きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.12.31(日)

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 2000年最後の日です、、、って、2001年1月7日に書いているのも、ちょっと白々しい気がしますが(^^;; まあ、どうにか私の2000年も締め括ることができそうです。
 では恒例の、と言っても今回で2回目ですけど、寄贈本の年間総括をば。2000年にいただいた皆さまからの善意の寄贈本は、詩書等の単行本が152冊、詩誌等の雑誌が271冊、計423冊でした。たぶん合っていると思います。閑な人は「*月の部屋」というコーナーを参考にして計算してみてください。
 1999年は計300冊ちょっとですから、100冊ほど増えたことになりますね。ずいぶんと知らない人から贈られてくるようになったなと思っていましたけど、数字の上でも裏づけられたようです。書斎の北向きの窓に腰高の本箱があります。その上にいただいた本を積み上げていったんですが、1年間で高さ1mほどの山が7つ出来ました。もう窓の向うの風景は見えません。すごい量だなと実感しています。
 曲りなりにも全て読んで、日本の現代詩の様子が少しは判った気でいます。私は自分でもあまり頭のいい方とは思っていませんけど、これだけ読めばドンな私でも多少は理解が進むんだろうと思います。なにより勉強させてもらいました。ただ通り一辺に読むだけでなく、詩集や詩誌から私なりに作品を選んで、それをタイプするという行為が有意義だったと思います。書く≠アとで作者の息吹が伝わってくる気がしました。以前とは比較にならないくらい詩に対する理解度が高まったと思っています。ひとえに皆さまのお陰です。1年間、ありがとうございました。



詩誌『刻』37号
koku 37
2000.11.22 茨城県水戸市
茨城詩人会議・高畑弘氏発行 350円

 恐怖/白石祐子

誰も黙っている
あちこち電話するのだが
あんたの耳鳴りじゃないか
そう言うのだ

鈍感なのか
歳をとってきたから
いろんな音がするのです
そう言うのだ

蛍光灯の古くなったのが鳴るような
もっとかん高い天空からの音
耳の中の音と外の音と間違えるほど
耄碌はしていない
眠れない日が続く

恐怖だ
虫の音は公害ではないと言うのだが
恐怖だ
恐怖なのは音だけではない
耳が遠くなったのでとか
歳をとると耳鳴りがするのでとか
黒を白と言う
真実を言わない
恐怖だ

そんなに遠くない日
日本国中が黒を白と言ったため
国中の人が裡に三猿を飼いならしたので
取り返しのつかない道に突入してしまったで
はないか

 「耳鳴り」の恐怖から「真実を言わない」恐怖へと段々と読者を引っ張って行く手法、筆力は見事です。そして最終連で、日本の現状を告発する。ここで読者は自分自身が「黒を白と言っ」ていないか、「裡に三猿を飼いならし」ていないか、内省しなければならなくなります。最初は単に身体の変調のことと思っていたのに、いつの間にか日本を考えさせられる作品ですね。
 それにしても、私も日本は「取り返しのつかない道に突入してしまった」と思います。これを復元するにはどれだけの犠牲を払うのか、どれだけの時間が必要なのか、ちょっとうんざりしています。しかし言わないわけにはいかないでしょう。言わなければ自分に背くことになります。文学をやる価値のない人間になってしまいます。そんなことまで考えさせられました。



相沢正一郎氏詩集『ミツバチの惑星』
mithubachi no wakusei
2000.11.28 東京都豊島区 書肆山田刊 2000円+税

    わたしは、ずうっと前にビデオカセットに録画してお
   いたテレビ番組をみながら、真夜中のエアポケットのよ
   うな時間をやりすごしていた。
    千億もの星の集まる銀河系の片隅で、ひとつの星が爆
   発する。四方にひろがった大きな波が、宇宙に漂ってい
   たごく薄いガスや塵のような物質を一ヵ所に打ちよせ、
   高温の気体にかえる。原始太陽系の大鍋の中で、水素、
   ヘリウム、金属、岩石、それに水などのガスのスープが
   徐々に冷え、細かい粒に収縮する。バラバラに浮かんで
   いた粒子は、やがて、たがいに引きあって衝突をくりか
   えし、しだいに大きな塊になる。
    …………………………
    湯舟から、お湯がサーサー溢れだすような音にあわて
   て目をあけると、テレビの中はもう砂嵐。ちくしょう!
   ひどい酔いだ。
    世界が、ザーザー鳴っている。         
え な
      (「1----台所の片隅で、タマネギがビニールの胞衣を突き破って」部分)

 全89頁にわたる散文詩です。全てが一篇の詩と言ってもいいかもしれません。一応、3つに分かれていました。
 1----台所の片隅で、タマネギがビニールの胞衣を突き破って
 2----マーマレードの空瓶に、ミツバチが……
 3----ぺちゃんこのチューブをしぼって、ちびた歯ブラシに
 これら3編が独立した作品で、さらにそれらが組み合わさって「ミツバチの惑星」になっている、というのが妥当な見方かもしれません。詩集の冒頭には次の言葉が置かれています。

 予期していなかった唯一のものは、まったく日常的な世界だった。
   
----アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』(伊藤典夫訳)

