思います。同人各位のこれからのご健筆を願ってやみません。



 
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