 台所がよく出てきます。そこから宇宙を眺めたり、欧米の古典の世界を覗いたり、自由自在に展開していきます。現代的な、と言いましょうか、まさに日常の中に非日常を見ているおもしろい詩集です。紹介した部分は、この詩集の冒頭の部分です。詩集の特徴をよく表わしていると思います。「ミツバチ」は家庭を表わしているのではないかと思います。著者は私と同年代、「ちくしょう!/ひどい酔いだ。」という感覚はよく理解できます。小説を読むように一気に読んでしまいました。



標野ゆき氏詩集『水の精を吸って青』
mizu no sei wo sutte ao
2000.12.8 東京都 飛天詩社刊 2000円

 往生際

死ぬほど好き と 夜毎
思ったせいで
数えきれないほど 言ったせいで

死神をまよわせ
いつ 本当に迎えに来たらいいのやら
とまどっている 死神
       
あいくち
いつでも抜ける 懐剣を
胸底に呑み
片足あの世に 片足この世に かけたまま
死神にウィンク

  おっと、さやが さびついている!

 喜寿を迎えたという著者の「往生際」がユーモラスに語られていて、失礼ながら思わず笑ってしまいました。「四月」という作品には、著者が半死半生で生まれたことが書かれてあり、親族は「お祝いをもって行ったらいいやら/香奠をもって行くのやら」と悩んだようです。その作品の終連は、

私がこの世から遠ざかり消えるときも
周囲の人達をまごつかせるだろうか
永いこと 夢を夢みて さわがせて
とうとうやっと 逝っちゃったけど
お悔みを言ったものか
お祝いにしたものかと

 と結んでいます。二つの作品に共通しているのはお迎え≠きちんと受けるという態度です。これには頭が下がります。私なんかその時が来たら、ジタバタ執着するだろうなと思っていますので、恥かしい限りです。で、当然、著者は「お祝い」にしてもらいたいですね。人間の設計寿命は125歳。まだまだ若過ぎる!



詩誌『象』100号
katachi 100
2000.12.25 横浜市港南区
「象」詩人クラブ・篠原あや氏発行 500円

 ホースネック物語/篠原あや

焼土を残して
戦いは終った

米軍は適確な周到さで爆撃した
占領に備え
使用する建物は残し
あとは完膚なきまで焼き尽くした

その見事さに
大本営発表の虚しさが染みた

マッカーサーはホテルニューグランドを基点とし
一面の焼け野原には
カマボコ兵舎が建ち並んだ

そして十年
長い占領のあとは再び昭和二十年の焼跡の再現
不様に張られた有刺鉄線は心まで刺した

男が二人
打ち拉がれたそんな故郷に帰り着いた

報道班員として動員された 作家・トーマこと北林透馬
ハワイ報知特派員として派遣された
ジャーナリスト・イーちゃんこと牧野勲
二人は変り果てた故郷に呆然としていたが
やがて
  ハマッ子の意地を見せようじゃないか
  焼跡に文化の灯を点そう
そこには 無気力も虚脱感もなかった

階下が西洋居酒屋
二階が画廊
横浜市中区港町五丁目十九番地
飲み物は
焼酎と
進駐軍から大量に放出されたジンジャエールのミックス
レモンの薄切りを浮かべた「ホースネック」一杯五十円

小さな店は人で溢れた
ピアノ調律師の弾くギターに合わせ全員が歌った
だが 軍歌はなかった
時折 横響の団員が加わり大合唱となることも

合言葉は
ヨコハマへ仲間を集めよう

詩人・作家・音楽家・画家・俳優・芸人・歌人・俳人

ヨコハマへ
ヨコハマへ
みんな自弁で集まって来た
  今日もロハの会席ですか
  お互い
  ヨコハマは楽しいですな
語り合いながら
関内へ
落語家も 講釈師もトーマの本町小学校の同窓生
とんち教室の優等生トーマの発案とそして
 イーちゃんのコンビが
次々に会を生む

 『象』が45年の歳月を経て100号になりました。おめでとうございます。この作品は『象』創刊当時の横浜の様子をうたったもので、この後に「浜っ子会」「横浜ペンクラブ(ハマペン)」「横浜話の波止場」「横浜文芸懇話会」「愛妻会」「いせぶら・ざくの会」「チャールズ・ワーグマンハナ祭り」「文学散歩」「弁玉祭」「碑建立」の作品が続きます。10頁に渡る作品の最後に注釈がつけられ、次のように書かれていました。

ホースネックと象は共に昭和三十年に始まった。
イーちゃんの死と共にホースネックは終った。
私が死を迎えても象は続いて欲しい。
そんな意味で正確には詩と言えないかもしれないが
100号記念として掲載した。

 横浜の文芸を知る人にはホースネックは伝説の店です。残念ながら私が横浜に行きだした頃にはありませんでした。この作品で古き良き時代を偲んだ次第です。私たちにこの熱情はあるのだろうか、という自省とともに。
 なお、2連目の適確≠ヘ原文では適格=A7連目の意地≠ヘ同様に意見≠ノなっていたものを訂正してあります。誤植と判断しました。




 
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